∥005-112 北海の大決闘・カーテンコール二
#前回のあらすじ:丸二日音信不通だった!どうする?コマンド
[真調視点]
「―――報告は、以上ですよぉ」
「そうか」
薄暗いオフィスの一室、ダークブラウンの執務机を挟んで、二人の男が向かい合っている。
一方は白髪混じりの髪をオールバックにした、大柄な初老の男性。
その目元には深く年輪のような皺が刻まれているが、スーツの下から布地を押し上げるがっしりとした筋肉は、たたき上げの警察官としての彼の経験を物語っているかのようだ。
それに対するもう一人の男。
こちらは前者とは対照的な矮躯と、どこか類人猿めいた締まりのない貌が印象的だ。
先程の場面でマル達の元を去った、あの奇怪な老人。
真調と名乗る人物、その人であった。
―――ここは都内にある、政府関係のオフィスが多数、存在するとあるビルの一角。
表向き上、この場所は動物衛生課―――獣害への対策を主な業務とする部署に、割り当てられている。
しかし―――その実体は異なる。
異能者、あるいは覚醒者―――
生物として『覚醒』し、超常の力に目覚めた生物を監視し、秘密裏にそれを管理することを目的とした組織。
既知概念凌駕実体究明・対策室―――通称『既知対』の本拠地といえるのが、この場所であった。
『覚醒』により、生物としてのタガが外れ、人の血を求めるようになった野生生物。
あるいは、力に振り回され犯罪を重ねるようになった人間―――『覚醒者』
それらを、『既知対』ではひとえに纏めて『害獣』として対処している。
それが故の農水省管轄であり、所属するエージェント達は皆、一騎当千の兵―――現代における獣狩り達であった。
中でも古く、組織の発足当初から在籍していると噂されるのがこの老人、真調である。
そして、それに相対しているのが現在の、『既知対』室長に当たる人物であった。
「それで、件の―――【イデア学園】。お前の目から見て、どう映った?」
「そうですねぇ・・・」
話題が【イデア学園】へと移る。
この日本の地に於いて新たに確認された、覚醒者集団と見られる正体不明の組織の事を、男はとりわけ問題視していた。
これまで全くと言って良いほど、同組織に関する情報は報告されていない。
それは彼等が、『既知対』の持つ情報ネットワークを欺き続けてきたか、あるいは完全にノーマークの新興組織であるか、その何れかであろう。
前者であれば潜在的な危険度が高く、後者であればその実態解明が急がれる。
どちらにしろ―――今、この国において最も注視すべき組織である事に違いは無かった。
「学園、というだけあって元気ハツラツ!という感じでしたよぉ?若い子達がい~っぱいでしてねえ。ボクチン、何だか活力を分けて貰った気分ですよぉ。・・・キヒヒヒヒ!!」
「いや、そうではなく・・・。組織としての危険性や、攻撃的な思想に染まっていないか、という話だが」
「おやぁ?そうでしたか?いやはや、トシを取ると察しが悪くなっていけませんねぇ」
「いや絶対ワザとだろう!?頼むから真面目にやれよな・・・もう」
老骨に鞭打って単身、件の組織と対面してきたという男の口から、謎に包まれたその実体がついに、語られる。
―――そう意気込んで放った質問の答えは、いささか拍子抜けなものだった。
百戦錬磨たる腹心の部下が見せるいつもの茶目っ気に、大柄な男はがっくりとうなだれ、長くため息をついた。
「ええ、では此処からは真面目に。―――結論から言えば、捨て置いても問題なし、でしょうな」
「ほう?だが例の情報提供者からは、数百の覚醒者が属する危険な組織、と報告されていた筈だが」
今そ去る事数日前、室長は独自のルートから【イデア学園】なる組織の存在と、その性質。
そして構成員だという日本在住の学生―――丸海人の情報を得ていた。
その折、情報提供者だという男とも対面し、確証の高い情報だと判断した、筈だ。
何故か、その時の記憶を思い出そうとすると、意識にモヤが掛かったような心持ちになるが―――
「数については、確かに。ですが多くは弱兵、脅威たりえる精鋭も一握りのみ、ですねぇ。イザという時も頭を押さえれば、鎮圧は用意でしょう。それに―――」
「それに?」
「ボクチンにはねえ。どうにもあの連中、対人戦闘を想定した組織には見えんかったのですよ」
「ほう―――?」
何時から生きているかもわからない、『既知対』きっての古株。
彼が零す言葉に、室長は興味深そうに呟く。
人が集まり、組織となるにあたって、そこには必ず『目的』が存在する。
学会であれば学問、スポーツ団体であれば属する競技の円滑な進行、運営―――と、いったようにだ。
真調の言を信じるならば、【学園】のそれは人間を対象とした戦闘ではないらしい。
―――と、言うならば。
それは一体、何の為の組織なのか?
