∥006-10 追憶の夕暮れ
#前回のあらすじ:あーちゃんと、ぼくの事を話すと決めた。
[マル視点]
放課後の校舎、暮れなずむ夕日が差し込む生徒会室。
窓の外からは、居残り練習を続ける部活動の声が、途切れ途切れに聞こえてくる。
その一方で、窓ガラス一枚隔てた部屋の中はしんと静寂に包まれていた。
かりかり、とペンを走らせる音、かたかたとキーボードを叩く音、ページを手繰る紙擦れの音。
それらのみが響く、静かな部屋の中。
無言のままに向かい合うのはふたり、少年と少女のみ。
彼等は先程から一言も発さず、黙々と机に向かい続けていた。
「・・・ふぅ」
ノートパソコンの液晶モニタから視線を外し、小さくのびをした後に首をこきこきと左右に動かす。
根を詰めて作業を続けていたせいか、強張った身体の筋がほぐれてゆく感覚に思わずほう、と息をついた。
―――と、その時ふと、向かいから見つめる焦茶色の大きな瞳と、ばちりと視線がぶつかる。
たまたまこちらを見つめていたのか、モニターを挟んで2対の瞳は束の間、じっ、と視線を交わし合った。
無言のまま見つめ合う、ちく、たく、と時計が刻む音が響く。
しかしすぐに、互いに弾かれるようにして視線を戻した。
「とっ・・・ところで!もう結構、いい時間だと思うんだけど」
「あっ、はい。・・・そうですね」
互いに若干、上ずった声が上がる。
対面から上がった声の主は、制服に身を包んだ栗色の髪の少女だった。
中肉中背、背丈は平均よりやや上ぐらい。(ぼくよりは断然高い)
細身ながらに、中々に肉付きのよいスタイル。
気の強そうな釣り目の端に薄くナチュラルメイクを施し、強い意志を感じさせる瞳でぼくを真っすぐ見つめていた。
「入力は、どこまで進んだのかしら?」
「・・・会長が急ピッチで進めてくれたお陰で、全体の6割くらいまで済んでますね。細かいレイアウトとか、校正なんかは後でまとめてやるとして。このままのペースで行けば、施錠されるまでにはなんとか、終わらせられそうです」
「良かった」
ぼくの言葉に、ふっ、と表情を緩めて微笑む少女。
その様子に一瞬見惚れた後、未だ作業中だという事実を思い出し、ぶるりと首を振って雑念を振り切る。
そう、状況はマシになったとは言え、時間的余裕が無いことには全く変りが無い。
会長―――と、たった今呼ばれた通り。
彼女はこの部屋の主、立海高校の生徒会長に当たる。
その一方、対面に座るぼく―――丸海人は、生徒会の役員では無い。
あくまで一般の生徒、それが何故、放課後遅くまで居残り作業を続けているのか?
その理由に答えるように、少女はたった今、纏めた手元の資料に視線を落としつつ、再び口を開くのだった。
「あなたのお陰で、明日までに何とか終わらせられそうよ。・・・本当、副会長を始め生徒会メンバーが壊滅した時は、一瞬気が遠くなったもの」
「夏風邪はしょうがないですよ。契約してる業者にデータを渡すのが、明日のお昼の予定だから・・・。あと、もうちょっと頑張れば大丈夫かと」
「ありがとう、あなたが居てくれて助かってるわ」
「いえいえ、そんなそんな」
謙遜しつつ苦笑を浮かべると、それでもよ、とはにかんだ笑顔を浮かべた彼女に再び、どきりと心臓が高鳴った。
そう―――丸海人は恋している。
もうずっとだ。
この少女と出会った時から一分一秒残さず、全ての記憶が彼女のことで埋め尽くされていた。
かたかた、とキーボードを打つ傍ら、そっと視線を上げて想い人を盗み見る。
再び机に向かい、資料を纏め始めた少女。
シャーペンを手繰る手が動く度、頭の後ろで二つに纏めたウェーブヘアーが僅かに揺れる。
いわゆるサイドアップテールの髪型だが、怒りんぼで情熱家の彼女の心を代弁するように、それは事ある毎に元気よく跳ねた。
もはやトレードマークとなっているその毛先を見るに、今の彼女は幾分上機嫌らしい。
―――そも、二人はなぜ、放課後の遅い時間にまでこんな事をしているのか?
