∥005-A 北海の大決闘・宴の始末Ⅰ
#前回のあらすじ:なんだかんだで決着、そして・・・。
[???視点]
―――時は遡る。
片洲での冒険の最終日、海辺にて『泥艮』との最終決戦に決着が付いた、その後のこと。
件の施設から数キロ程離れた雑木林の中に、その建物はひっそりと佇んでいた。
外見は、外をトタンで覆われた簡素な資材倉庫、といった風体である。
その一辺が20m程もあり、一般家屋と比べればなかなかの大きさだ。
広葉樹の若木に覆われ、薄暗い未舗装の道の先に位置するこの場所には、通常であれば地域の住民も近寄る事が無い。
そこへ、今、一人の男が姿を現した。
男が近づき、戸口に手を掛ける。
金属製のスライドドアには丈夫な南京錠が取り付けられており、平時は侵入者を寄せ付けないよう守っていた。
その鍵穴へ、鈍く光るキーを挿し込むと、がちゃりと1回転。
開錠され、ゆっくりと両側へスライドしてゆくドア。
倉庫の中へ白い月の光が差し込むと、その奥に停められた一台の中型トラックを浮かび上がらせた。
「ハァ、ハァ・・・」
男は迷いなくトラックのコンテナへ歩いてゆくと、そのハッチを開く。
果たして、その中には―――無数のスーツケースと、純白の布で覆われた何らかの物体がびっしりと並んでいた。
太く節くれだった指先で、それらの中身を暴いてゆく。
スーツケースの中には隙間なく詰められた、一万円札の束が。
純白の布の下からは、高級絵画や彫像の数々が姿を現した。
男の口元に、にやりと凶暴な笑みが浮かぶ。
「・・・ぐわっはははは!これだけあれば、当分雲隠れするのに困りませんねぇ。何なら『次』の事業だって・・・!!備えあれば憂いなしとは、正にこの事ですなぁ」
しわがれた銅鑼声が、倉庫な中を木霊する。
―――男の正体は、件の施設から何時の間にか姿を消した人物。
玄華のかつての夫であり、一連の騒動の元凶となる人物―――施設長の『孫六』その人であった。
事態が己の手に負えないと判断したその時、彼は職員が姿を消した施設を見捨てて、単身ここまで逃れてきたのだ。
再びハッチを閉めると、運転席に乗り込み孫六はエンジンを始動させる。
重い駆動音と共にヘッドライトが点ると、白色のビームが夜道を染め上げた。
「何が『もう安心』だ!あの狸爺め・・・。この儂をハメよってからに!お陰で、手塩にかけた事業も全部おじゃんだ!!だが・・・儂を追い詰めるには、一手足りなかったなぁ!ぐわーっはっはははは!!!」
めいっぱいアクセルを踏み込むと、白い車体がぐんと加速する。
荒々しく小石を跳ね飛ばし、夜道をトラックが疾走し始めた。
施設長は今夜の騒動について、あの類人猿めいた老人―――真調が裏で糸を引いていると勘違いしている。
実際、『泥艮』と決戦を繰り広げた【イデア学園】は彼の人物がこの地に引き入れたので、ある意味でそれは間違っていない。
しかし、【学園】は未だ世間的には正体不明の新興勢力であり、それは施設長には与り知らぬ事実であった。
『泥艮』を襲った黒龍も、姿を消した職員達も。
全ては『既知対』に属する異能者による襲撃だと、そう思い込んでいたのだ。
そう判断した彼は、即座に逃げの一手を打っていた。
『既知対』は現代における獣狩り。
奴等に目を付けられた以上、この日本に安住の地は無いのである。
(いいぞ・・・。このまま、もう一つの隠れ家でセスナを拾って、国外へ脱出すれば―――!)
