∥005-D こっちではありふれた金策というやつ
#前回のあらすじ:いやあ、中間テストは強敵でしたね。
[マル視点]
「―――と、いうコトがあったんだ」
「中間デスト、ですか・・・」
穏やかな陽の光が差し込む【揺籃寮】の一室で、ぼくは先日あった出来事を話していた。
中間テスト対策の勉強会で、何時の間にか混ざっていたあーちゃんが騒動を巻き起こしたという、前回のアレである。
聞き手となるのは、ふわふわの白髪の下でどこか妖しい真紅の瞳を興味に輝かせる少年―――叶くんだ。
少し離れたところには、山盛りの書類をてきぱきと片付ける明さんの姿も見える。
式神の『りん』も、ぼくの膝の上で丸くなり二股に別れた尻尾をゆらめかせていた。
ここへ普段なら、タダ飯をたかりに来たゴリラや猫侍、気まぐれに襲来するあーちゃんが混ざったりする。
滅多にないが、玄華さんを筆頭とする『深泥族』の面々や、金髪お騒がせお嬢様ことエリザベス嬢が姿を現す事もあった。
ともあれ、最近は今挙げた面子で過ごすのが、【学園】におけるセオリーとなりつつある。
「そう言えば、叶くんもぼくと同じ高校3年だったっけ?(見えないけど)きみが現世に居た頃は、テストの時はどうしてたの?」
「えっ・・・と、その。何と言いますか・・・」
「?」
テスト、と呟いたその口調が、どこか憧れを含んだ響きだったことに気付き、それとなく叶くんに話題を振ってみる。
彼等はいわゆる『召喚組』。
かつては現世に生きる『覚醒者』だった人間が、何らかの理由で命を落とし、その後ヘレンによって喚び出された存在だ。
寅吉や、全裸の変態ことアルナブさんのように昔の人物も居るが、聞いた限り、会取姉弟はここ数年の間にこちらへ来たクチだ。
定期試験に関する話題ならば通じるだろう、と当たりを付けての発言である。
しかし、彼はぱちくりと紅い瞳を瞬かせると、どこか気まずそうに視線をさ迷わせる。
そのまま口をつぐんでしまった彼を前に、ぼくは思わず首を傾げた。
・・・何か、話したくないような事情でもあったのだろうか?
沸き上がった疑問に応えるように、横合いから少しハスキーな声が響く。
つられて声の方向を向くと、仕事の手を止めた明さんがこちらをじっと見つめていた。
「そいつは定期試験の類を、通常の手順で受けたことが無いんだ。不登校だったからな。一応、教師監視の下、教室以外の場所でテスト自体は受けていたが」
「・・・いわゆる保健室登校、的な?」
「まあ、そのイメージで大体合ってる。当時は平均点ぐらいは取れていた筈だが、今となってはどうだか、な。そういう訳で、授業から離れて久しいこいつに、試験の話なぞ通じんぞ。ヒキコモリ生活が長引いたせいで、授業内容もサッパリ頭から抜け落ちたんじゃないのか?」
「ううっ・・・!」
ズバズバと容赦なく現実を突きつける言葉の数々に、頭を抱えて叶君は俯いてしまった。
以前ちらっと聞いた限りでは、彼は生来の虚弱体質のせいでろくに登校ができず、幼い頃ほとんどを家か、病室で過ごしていたらしい。
身体が成長し、体質がある程度改善された後もその頃の癖が抜けず、高校でも不登校のままだったという事だろうか?