「つまりは災害、あるいは覚醒生物。―――妖怪や、神話生物を相手取る事を想定した組織だ、と?」
「やも、しれません。・・・ま、あくまでボクチンの勘なんですけどねぇ?間違ってたらゴメンナサイ!許してチョンマゲ!」
「そこはちゃんと言い切れよ・・・全く。まあ、話はわかった。奴等に関しては今後も様子見を継続、コンタクトを取ったという学生には、今後も定期的に探りを入れてくれ。それでいいか?」
「お安い御用で。キヒヒヒ!これからも老骨ながらに、頑張らせて貰いますよぉ?」
「助かる」
人を相手とした戦闘を主としない―――
つまり災害救助や、危険な覚醒生物(ヒト以外の、覚醒により進化を遂げた野生動物)に対処する為の集団。
室長の立てた予測に、類人猿めいた老人はこっくりと頷きを返す。
―――先述のような組織は、この世界において実際に存在している。
ソヴィエト連邦、ツングースカ特異点の『独眼部隊』。
更には南極の『極地防衛軍』などがそれに当たる。
彼等は人知れず、超常現象を起因とする災害や獣害に備え、この薄氷の平穏を影ながら守り続けているのだ。
情報の裏取りは必要だが、この男の言葉が正しければ、【イデア学園】に向ける警戒の度合いを引き下げても問題ない可能性がある。
大柄な男は手元のメモに幾つか走り書きを書き留めると、真調の方へと視線を戻した。
「ひと先ずこれで、【学園】に関しては一段落だな。次は―――」
『―――アラアラ、それでは困るんですヨ』
「「・・・!?」」
薄暗いオフィスルームに、甲高い男の声が響く。
弾かれたように、二人は部屋の中へと視線を巡らせた。
つい先程まで、この部屋には彼等以外、誰も居なかった筈である。
果たして、声の主は―――居た。
真調の背後、ドアに背を預けるようにして、瘦身の男が一人。
燕尾服にシルクハット、吊りあがった口元には紫の口紅と、どこかピエロめいた様相の人物だ。
彼は大仰な仕草で帽子を取り礼をすると、深々と頭を下げる。
シルクハットで覆われていた頭頂部がこちらの目の前に来る。
そこは刈り取られたように、つるりと血色の悪い地肌が露出していた。
『挨拶もせず失礼。築野―――と、申しまス。そちらの方はお久しぶり、そちらの方は以後、お見知りおきを・・・』
「お前は、情報提供者の―――」
「おや、おやおやおや。これはこれはどうも、ご丁寧に!ボクチンも自己紹介した方が良さそうですねぇ?私、こういう者でして・・・。こちらこそコンゴトモヨロシク!キヒヒヒヒ!!」
『オヤオヤこれはどうも!ワタクシ名刺交換、大好きなんですヨ!それではこちらを・・・』
―――奇妙な男であった。
現在、この部屋には『奇妙』と表すべき怪人が既に一人居るが、それと比しても霞む事のない、強烈なキャラクターである。
しぐさの一つ一つがオーバーで、あたかもコメディ映画のワンシーンを見ているかのようだ。
絵面として見れば、笑いの一つも巻き起こりそうなビジュアルなのだが、何故か、直接目にして沸き上がる感想は『気味が悪い』の一言。
そんな不気味な男は、襟元から一枚の名刺を取り出すと、慣れた手つきでうやうやしく差し出した。
そこには『万金商事 総合取締役 築野』とのみ、シンプルに印字されていた。
「万金商事の―――築野さん。・・・何処かで、お会いした事が?」
『イイエ!誓って初対面ですとモ!ですがワタクシ、『既知対』のミナサマとは末永~~くお付き合い致したいです。の、デ!―――連中とはキッパリ、手を切って頂きたいんですヨ』
「連中、とは?」
『ソレハ勿論―――あの小娘が率いる、危険な危険な【イデア学園】の事です、ヨ♪』
男の声が寒々しく、遠くから聞こえてくるように響く。
室長はそれをどこか、夢見心地で聞いていた。
心地いい響きだ―――ああ、彼の言葉には耳を傾けなければならない。
「あぁ・・・。そう、だな。その通り、だ―――」
「殺しなさい」
『・・・ッッッ!?』
焦点の定まらぬ瞳で、道化めいた男へ恍惚とした視線を送る。