ぺろりと舌なめずりしつつ、男はハンドルを駆る。
彼の脳内では、密かに海外へ高跳びするまでのロードマップが既に出来上がっていた。
草むした未舗装の道から、アスファルトで覆われた街道へ繋がる辻が彼の視界に入る。
そこ目掛け、男は更にアクセルを踏み込み―――異変に気付いた。
いくらアクセルを吹かしても、雑木林の出口が一行に近づいてこない。
それどころか、トラックはその場から1ミリたりとも進んですらいなかった。
鮫のような白目がちな目をまん丸く見開き、孫六は素早く左右に視線を巡らせる。
その視界の端に、きらりと光る何かが映った、気がした。
「あれは―――うおおおおおっ!!?」
がくん、と身体に強い衝撃を感じる。
反射的に向いた右側のドアは、目の前でゆっくりと外側に向けて倒れてゆき―――どすん、と重い音を立てて地面の上に転がった。
何事か、と思う間もなく、凄まじい力で全身が横へ引っ張られる。
シートベルトが瞬時に弾け飛び、男の肥満体はロケットのような加速度で雑木林の中をスッ飛んで行った。
ばちばちと小枝がぶつかり、全身に絶え間なくひっかき傷を作ってゆく。
2度、3度、目まぐるしく方向転換をした末、再びがくん、と衝撃を感じ―――男は再び目を開いた。
薄暗い視界、ブナの若木が上から下へ、180度上下逆さまに生えている。
違う。
逆さ吊りになって、落ち葉の積もる林の中にぶら下げられているのは自分自身のほうだ。
異様な状況に戸惑いつつ、男はきょろきょろと太い首を巡らせる。
「糞、一体何が―――ッ!?」
悪態を付きつつ、己にこんな仕打ちをした何者かを探す。
はたして、その犯人はすぐに見つかった。
―――よれよれの厚手のジャケットに、くすんだ色のジーンズ。
白髪交じりの頭にちょこんと乗せられた山高帽の下には、小さな丸眼鏡が鎮座している。
年のころは50、いや60代といったところか。
年輪のように刻まれた皺からすると、更に年嵩の人物かも知れない。
男だ。
上背はそれなりにありそうではあるが、猫背のせいか正確な身長はわからない。
そんな人物が、落ち葉の上にちょこんと腰を下ろし、じいっとこちらを見つめていた。
「か―――『神喰らい』。織部、身供朗・・・ッ!!」
「せやで」
ぎくり、と男の姿を認めた施設長が、呻くように呟く。
一方。
丸眼鏡の男は素っ気なく、たった一言、今呟やかれた言葉を肯定した。
口角を上げ、白い歯を見せる。
―――この男のことを、施設長は知っていた。
忘れる筈もない。
この国で生きる全ての覚醒者にとって、その名は死刑宣告と同義だ。
片洲における騒乱にあたり、真調―――否、『既知対』は元々、【学園】の手を借りることを想定していなかった。
『泥艮』も、ミドロの戦士達も。
その全てを殺すに足りる戦力を、あらかじめこの地に呼び寄せていたのだ。
それがこの男、『神喰らい』である。
「い―――何時からだ。貴様の動向は、常に見張っていた筈・・・!!」
「ずっと、や。ワイはな、じぃっと息、潜めとるんは得意なんやで」
呵々、と笑い混じりに男は告げる。
何時、ではなく最初から、片洲の地に彼は潜んでいた。
その上で、事の推移を見守っていたのだ。
こうして―――首謀者が逃げ出す、その時まで。
「日本列島改造計画・・・。森を切り開き、アスファルトで山野を侵す国の計画は幾度となく、まつろわぬ神の反乱によって頓挫の危機を迎えた。荒ぶる神の息吹が吹きすさび、己の神域を汚す愚かなニンゲンをことごとく退けたからだ。だが・・・それももう、居ない!キサマが全て喰らったからだ!!それが、何故こんな片田舎なんぞに―――!?」
「本当はな。生成りとは言え海神が喰える、ちゅうてウッキウキで来たんやわ。それが何や、くたびれたオッサン一匹かい。はあ、萎えるわホンマ」
「・・・ッッ!!」
―――今を去る事、数十年前。
日本の各地で、公共事業が突如、不慮の事故により中断されるという事例が頻出した時期があった。
神域として、土地の者も誰も近づかなかったような場所。