事実だとすれば、その境遇で平均点が取れるというのは、十分凄いことに思える。
・・・とは言え、授業から離れた期間が長ければ長いほど、それを後から取り戻すのはより困難となる。
彼女の言も尤もな話なので、ここはぼく自ら助け舟を出すことにした。
「ま・・・まあまあ。意地悪言うのもその辺に・・・ね?勉強なら、ぼくが協力できると思うし・・・」
「ほぅ?」
「・・・うっ!(ギクリ)」
弟くんの勉強を手伝うと、そう口にした瞬間。
眼鏡の奥でぎらりと鋭く眼光が瞬く。
思わず呻いて後ずさると、それを追いかけるように彼女はすかさず口を開くのだった。
「お前に?愚弟の面倒を見れると?巨額の借金を抱えた身で随分とまあ、余裕があるようだな・・・?」
「や。そ、そこまで余裕しゃくしゃくという訳でもなく・・・!少しでも友達の助けになれたらなー、位の発言でした、ハイ」
「いやぁ、そこまで言うのなら仕方がない。ここは一つ、お前に協力して貰おうじゃないか?・・・なぁに、誰にでも出来る簡単なお仕事だ―――」
「・・・はぃ」
しまった。
そう内心思う間もなく、あれよあれよという間に話は進む。
気付いた時には、不敵に笑う明さんにぼくは見下ろされていた。
異様な雰囲気に驚いたのか、膝の上からぴょんと飛び降りると猫又のりんが一目散に逃げて行く。
一方ぼくは、ずい、と近寄る顔に圧されて後ずさるが、椅子の背もたれに阻まれて退けない。
―――大きすぎる瓶底眼鏡がギラリと光る。
半月型の笑みを浮かべる、亜麻色の髪の少女。
その圧に押され、ぼくはその場に金縛りにあったように縛り付けられていた。
脂汗をダラダラと流しつつ、ぼくは有無を言わせぬ彼女の迫力を前に、こくんと首を縦に振るのだった―――
・ ◆ ■ ◇ ・
「あ―――、マルさん!」
「来たか、早かったな」
「い、言われた通りに持ってきたけど。これは一体・・・?」
管理人室での一幕から日中を挟み、翌晩。
ぼくは【イデア学園】中心部に位置する巨大な汽水湖、『果ての海』の上に浮かぶ、巨大なイカダの集合体へ来ていた。
学園各地から人の集うここは、岸から桟橋や小舟で接続され、様々なモノとカネが行き交う一大マーケットと化している。
今も見渡せば、無数のテントが立ち並ぶ脇を忙しく人々が行き交い、それを呼び止める露天商の声が喧噪となって周囲を満たしていた。
ショーケースの中に、路地に広げた敷物の上に、種々雑多な品々が並び、興味をひかれた通行人がその前に座り込み、品定めをしている。
ここで行われる商いに使用される貨幣は、高次元物質を原料とする結晶体―――【魂晶】だ。
菫色の輝きを宿した立方体を掌の上に落とし、代わりに展示されていた商品を手に取り、意気揚々とその場から去ってゆく。
そんなやりとりがそこかしこで繰り返され、この場はどこかお祭りめいた活気に包まれていた。
その一角、ひときわ目立つエンジ色のテントの近くで、二人はぼくを待っていた。
こちらに気付き、大きく手を振る叶君に微笑み返すと、ぼくはその隣で腕組みしているジャージ姿の少女へおずおずと話しかける。
彼女は一つ頷くと、無言で少し離れた場所にあるテントの中を指し示した。
―――そこには、品物が並べられたカウンターと、二人の人物が居た。
一人は初老の女性、白髪交じりの長い髪を後ろで一つに束ね、肩の上から前に垂らしている。
開襟シャツに包まれた身体はメリハリのあるボディラインで、にこやかに微笑む顔も相まって愛嬌のある美人、といった風体だ。
若い頃はさぞかしモテたのだろう。
もう一方、こちらも初老の男性がひとり、カウンターの奥に置物のように佇んでいる。
上背はそれ程でもないが、無地のシャツを内側から押し上げる筋肉は全身を覆い、まるでプロレスラーのような体型を造り上げている。
眼光鋭い瞳はそれだけでも凄みがあるが、それを更に補強しているのは顔の右半分を覆う、大きな火傷の痕だ。
既に完治しているのか、赤黒い皮膚で覆われた痕はひきつれ、右半分の顔を歪んだ、異様なものへと変貌させていた。
一目見ただけの印象であれば、老齢のヤ○ザ、あるいは戦地帰りの傷病兵、といったところか。
そんな二人が佇むカウンターには、実にバリエーション豊かな商品が並べられている。
色とりどりの宝飾品、雑貨、小物や革装填の書籍に至るまで、カウンターの上はさながら宝石箱の中のような様相を呈していた。
そんな光景をまじまじと眺めた後、再びぼくは会取姉弟の方へと視線を戻す。
「じゃあ早速だが、持ってきた品を出してくれ」
「あ、はい。・・・これでいい?」
「ああ、確かに。―――モガ爺、こいつを買い取ってくれ」
「・・・そいつが、話のあった坊主か。待ってろ」
言われるままに、ぼくは手提げ袋からとある物を取り出すと、明さんへ手渡す。
―――それは、紐で留められた簡素な紙の本だった。
表紙には、漢字で『数学 Ⅰ』と印刷されている。
最初の一冊に続いて、二冊、三冊と続いて手渡し、手元の袋は空となった。
装填の仕方も表紙の図柄も違うが、最初の一冊はぼくが一年生の頃に使っていた教科書である。
それが何故こうなったのかと言うと、【学園】の中―――つまり、【夢世界】へと持ち込んだからだ。
【夢世界】へは、文明の利器を持ち込むことができない。
機械類を持ち込もうとしても、似たような形や機能を持った、別の道具へと変換されてしまうのである。
一方、元から【夢世界】に存在するような物はそのまま持ち込む事ができる。
本もその一つで、多少の変異は起こるが基本的にそのままの内容の物が残るのだ。
今日、【学園】に来るにあたって、ぼくは明さんの指示で使わなくなった教科書、テキスト類をこちら側へと持ち込んだ。
要らない教科書を、とだけ聞かされ、何が目的かは教えて貰えなかったが、この露店にその答えがあるのだろうか?
