∥005-G 理想郷の少女・中
#前回のあらすじ:明さんロリ時代のお話、初手未成年者略取。
[明視点]
「ハァ、ハァ・・・。ま、待って・・・」
「ふふ、嫌でーす」
追いすがる駐在の手をするりと抜けると、あぜ道を軽やかに走り抜ける。
私はくるりと振り返ると、ようやく追いついてきた駐在にくすりと笑いかけた。
元々インドア派らしく、意外に体力のない彼は肩を荒く上下させ、息を整えている。
周囲は夜。
星明りで仄かに浮かび上がる草むらの間からは、うるさいぐらいの虫の音が立ち昇っている。
ロケーションは田んぼ脇の小路。
私達は人目の途切れるこの時間帯に、束の間の散歩に来ていた。
街灯のたぐいの少ないこの村は、日が暮れると一気に視界が閉ざされる。
周囲を見渡しても目につくのは、ぽつぽつと灯る家々の明かりと、黒い稜線の上に瞬く星々くらいだ。
頭上、夜天に昇る月は今、薄曇りによって覆い隠されている。
―――その雲が途切れ、白々とした光が周囲の景色を浮かび上がらせた。
あぜ道の先、亜麻色の髪の乙女が駐在をまっすぐに見つめている。
悪戯っぽい微笑みを浮かべ、少女は若干ハスキー気味な声を上げた。
「―――ホラ!私は此処にいますよ?」
両手を広げ、ぱっと夏の太陽のような笑顔を浮かべる少女。
それをぼうっとした心持ちで、駐在は見つめていた。
彼女が今着ているのは、彼女の母がお気に入りだった白い花柄のワンピースだ。
淡い青色の花が散りばめられた白い生地、その裾から延びる手足もまた、新雪のように白い。
この村では、時折肉体に『白』の特徴を持った子供達が産まれる。
肌、髪、瞳。
様々な部位にそれは現れ、多くは重篤な奇形を併発し、産後まもなく死に至るという。
―――七つまでは神のもの。
子供達が儚く、ふと目を離した隙に命の灯を消してしまうその様を現した言葉。
だが、『彼等』は特に、その傾向が強い。
七つの齢を越え生き延びる者は無く、故に、彼等は『神子』『神の子』と称された。
―――奇しくも、姉弟揃ってその特徴を有する子供の片割れ。
その姿は月の光を受け、見る人を誘う美しい亡霊のように、駐在の目に映った。
駐在は人知れずごくり、と生唾を飲み込む。
―――始めは、ただの出来心だった。
村唯一の交番で過ごす鬱々とした日々。
その最中、ふと耳にした噂。
学生時代に憧れ、しかし何も出来ずただ眺めるだけしかできなかった―――初恋。
その対象が、思い出の中のあの人が、死んだという。
信じられなかった。
信じたくなかった。
戸惑いと後悔でぐちゃぐちゃになった心。
それを抱え、気付けばあえて近寄らなかった村はずれの一軒家の前に、駐在は立っていた。
己の浅ましさと、愚かしさに思わず手が震える。
―――今更来たところで、何もかもが手遅れだというのに。
後悔に顔をゆがめ、きびすを返す。
駐在はうつむいたままに帰り道を歩き始めた。
―――その時。
道の向こうから、誰かが歩いてきた。
少女だ、それもまだ幼い。
無地のTシャツに淡い山吹色のフレアスカート、肩の後ろくらいまでの亜麻色の髪、幼いながらに謹製の取れた顔。
その灰色の瞳はどこか、強い意志を感じさせる光を湛えている。
ふと顔を上げ、彼女の姿を見た瞬間。
駐在の全身に衝撃が走った。
―――似ている。
夢にまで見た初恋の女に。
訃報をこの耳で聞いた女性の、若かりし頃の姿に。
駐在は瞬時に、少女が彼女の家に残された遺児―――会取明であることを悟った。
それと同時に、胸の内にふつふつと煮えたぎる溶岩のような熱が生まれる。
手に入れたい―――あの少女を。
そしてやり直すのだ。
かつてのあの夏、我を忘れて見入った女と、共に過ごす日々を―――
「・・・どうした。何かあったのか?」
「っっ!?」
―――低い男の声に、はっと我に返る。
慌てて声のした方向を向くと、そこには一台のライトバンが停車していた。
赤一色に塗られたボディ、その上部からは、据え付けられたスピーカーと、眩く光る回転灯がこちらを睥睨している。
交番と並ぶ、この村唯一の公的機関。
―――消防団の専用車だった。
運転席の窓ガラスは半ば下ろされ、そこからよく陽に焼けた厳めしい顔の男がこちらを見つめている。
その視線に気づき、駐在は慌てて居住まいを正した。
そしてようやく、自らが他人に見られるとまずい状況にある事を思い出す。
素早く視線を左右に送る。
―――居ない、何処かに隠れたのだろうか?
