∥005-104 決着、そして
#前回のあらすじ:勝った!!!
[泥艮視点]
(何ガ、起キタ―――?)
刹那の間、『泥艮』は思考する。
既に彼の上半身は左右に割断され、その命の灯も間も無く尽きるであろう。
その原因となった『モノ』―――白亜の大剣を携えし巨人は見事、千載一遇のチャンスを逃さず強大な敵を撃ち果たしたのだ。
だが―――それは本来、在りうべからざる出来事であった。
大剣が届くよりも一歩早く、逃げ場のない空中にて彼の操る円刃に『デモクラシア』は貫かれ、そこで勝敗は決する筈だった。
しかし、背後から襲い来る円刃が石造の巨人に到達する直前、見えない力によって攻撃が逸らされた―――ように見えた。
(莫迦ナ、在リ得ヌ。彼奴等ニハアノ一撃ヲ防グ手立テナド、アリハシナカッタ筈ダ―――)
巨人の自問自答は続く。
幾度振り返ろうとも、あの時起きた出来事の正体が一向に掴めない。
それもある意味、仕方のない事ではある。
何故なら、あの時―――
『泥艮』が放った水刃の前に立ちはだかった水の防御壁には、とある概念が付与されていたのだ。
それは―――『摩擦係数の滅却』。
あの土壇場において、マル少年は直感的なひらめきから、水の防壁に『あらゆるものを無限に滑らせる』性質を込めていた。
―――刃物による切断のメカニズムには、大きく分けて二つの要素が存在する。
刃の接触面を細く、小さくすることで、切断する物体にかかる重圧を大きくする『圧断』。
そしてもう一つが、刃物を押し引きする際発生する『摩擦による切断』である。
鋭利な刃物の切っ先を拡大すると、ノコギリ状の凹凸が細かく並んでいる構造が見て取れる。
これが高速で接触することにより、物体を削り取ると同時に摩擦熱で分子結合を断ち切るのだ。
それを、真正面から受けずに反らすことで威力の大半を逃がし、『デモクラシア』は間一髪で難を逃れたのである。
無論、水圧による切断を原理とする『深淵刃』と、金属の刃物とでは多大に異なる点はある。
・・・が、【神力】の行使において、大切なのはイメージだ。
実際、マルの行動はそこまで原理を把握した上でのものではなく、『水に濡れて刃が滑る』イメージを防壁へ込めただけであった。
その強固なイメージが、『デモクラシア』の力で増幅された結果、水刃の切れ味を上回ったのである。
無論、その事を『泥艮』は知る由もない。
今はただ、体中から失われてゆく力と体温を、消えゆく意識の残り火で感じ取るのみ。
そんな中、彼へと呼びかける誰かの声が、彼の消えかけの意識へと届いた。
『誰・・・ダ・・・?』
「アタクシよぉん。随分な有様になっちゃったけれど、調子はどう?どこか痛む所は無いかしらぁん?」
『母、上―――』
声の主はコート姿の怪人物―――こと、玄華孫六であった。
次第に暗くなってゆく視界に映る母の輪郭に、彼はゆっくりとその指先を伸ばす。
「・・・負けちゃったわねぇん」
『面目・・・次第モ・・・ゴザイ、マセ、ヌ・・・』
「いいのよぉ。負けたって何があったって、残されるものはあるもの。アナタにはこうして、アタクシがついててあげるわ」
大木のように太く、ごつごつと節くれだったその肌を慈しむように、ゆっくりと撫でる。
その体温が、急速に失われつつあることを孫六ははっきりと感じ取っていた。
子守歌を奏でるように、コート姿の人物は言葉を紡ぐ。
「どれだけ姿形が変わろうとも、変わらないものはある。アタクシとアナタは血を分けた親と子よぉ」
『アリ、ガ、ト―――』
「アタクシのベイビーちゃん。最後まで一緒よ」
―――巨人の体から、命の灯火が消える。
それと同時に、巨体を両断した傷跡に残留していた白亜の光が弾け、周囲を光の爆裂へと巻き込んだ。
白く染まる景色に、『泥艮』の巨体が、それに寄り添うコート姿が、全てが塗り替えられていく。
そして―――
・ ◆ ■ ◇ ・
そして。
『彼』は再び目を覚ます。
頭上にはどこまでも広がる青空と、白く筋状に伸びる雲が続いていた。
意識を取り戻した彼は、それをただひとすらに見つめていた。
(ココハ・・・何処ダ?)
霞が掛かったような意識に、ふと疑問が生じる。
視線を下ろすと、視界の彼方にうっすらと、水平方向に続く『壁』のようなものが微かに見える。
更に視線を下ろすと、遠方に広がる森の緑と平原、そして色とりどりの瓦で彩られた家々が続く。
―――つい先程までとは、あまりに違う光景。
何もかもが突然の状況に、『泥艮』は意識が急速に覚醒すると同時に、驚きのあまり完全に硬直していた。
(我ノ身ニ、何ガ起キタ?皆ハ・・・?)
