∥006-08 信じられない物を見た
#前回のあらすじ:気分転換にお出かけでもすっか!
[マル視点]
昼下がりのマーケット。
人込みでごった返す市場は、常に喧噪に包まれている。
物売りの威勢のいい声、笑い声、怒鳴り声。
行き交う人々の靴音、空をゆくカモメの鳴き声、波に揺られて軋むイカダ。
そうしたBGMに耳を傾けながらつらつらと歩いていると、聞き覚えのある声が耳に止まり、ぼくはふと立ち止まった。
「パリヴァール農場の野菜ー、新鮮な野菜だよー、安いよー」
「そこのお兄さん、採れたてのトウモロコシはどですか!?・・・おや?マルさんじゃん」
「こんにちわ!」
『にゃー』
視線を向けた先には、台に山積みのトウモロコシを前に声を張り上げる売り子さんたち。
男が1名、女が2名。
棒読み気味に呼び来みをしているショートボブの子と、その隣で皮付きトウモロコシを両手に元気よく声を張り上げる、サイドテールの少女。
その二人を後ろから腕組みしつつ見守るのは、球児めいたジャガイモ顔の青年―――という、何ともアンバランスな3人組だ。
3名ともに、どれも見覚えのある顔であった。
呼び込みの途中、はた、とサイドテールの娘がこちらに気付き、元気よく手を振る。
こちらも負けじと手を振り返すと、頭の後ろでもぞり、とフードが動いて、ぴょこんと二つの立て耳が顔を覗かせた。
「今日は猫ちゃんも一緒なんだね!お散歩中?トウモロコシ買う??」
「ちょっと気分転換にね。・・・あ、じゃあ1本だけ」
「まいどっ!」
ぼくは勧められるままに、トウモロコシを注文する。
左腕の【戴冠珠】から取り出した、菫色に淡く光る小石を手渡すと、代わりに少女のほっそりとした指から紙袋を受け取った。
―――今更説明するまでもないが、【学園】における貨幣は【彼方よりのもの】から産出する【魂晶】が使われている。
本来、【神使】の強化に使用されるこの結晶。
【神候補】にとっては絶えず需要のある品であるが、それが故にこの形に落ち着いたのだという。
初めは戸惑ったものの、今となっては見慣れた光景だ。
『すんすん・・・(差し出された指のにおいを嗅いでいる)』
「・・・ふふ、可愛い」
一方。
経済活動に寄与する主人をよそに、式神のりんはもう一人の女の子と戯れていた。
呼び込みもそっちのけで小猫と遊ぶその様子を、唯一の男店員は頷きながら無言で見守っている。
彼等は全員、【揺籃寮】から歩いてすぐの農場で働いている子達だ。
パリヴァール農場・・・通称、『全裸農場』。
全裸の変態こと、インド系イケメンのアルナブさんが運営する農場だ。
【彼方よりのもの】と戦う使命を持つ【神候補】だが、中には事情があって戦えなかったり、戦闘に向かない気質の人達も存在する。
そういった人が生活の場を得られるよう、彼自ら【学園】の一角に広大な農場を開き、戦えない【神候補】達を受け入れているのだ。
全体の一部とは言え、数百人規模の【学園】から集まった彼等は相当の数に上る。
人数だけで言えば、数ある『クラン』の中でも最大規模だろう。
そんな彼等とぼくは、偶然その仕事を手伝って以来、ちょくちょく顔を見せに行く程度の関係だった。
「それにしても、随分久しぶりだね?ここんところあんたの顔見て無かったから、どうしたのかと思ったじゃん」
「・・・ねこ、会えなくて寂しかった」
「あー、うん。ちょっと最近、寮の方に籠り切りだったから・・・」
話題が最近の事情に移り、ぼくが言葉を濁すと二人の少女は揃って小首を傾げて見せる。
アイディア提供と引き換えに、オーダーメイドの『宝貝』を作って貰うという約束は、内容が内容だけに、あまり大っぴらに話すような事では無い。
そういう訳で仕方なく、愛用の武器が破損して替えを探している事をかいつまんで伝えたところ、サイドテールの彼女はなるほど、と素直に頷き返すのだった。
「そっか、あんたの方も大変だったんだね。成るほどそれで、最近はアノ娘とつるんでなかった訳だ」
「あの娘・・・って?」
「えーっと。あれ、うーだかヤーだかって渾名の―――」
「あーちゃん?」
「そう、その娘!最近は一人でここらをうろついてるから、一体何があったのか心配だったんだよ」
少女の口から飛び出した馴染みの名に、思わずぼくは目を丸くする。
言われてみれば、ちょくちょく寮の方にも顔を出していた彼女をここのところ、とんと見かけていない。
どうやらその代わりに、近頃は市場を探検していたらしい。