それは、夏休み前に林間学校を控えた今、生徒会メンバーの大半が病欠した事に端を発する。
地元の施設を借り切って行われる2泊3日の林間学校は、立海高校の生徒達にとっての一大イベントだ。
その準備と、しおり類の制作は、毎年生徒会が各学年の実行委員会を取り仕切り、先頭に立ち音頭を取っている。
そこへ、生徒会メンバーの欠員が振って沸いた訳だ。
残り少ない役員も既にその日の作業を終え、帰宅の途に就いている。
粘って作業を続けているのは生徒会長ただ一人、深刻な人員不足だ。
しかし影響はそれだけに留まらず、質の悪い夏風邪は全学年にまでその魔手を伸ばし、罹患した生徒で学級閉鎖したクラスまで発生していた。
学生・職員を巻き込みひと騒動となった挙句、今年の林間学校自体を取りやめようという意見までが噴出したのだ。
そこを『出来らぁ!』の一声で黙らせたのが、目の前で書類と格闘する生徒会長、その人であった。
去年、圧倒的得票数で生徒会入りして以来、敏腕生徒会長として鳴らした彼女。
その手に掛かれば、雑多な準備作業なぞあっという間に片付け―――られる筈もなく。
連日、日が落ちるまで居残り作業を続ける彼女を見かね、自ら手伝いを申し出たのだった。
無論、意中の人と二人きりの空間で過ごせるという、したたかな打算が無かったわけではない。
だがしかし、それだけでは無く単純に、林間学校が中止になるのが嫌だったのだ。
それが今、ぼくを突き動かす原動力だ。
―――会長は3年生、来年の春には卒業してしまう。
それまでに、彼女と共通の思い出を残せるイベントが果たして、あと幾つ残されているのか?
その事実を前に今、動かない理由などどこにも無いのだ。
―――と、短い回想を打ち切り、再び意識を液晶モニターに集中させる。
林間学校準備委員が纏めた資料を更に取り纏め、しおりと関係各所への指示内容として書き上げるのが会長の役目。
そのうち、文書として発行が必要なものを受け取り、ぼくがこうしてワープロソフトで打ち込んでいるのだった。
この作業は、ぼくが居なければ成り立たない。
何しろ、会長はドの付くほどの機械音痴だ。
古い型落ちのノートパソコンだが、生徒会の備品として今は、十全にその役割を発揮してくれている。
束の間、思い出に浸っていた間も指はしっかり動いていたのか、林間学校のしおりはもう大部分が出来上がっていた。
「あ、会長。25ページから後の部分と、奥付に載せる写真、貰っていいです?」
「それなら、ここにあるわよ」
「あざっす!・・・会長?」
ほっそりとした指が示す先にある書類に、ぼくはお礼を言いつつ手を伸ばす。
―――が、手に取ろうとした紙切れは、上から押さえつけられた掌のせいでびくとも動かなかった。
真意を問おうと投げかけた視線の先で、少女はにっこりと微笑みを浮かべている。
「ここまで手伝ってくれてありがと。後は一人で出来るから、あなたはもう帰りなさい」
「ええ!?・・・ここに来て、今更?」
「今更、よ。そもそも、役員でもない生徒をこんな時間まで働かせたなんて、本来なら大問題だもの」
少女が視線で示した先、窓の外は既にとっぷりと暮れ、群青色に染まっている。
先程までは聞こえていた運動部員達の声も、今ではすっかりなりを潜めていた。
作業の最終リミットとなる、当直による施錠確認の見回りまで、もう幾許も無い状況。
そこまで読み取ったところで、ぼくもまたにっこりと笑顔に抵抗の意思を込めて、愛しの少女を見つめ返した。
「それこそ今更、ですよね。ここまで来たらリミットまで続けたいし、そもそも―――会長。ワープロソフト扱えるんですか?」
「うっ。・・・で、出来るわよ」
「出来ません。でーきーまーせーん。ぼくがどんだけ会長の仕事を(自主的に)手伝ってきたと思ってんですか。人には得手不得手があるんです。文武両道の完璧美少女である会長の唯一の欠点が、コレなんですから。上に立つ者として、そーいうのは大人しく部下にでも振っちゃえばいいんです」
こつこつ、と液晶モニターを指で叩きつつ反論すると、ぐう、と唇を噛み実に悔しそうな表情を浮かべる。
今言った通り、彼女の生徒会長としての輝かしい業績の裏には、常にぼくの姿があった。
意地っ張りな性格のせいか、ついついオーバーワーク気味になる彼女のことを見かね、都度都度手伝いを申し出ているのだ。
無論、自主的にだ。
こうでもしないと、立場も学年も違うぼくらは同じ空間で過ごすことすら難しい。