そこを切り開き、道路や大型施設を建築しようとする計画が、原因不明の崖崩れや野生動物の襲撃により、ことごとく中止寸前にまで追い込まれたのだ。
原因は、その地に根ざす覚醒生物―――いわゆる『妖怪』の類である。
年経て、力と知恵を増した彼等は『土地神』と呼ばれ、己のナワバリを侵すものに例外なく鉄槌を下していた。
その解決に当たったのが、当時の『既知対』である。
歴戦の覚醒者達であっても、『神』を相手取るのは容易いことではない。
しかし、そんな中『神殺し』を嬉々として行い、その肝を喰らい、生き血を飲み干すという男が居た。
それが、織部身供朗。
人呼んで―――『神喰らいの織部』。
彼の嗜好は獣に留まらず、狂気に堕ち、血の味を覚えた覚醒者にも及ぶ。
故に、その名前は国によって排除されるに至った人間―――特に覚醒者にとっては、死刑執行人と同じ意味を持っていた。
「舐めるなッッッ!!!」
「さよか」
孫六は流れるような動作で、脇のホルスターから巨大な拳銃を抜き放つ。
黒い銃身が僅かな月明りを受け、ぎらりと凶悪な輝きを放った。
『デザートイーグル.50AE』。
彼が陸軍のツテで入手した護身用の拳銃である。
最強クラスの弾丸を撃ち出すいわゆる『象撃ち銃』の一つであり、孫六はこれを愛用していた。
肥満体からは想像もつかぬ程の動きで狙いを付け、一挙に引き金を絞ろうとする。
軍用アサルトライフルに匹敵するその威力は、目の前の丸眼鏡に風穴を開け、瞬く間に無力化してくれる筈だ。
しかし―――
弾倉に込められた銃弾は、発射されることは無かった。
孫六の上下反転した視界に、ぽろりと上へ落下する芋虫のような物体がよぎる。
それはたった今、根元から切断された彼自身の右手人差し指だった。
驚愕に丸く見開かれた両目が、そのまますとんと落下し―――
地面にぽっかりと口を開けた、深い穴の底へと吸い込まれた。
如何なる術か、孫六の太い首はすっぱりと鋭利な切り口を残し、根元から絶たれている。
びゅうびゅうと噴き出す赤黒い血潮は逆落としに穴の底へと降り注ぎ、周囲にすえた血錆の匂いが立ち込めた。
その様子を眺めていた丸眼鏡の男はしばらく経つと、よっこらせ、と立ち上がる。
未だ痙攣を続ける肥満体の側へと歩み寄ると、すっ、と片手を挙げる。
すると、孫六の肉体は穴の淵スレスレの位置にまでその高度を下げた。
―――男の指先には、きらりと光る一筋の糸。
それが先刻、孫六の首を切断し、今も200kg近い重量を支える『力』の正体であった。
「どれ、どれ・・・」
懐からナイフを取り出すと、慣れた所作で肥満体に突き立てる。
ふんふんと鼻歌交じりに解体を進めると、やがて男の掌には赤子の頭程もある、赤黒い塊が収まっていた。
未だ鼓動を続けるそれを―――顎が外れる程に開いた喉の奥へと押し込み、一息に呑み込んだ。
口の端から零れ落ちるドス黒い液体を、ぺろり、と青白い舌が舐めとる。
そのまましばし、瞑目していた男がふう、と小さく息を吐き出した。
「・・・普通」
落胆混じりの一言を最後に、孫六の肉体が痙攣を止める。
男が再び手を閃かせると、血の大半を失い軽くなった身体がずしん、と地面の上へと横たわった。
その傍らに、とん、と小さな物体が置かれる。
それは色とりどりの飾り模様が施された、長さ15cm程の筒であった。
筒の前にうやうやしく蹲ると、織部はぽつりぽつりと呪文のような呟きを始める。
「無明さま、無明さま。今宵のお供え物にございます。どうかお上がりくだされ―――」
ぶつぶつと呟かれる細い祈りに呼応するようにして、筒がぶるりと震える。
やがて、筒の端からひゅるり、と白く輝くモノが幾筋も放たれ、横たわる遺骸を覆った。
かりかり、かりこり。
無人の林に、小さな音が続く。
それをBGMに、男は夜天に登る銀色の月を見上げていた。
―――孫六の死を報せる、小さな記事が地方紙に載ったのは、その数日後のことだった。
今週はここまで。