後輩の近況を伝える少女の言葉に、ぼくは思わず心配になってしまった。
そそっかしい彼女の事だから、迷子になったりボッタクリ露店に引っかかったりしていそうだ。
勝手な心配だが、普段の様子からするとそう的外れな想像とも言い難い。
会話の傍ら、内心で不安を募らせていると、それまで黙ってりんを撫でていたボブカットの少女が、ためらいがちに口を開いた。
「・・・一人、違うよ。男の人といっしょ」
「えっ?」
「それ、本当?知ってる人??」
「ううん、知らない人。・・・おじさんだった」
「「えぇ・・・?」」
あーちゃん―――羽生梓はこのマーケットにて、中年男性と頻繁に会っている。
今の話を要約するとそうなる訳だが、にわかには信じがたい内容だ。
援交やらパパ活やら、胡乱な単語が浮かびそうなシチュエーションだが、話題の中心となっているのはあの、あーちゃんなのだ。
どちらかというと、詐欺や怪しい壺を買わされていないかを心配すべき所だろう。
「・・・ちょっと?なんか不安になってきたんですけど・・・!」
「あたしも同感。・・・ねえ、それってどの辺りだったの?何日くらい前?」
「ここ数日は、ほぼ毎日だよ。私、売り子してる時通行人の事観察してるもん。時間もだいたい―――あ」
「「あ?」」
少女はそこで言葉を切り、ある一方向をじっと見つめる。
こちらもつられるように視線を向けると―――居た。
人込みの間に特徴的なポニーテールがたなびき、ぴょん、としなやかな動きで一人の少女が飛び出す。
あーちゃんだ。
遠目に見える彼女は、その場でくるりと楽しそうに回ると、元気よく手を振って何処かへと呼びかける。
程無くして、雑踏の中から一人の男性が姿を現し、彼女の前へ立ち止まった。
(・・・誰?)
知らない男だった。
中肉中背の体つき、ラフに着こなしたシャツの袖から覗く、逞しい二の腕。
豊かにたくわえた顎髭をひと撫ですると、ニッと人好きのする笑顔を浮かべ、こちらも片手を上げる。
痩せ気味ではあるが精悍なその顔立ちは、十分に美形と評するに足るものと言えるだろう。
酸いも甘いも嚙み分けた大人の男性ながら、その瞳はどこか、夢見る少年のようなヤンチャな光を湛えている。
そのアンバランスな風貌は、世の奥様や年上好みの少女ならば、メロメロになってしまいそうな危険な色香を放っていた。
片や、黙っていればアイドル並みと評される後輩。
片や、道行くマダムが残らず振り返る程の美丈夫。
そんな二人は笑顔で頷き合うと、互いに手をつなぎ、雑踏の中へと消えてゆく。
「ちょ・・・イケオジ!あーちゃんがイケオジと同伴してる!!えらいこっちゃよコレ!一体どーなってんの!?」
「こ、これが・・・NTR!」
「うっさいわ!寝てから言え!!・・・マル、あんたも何か言ってやりなよ!?」
「え?・・・えー、あ、うん」
これまでの沈黙を破り、トンチキな事を言い出したジャガイモ店員を切って捨てると、少女はぼくに喰ってかかる。
それを無言のまま、こくこくと頷きつつ見守るボブカットの少女。
先程の光景は、この場の全員に多大なるショックを与えていた。
無論、ぼくもまた荒れ狂う混乱の渦中にあった。
あーちゃんが?
イケオジと市場でデート?
―――そんなバカな。
十歩譲ってそれが事実だとして、ぼくは一体どう反応すれば?
そこまで考えた所で、はた、と思い当たる。
そういえば、ぼくとあーちゃんは恋人でも何でもないのだった。
元はと言えば彼女の提案から始まった、二人の奇妙な関係。
『好き』の先生とは友達以上でもそれ以下でもなく、彼女がその意味を理解するまで側に居るという契約。
これまでなあなあで続けてきたが、本来ぼくらはそういう関係だったのだ。
では、どうすべきだろうか?
―――追いかけて真意を問い詰める?
―――それともおめでとう、と祝福を告げる?
「・・・帰る」
「えっ?」
『なうー・・・?』
ぽつり、そう呟くと、ぼくはくるりときびすを返す。
とぼとぼと歩き始めた背後では呼び止める声と、心配そうな愛猫のか細い鳴き声が響いている。
その全てから顔を背けるように、ぼくはひたすら帰路を進み続けた。
―――後日。
この時、無理に追いかけてでも事情を聴き出さなかった事を、ぼくは大いに後悔する羽目になる。
そんな事なぞ露知らず、ぼくは何かから逃げるように、無言のままに寮への道を歩み続けるのだった―――
今週はここまで。