「お、お久しぶりです・・・ヨネさん」
「あら、カナ坊じゃないか!相変わらず小っちゃいねえ!元気みたいで安心したよ、小さい頃のアンタは本当、何時おっ死ぬか判らんくらいひ弱だったからねぇ。ちゃんとご飯、食べてるかい?いっぱい食わないと色々育たないよ!」
「う・・・。ヨネさん、その位で・・・!」
「・・・お知り合いで?」
「まあ、な。そっちの厳ついのと同じく、故郷を出て以来の付き合いだ。私と叶が七つの時だから、かれこれ十年近くになるな」
「そんなに―――!?」
怪訝そうにぼくを眺めていた女性(よね、というらしい)は、珍しく自分から駆け寄ってきた叶君の姿を認めると、ぱっと顔を輝かせた。
そのまままくし立てるように話し出す彼女を前に、すっかり気圧された様子の彼は慌てた様子で、話し続ける女性を制止している。
初めて見る友人の姿に、事情を知っていそうな人物へこっそり耳打ちすると、意外な情報が飛び出してきた。
どうやら、あの二人と会取姉弟は随分長い付き合いになるらしい。
十年来ともなれば、ほとんど家族のようなものだろうか。
付き合いの頻度にもよるだろうが、普段見せない彼等の素顔を知る、数少ない人物なのだろう。
少女の独白は続く。
「私の故郷は山奥の集落でな、閉鎖的で前時代めいた土地柄だったから、嫌気がさした連中はこぞって逃げ出すんだよ。そうして吹き溜まった奴等が集まって、方々にコミュニティを形成してる訳だ。私とこいつが流れ着いたのもそういう一つで、今でもその縁は切れずに続いてる、という訳だな」
「・・・そうだったんですね。ご両親もその時、一緒に?」
「いや―――」
思いがけず聞けた彼女の身の上に、ぼくは相槌ついでに疑問を発する。
それに応える彼女は、僅かに言いよどんだ後に意外な事実を明かした。
「出てきたのは、二人だけだ。父さまと母さまはあの時、私達が七歳になった翌日に死んだよ。事故死だ」
「えっ―――!?」
「遅ればせのハネムーン、という名目だったか。観光客ですし詰めのバス諸共、谷底へ真っ逆さまだったそうだ。丁度、叶が熱を出して私達は居残りだったのが、不幸中の幸いといった所か。そうして晴れて、天涯孤独の身の上となった訳だが。正直、ロクな将来が想像出来なくてな。心機一転、限界集落を飛び出したという訳さ」
「それは、また。何とも壮絶な―――」
意外すぎる事実の数々を前に、やっと出せた一言はそんな、ありきたりなものだった。
七つの時に両親を亡くして、それ以来十年。
それを側で支えたともなれば、あの二人はそれこそ第2の家族と言って差支えないだろう。
こっそり視線を向けると、よねと呼ばれた女性と向き合う叶くんの表情は柔らかなものだった。
きっと、心を許せる数少ない人物なのだろう。
その事実にほっとすると同時に、そんな彼とぼくはどう向き合って行けるのか、僅かな間に自問自答するのだった。
「―――終わったぞ」
「えっ!?・・・あ、はい。ありがとうございま、す?」
思索の中に浸っていたぼくを現実へ引き戻したのは、初老の男性の声だった。
顔を上げると、視界一杯に厳つい火傷顔が飛び込んでくる。
思わず身をすくめていると、掌に何かが落とされた感触に、再び視線を落とす。
菫色の輝きを湛えた【魂晶】が幾つか、掌の上に乗っていた。
数舜遅れて、それが本を引き渡した代金である事に気付くと、ぼくは慌てて頭を下げる。
筋肉質の男はむっつりとおし黙ったまま頷くと、のしのしと肩を揺らせてカウンターの奥へと戻って行った。
「見た目ほど怖い人じゃない、のかも・・・?」
「聞こえてるぞ」