これまでに手伝った作業の数々は、大変であったと同時に、その全てがかけがえのない思い出だった。
それをむざむざ、逃すだなんてとんでもない。
「でも・・・!あなたには毎度毎度、迷惑ばっかり掛けちゃってる気がするし・・・」
「迷惑だなんて。・・・いいですか?もう何度も口を酸っぱくして言ってますが、ぼかぁ会長の事が好きなんです。大、好きなんです。だから、その仕事を手伝う時間はボーナスタイムだし、なんなら今、同じ空間で息を吸ってるだけで幸せなんです」
「んなっ・・・!?」
「――ーむっ、改めて口にするとこみ上げてきました。・・・会長!いや櫛灘今日子さん!愛してます!!どうかぼくと、結婚を前提にお付き合いしてください!!」
「・・・はあああああ!!??」
唐突な愛の告白に、がたん、とパイプ椅子を蹴っ飛ばして後じさる。
彼女の顔は傍目から見てもはっきり判るほどに、真っ赤に染まっていた。
一方。
たった今告ったぼくの方はと言うと、立ち上がり一歩引いた位置から90度に腰を折り、びし、と片手を真っすぐ彼女に向け差し出している。
こうしないと、身長の関係から頭を机にぶつけてしまうからだ。
差し出された手を前に、あたふたと周囲を見回した後、こほん、と咳ばらいをしてから深呼吸。
ようやく表情を取り繕った少女は、じろり、とぼくのつむじのあたりを睨みつけると―――ぺちん、とその手を払いのけた。
「お断りよ。物のついでみたいに告白する人とは、付き合えません。そう、今までに何度も言ってるでしょ?」
「ぎゃー!フラれた!!毎度の事とは言えショック!もう生きて行けない!!」
「ちょっ」
フラれた。
これで通算何度目だろうか?
50回あたりからもう数えていない。
今更言うまでもないが、ぼくこと丸海人はうちの学校において、事ある毎に生徒会長に告白しては玉砕する生徒として知られている。
無論、ストーカー一歩手前の行動を取っているという自覚はある。
それが故に、ぼくは常に会長の様子をつぶさに観察し、少なくとも嫌われてはいないことを確信していた。
そして『イケる!』と思ったその時に、万感の想いを込めて告白しているのだ。
毎回。
そして玉砕する。
当たって砕けたショックは毎回本物だ、心の器はヒビが入ったかのようにずきずきと痛み、身体はバラバラに千切れそうになる。
しかし、それがわかっていても止められないのだ。
恋とは、理屈じゃないのだから。
「―――あ。でも今は、作業を少しでも進めないとですね。よし落ち着いた。そういう訳ですから会長、この資料貰ってきます」
「あ・・・あなたねえ。ひょっとしてからかってるの?毎回、こんな手の込んだ事ばかりして・・・」
・・・それはそれ、これはこれ。
わなわなと震える指先でこちらを指す少女ににっこりと微笑み返すと、ぼくは嘘偽りのない気持ちを口にした。
「誓って本気ですとも。瞬間瞬間に恋し続けてるぼくの想いは、真実です。・・・でも、今はそれより前にやるべき事があるので。ウダウダと引きずるよりは、一分一秒でも会長のためになる事を今はしたいんです。だからこうやって割り切れますし、次にこみ上げたら、また告ります」
「はぁ。・・・本当、バカなんだから」
言うが早いか、脇目も振らずキーボードを叩き始めたぼくに小さく噴き出すと、少女は穏やかに微笑んだ。
それからしばらく、見回りの先生に見つかりしこたま怒られるまで、二人の時間は続いた。
今とはってはもう、追憶の中にしか存在しない光景。
去年の初夏、最愛の人と過ごした、短い時間のこと。
―――あれからおよそ5か月後。
会長は卒業旅行を境に消息不明となり、ぼくの初恋は終わりを告げた。
一学年下の後輩―――羽生梓と今の関係となったのは、その少し後のことだ。
彼女はぼくと会長の共通の友人であり、ぼくが会長に抱いていた感情のことも知っている。
『好き』の先生。
彼女が知る限り、最もそれに溢れた人物である、ぼくに付けられた呼び名。
―――その意味を理解できる日まで、二人は共に側に居続ける。
あの約束は多分、彼女なりの助け舟だったんだと思う。
事故があった日からというもの、ぼくは本当に、ひどい状態だったみたいだから。
これが、ぼくとあーちゃんに関する出来事のすべて。
それを、これからぼくは初めて、他人に話すことになる。
どう話すのか?順番はどうするのか?
プライバシーに配慮して、濁すべき部分はどこにしようか。
そうやって頭を悩ませつつ、胸の奥でずぐりと軋む『傷』を自覚しつつ、それでもぼくは口を開くのだ―――