何れにせよ、好都合だ。
いつまでも反応せずにいれば怪しまれる。
駐在は努めて声を落ち着けると、ようやく話し始めた。
「・・・い、いえ。少し、月に見とれていただけです」
「そうか。・・・夜道の出歩きは、程々にな」
短く、そう言い残すと消防団の男はハンドルを握り直す。
エンジン音をその場に残し、目にも鮮やかなライトバンは道の向こうへと消えて行った。
そっと息をつく駐在の背後から、ふいにひょっこりと白い影が姿を現す。
「―――今の、誰ですか?」
「うわっ!?い、居たのか・・・」
「はい。急に車が来たから、茂みの向こうに隠れてました」
こんなふうに、とぴょんと飛んで、雑草の茂みに隠れる。
そんなジェスチャーをする少女に、駐在は改めて安堵の息を吐き出した。
「あ、あいつは消防団だよ。ふ、普段は便利屋みたいな事をやってるみたいだけど、いい噂は聞かないな。村の外と交流がある、だとか」
「村の、外・・・」
「ど、どうせここで生きていくしかないんだから。そんな真似されても迷惑なだけなのに・・・ね」
どこか自嘲めいたその一言に、そうですね、と相槌を返しつつ、少女は別の事を考えていた。
『村の外と交流がある』。
それは、彼女が弟と共にこの地を離れる、その手掛かりになるかもしれない。
先程目にした厳めしい面をしっかりと記憶に刻み込みながら、少女はにっこりと微笑みを浮かべた。
・ ◇ □ ◆ ・
―――駐在の家の掌握は、順調に進んでいる。
男の求めるものをつぶさに観察し、与え、時には出し渋り、心のたがが緩まるその隙を狙い、一つ一つ譲歩を引き出してきた。
最初、ガチガチの軟禁状態から始まった彼女の生活は、今ではこうして、監視付きだが外を出歩けるにまで至っている。
朝には出来立ての食事の匂いと共に優しく揺り起こし、身だしなみを整え、笑顔で職場へと送り出す。
その帰りを蕩けるような笑顔で迎え、暖かい食事と心休まる言葉を与え、眠りに落ちるまでの束の間、微笑みながら見つめ返す。
そんな些細な、しかし揺りかごに包まれたようなぬるま湯の幸せを。
心休まる夢見るような日々を、少女は緻密な計算と演出によって実現せしめていた。
それと引き換えに―――家のそこかしこに掛けられた錠前を、心のタガを一つづつ開錠してゆく。
暖かい食事を作る為に、火を扱う権利を。
より高度な調理を可能とする為に、包丁を含む調理具を解放する許可を。
雑事を片付ける為に家の周囲へ出る許しを、事ある毎に申し出、交渉し、その全てを勝ち取ってきた。
既に、駐在は半ば少女へ依存している、そう仕向けたのは未だ7歳の、年端も行かぬ少女だ。
駐在は孤独な心を紐とかれ、彼女なしには生活を送れないレベルにまで心酔しきっていた。
甘く狂おしい底なし沼にどっぷりとその全身を、頭の先まで引きずり込まれていた。
それでも―――まだ足りない。
仮に今。
村の外へ出たいと少女が言えば、ここまで築き上げた駐在からの信頼は一挙に崩れ落ちるだろう。
―――このままで良いのだろうか?
焦燥にも似た胸騒ぎに、ぎゅっと小さな掌を握りしめる。
少女は視線の先、整えられた寝床の中ですうすうと寝息を立てる、弟の姿をじっと見つめていた。
ふわふわの綿毛のような白い髪に、そっと指を絡める。
数日前までは苦しそうだった呼吸も、ようやく幾分か落ち着いてきていた。
完全復調まではあと1,2日といった所だろう。
弟の回復は今後に向けた、必須条件の一つだ。
それが実現できただけでも、駐在の下へ取り入った甲斐があったと言えるだろう。
「でも―――あの人は叶を疎んでいる」
ぽつり、と。
昼下がりの部屋に、少女の呟きが落ちる。
その表情からは、一切の感情を排したように。
灰色の瞳は冷たく、氷のような光を宿していた。
―――この家において、弟の存在は異物だ。
母の代理品である私と違い、駐在にとって邪魔者以外の何物でもない。
この事実はいずれ、少女の企みを阻む要因となるであろう。
会取本家による捜索の手も、既に村中に及んでいる。
今、この瞬間にも扉を破り、大人達がここへ踏み込んでくるかもしれない。
ここから先、何か一つボタンを掛け違えれば、瞬く間に二人の未来は闇に閉ざされるであろう。
私達が幸福に暮らす為に、何が必要か。
何を決断し、何を排すべきか。
それがはっきりする時が、刻一刻と近づいていた―――
今週はここまで。