「ハッ!?い、いや今のは違くて。決して親代わりの男性を悪く言おうとした訳じゃあ・・・!」
「・・・お前は何を言ってるんだ?まあ、いい。たった今実演して見せたように、【学園】―――【夢世界】に存在しないものは、カネになる。道具、細工物、芸術品や嗜好品。無論―――本もそうだ。現世から持ち込んだ品をこちらで捌いて金策するのは、『スカウト組』の間じゃ常識なんだよ」
「ほえぇ・・・。まさか、使い古した教科書にそんな使い道があるだなんて」
またしても飛び出した衝撃の事実に、思わず阿呆のような声を出してしまった。
そんなぼくにくすりと笑うジャージ姿の少女に、はっと我に返って慌てて口をつぐむ。
「うう、恥ずかしぃ。・・・あ、でもひょっとして、向こうじゃあまり価値がないような物でも、こっちじゃ高く売れたりして?」
「目の付け所は悪くないが、ちと遅かったな。似たような事を考える奴が続出したせいで、その手の品はすっかり値崩れしてるぞ」
「うぇえ、やっぱそう甘くは無いか・・・。これを機に、一気に借金を減らせれば!なんて思ったんだけどなぁ」
「そうか。じゃあ―――こういうのはどうだ?」
「えっ?」
思わぬところで返済計画が前倒しにできる、と期待したせいで、アテが外れたぼくはがっくりと肩を落とした。
そんなぼくに歩み寄ると、明さんは一冊の本を差し出す。
視線を上げると、それは先程ぼくが売った教科書だった。
「お前がこれを使って、愚弟に勉強を教える。私はそれに報酬を支払う、という訳だ。いわゆる家庭教師だな」
「ぼくが、叶君に勉強を―――?」
「そうだ」
思わぬ提案に、きょとんとした表情のまま彼女の顔を見返す。
ぶ厚いレンズに覆われたその素顔は、どんな表情を浮かべているのかを窺い知ることはできない。
ぼくは少し考えた後、意を決すると少し離れた店先でこちらを見守る、白髪の少年へと声を掛けた。
「叶くん。きみはそれでいい?きみが大丈夫なら、お願いしようと思うんだけれど」
「え・・・、っと。その―――はい。マルさんが望むんでしたら」
「ほっ」
ぼくの言葉に、視線をさ迷わせてたっぷり悩んだ後に、彼はためらいがちにそれを肯定してくれた。
思わずほっと息を吐くと、次の瞬間、ぼくの耳にぺしーん!と乾いた音が飛び込んでくる。
何事かと目をみはれば、音の正体は叶くんの背中を元気よく叩いた、平手の音であった。
「よかったじゃないか!引っ込み思案のアンタが外に友達こさえて来るだなんて、今日は赤飯炊かないとねぇ!あっはっはっはっは!」
「!!!????」
「・・・おヨネさん、そいつ眼、回してるから。強く叩きすぎ」
「オッと、こいつぁいけねえ。ついつい嬉しくて力が入っちまったよ。あっはっは!すまないねぇ!・・・それにしてもあんたは細っこいね、今日はうちに寄るだろ?精の付くモン食わせたげるよ。いっぱい食べていっぱい大きくなりな!そっちの友達も、一緒にどうだい?」
「えっ」
マシンガンのように回る口を前に、思わずタジタジといった様子で目を白黒させる。
そんな叶くんを見かねたのか、横からフォローを入れた明さんだったが、彼女のトークは留まるところを知らないようだ。
そうこうしているうちに、何時の間にかこちらにまでお鉢が回ってきた。
唐突な問いかけに思わず目をぱちくりさせていると、視界の端で明さんが無語ののままに、首を振る姿が目に入る。
・・・どうやら、断っても無駄らしい。
とにかく押しが強い女性に引っ張られ、ぼくらはその場を後にする。
テントにはぽつんと一人、火傷顔の男性だけが取り残されていた。
そして場面は、おヨネさんのお宅訪問へ移るのである―――!
今週はここまで。