混乱する意識は答えを求め、視線を更に移ろわせる。
閉じることのない眼はぐるりと動くと、眼下に広がる石畳と、遠巻きにこちらを伺う群衆の姿を映した。
両者の視線がぶつかると共に、群衆の中からどよめきが上がる。
同じく呻き声を上げそうになった所で、肩口へぴょんと躍り出た人影に気付き、彼はその名を小さく叫んでいた。
「はぁい」
『―――母上ッ!?』
「お目覚めかしらん?無事に着けたみたいで良かったわぁん。―――あぁ、言っておくけれど、あの世や来世じゃ無いわよ、ここ。・・・ある意味似たようなモノだけど」
それは、彼の生みの母であり、今となっては父でもある人物―――玄華孫六その人だった。
今はあの、重苦しいコートを脱ぎ捨て、樽のような腹を惜しげも無く陽光の下に晒したままだ。
巨体に並ぶ突起を足場に、リラックスした様子で佇む母。
その様子に危険はないと見て取り、彼は周囲に対する警戒の度合いをいくらか引き下げた。
『母上。此処ハ一体・・・?貴女ハ何カ御存知ノヨウデスガ―――』
「はいはーい。それには私、ヘレンちゃんからお答えしちゃいますねー?」
『・・・!?』
胸の内に渦巻く疑問をようやく口に出したその時。
突如として、どこからともなく少女の声が響く。
かと思えば、中空に忽然と純白のサマードレスを纏った人物が現れていた。
少女だ、それも若い。
肌は浅黒く、体つきは華奢でほっそりとしている。
それでいて、その全身には太陽のような溌剌とした活力と、未知のエネルギーが満ちているように見えた。
肩口までのショートカットが、くるりと空中で姿勢を変える動きに合わせふわりと広がる。
丁度、彼の視線と同じ高さで静止すると、ヘレンと名乗った少女はにっこりとこちらに笑いかけてきた。
「―――【イデア学園】へようこそ!我々は『深泥族』の皆さんを歓迎します。どうやらバトルも白熱してたみたいで、中々来ないからやきもきしちゃいました!お二人が一番最後だったんですよ?」
『最後、トハ―――?』
無邪気そのもの、といった様子の少女に、思わず面食らったままにその言葉尻をオウム返しに呟く。
それに答えるように、周囲に広がる人だかりの一角から、聞き覚えのある声が耳に届いた。
『オォー・・・イ!』『我等ガ祖霊ーー!!』
『コノ、声ハ。同胞ノ・・・!?』
「あそこよぉ。見てみなさいベイビーちゃん、皆、手を振ってるわぁん」
『郷ノ皆・・・、ソレニ、戦士長マデ・・・!皆、命ヲ落トシタ筈デハ!??』
見れば、水棲生物の特徴を持つ『深泥族』の者達が、こちらに向かい手を振りながら駆け寄ってきている。
あっという間に彼の足元には、平目顔の集団が出来上がっていた。
その中に、彼が師と仰ぐ古兵の姿を見つけ、思わず安堵の息をつくと共に新たな疑問が沸き上がる。
それを口にすると、眼前の少女は口元に指を当て小首を傾げて見せた。
「それにお答えするにはですねえ、『そもそも何の為に戦っていたのか?』という所から、ご説明しないといけないんですよねー」
『ソレハ、郷ニ帰ロウトスル我等ニ対シ、立場ノ違イカラ止ム無ク―――』
「違うわよぉん。確かにそれっぽく口上を述べたけれど、本来の狙いは別。あれは全部、デモンストレーションだったの」
『何、ダト・・・!?』
「もしくは、お兄さんみたいに『プロレス』と表現してもいいですよー?お気づきじゃ無かったかもしれませんが、あの戦いの場には皆さんの他に『観客』が居ました。そのヒト達にそれとなく我々の戦力を開示して、無理なく『深泥族』の皆さんに退場して貰う必要があった訳ですねー。・・・まあ、後半部分はとあるヒトの希望で付け足した訳ですけど」
つい先程までの激闘。
それが全て、『誰か』に向けたアピールの場だったと明かされ、思わず絶句する。
―――彼は知る由もないが、あの時、ぶつかり合う【イデア学園】と『深泥族』を観察する、一人の老人が居た。
真調と名乗る、類人猿じみた奇妙な風貌の人物である。
政府直属の異能管理団体に属するという彼の目を通し、二つの勢力はつぶさに観察されていたのだ。
それに気付き―――あるいは、意図的にそうなるよう誘導した結果が、今の状況である。
その事実に愕然とすると同時に、心のどこかでそれを納得する自分が居た。
今、目の前に浮かぶこの少女。
その外見からは想像も付かないが―――己と同じ、『大いなるもの』。
真なる神として、覚醒を果たした存在である。
彼はそれを、一目見た瞬間から直感的に理解していた。
己と同格の存在が口にした言葉だからこそ、たった今知らされた信じがたい話も、すんなり事実として受け止める事が出来た訳だ。
青空に浮かぶ少女は語る。
片洲の町を舞台とした、大がかりな茶番劇の舞台裏を―――
今週はここまで。