様子のおかしい室長の紡ごうとしていた言葉は、普段の様子からは想像も出来ぬ程に冷たい、部下の声によってかき消された。
次の瞬間―――
不気味な男の胸には、ぎらりと白く光る切先が生えていた。
否。
何者かが、男の背後から刃物を突き立てたのだ。
先程、この部屋には室長と真調、二名しか居ないと記したが―――それは誤りだ。
正しくは、三名。
類人猿めいた男に常に影のように付き従う、姿無き守護者がずっとそこに居たのだ。
「霊験あらたかな高僧による破邪の祈祷が、た~っぷり込められた特性の懐剣です。よぉく効くでしょう?」
『キ、サマ・・・!!』
「初めて見た時から、ど~~~うにも臭うと思ったんですよぉ。すえたような、滞った気のニオイ。貴方。どうやら、この世のものではありませんねぇ?」
口の端からごぼごぼと、コールタールのような血液ですらない何かを吐き出しながら、不気味な男がもがく。
白い手袋がとっさに胸の刃を掴むと、じゅう、と音を上げて純白の布地が黒く焦げ付き、抹香のような香りが部屋の中に広がった。
それをきっかけに正気を取り戻したのか、呆けていた室長は椅子を倒して勢いよく立ち上がると、きょろきょろと周囲を見回した。
「な―――何が起きた!?これは、一体・・・」
「曲者ですよぉ。いやはや、こんな所にまで入り込まれるだなんて。なってませんねぇ、室長?」
『グ・・・ゴガッ・・・!』
昆虫標本のように胸を貫かれ、もがく男へ歩み寄ると、真調は目を細めしげしげとその姿を観察する。
その瞳には青く、鬼火のような冷たい光が点っていた。
「―――に、しても。解せませんねえ。並みの怪異なら、刺し貫かれた時点で霧散していてもおかしくないんですが。貴方―――いったい何人居るんですかぁ?」
「何だと・・・?」
『グ・・・舐める、なヨ―――!!』
「おおっと!」
ピエロめいた怪人が絶叫を上げる。
次の瞬間。
人の形を取っていた『何か』は弾け飛び、墨のように周囲の床へと広がった。
じゅう、と音を上げ床材を浸食する、『よくないモノ』に一早く気づくと、真調はすかさず一枚の札を取り出し、足元へ叩きつけた。
―――閃光が広がる。
眩い光が収まった時には、二人の前にはうっすらと燐光を放つ、光の壁が生じていた。
その表面に浮かぶ梵字を呆然と見つめながら、大柄な男はうわ言のように呟く。
「・・・今のは?」
「裏高野謹製の霊障避けの護符です。こ~んな事もあろうかと、持ってて良かったですねぇ。あんなばっちいの、直接触りたくなんてありませんから。・・・チミも、無事なようで安心しました」
にっこりと好々爺めいた笑みを浮かべると、何もない空間へと笑いかける老人。
奇妙な光景だが、恐らく、例の姿の見えないボディーガードであろう。
室長は一つ嘆息すると、結界を避けるようにして床にわだかまる、泥めいたものへと視線を向けた。
「・・・それで。結局あれは―――何なんだ?」
「いやぁ、ボクチンにもさっぱり。そういう訳でしてぇ・・・、教えて下さいませんかねぇ?」
『―――我が名はレギオン』
猿めいた老人から藪から棒に向けられた質問に、泥が応えた。
記憶が定かならば、それは聖書の一節に記された、悪霊の名を示すという言葉である。
そうとだけ言い残すと、菫色の燐光をその場に残し―――消えた。
後には、煤のような得体の知れぬ汚濁に塗れた床のみが残されていた。
「・・・どうやら、知らない内に事態は動き始めているらしい」
「ですねぇ」
二人はしばし、怪人が消えた一点を見つめた後、ゆっくりと互いに顔を見合わせる。
外では曇り空が晴れたのか、ブラインドの隙間から幾筋もの陽光が、部屋の中へと差し込み始めていた。
その内の一筋が当たると、床に残された黒いシミは次第に薄れ、元のクリーム色へと戻ってゆく。
その様子を見つめながら、真調は今しがたの出来事と、【学園】。
両者の関係性について、改めて考えを巡らせるのであった―――
今週はここまで。




