∥005-95 集団戦・第二十五幕
#前回のあらすじ:ここは任せて先に行きな!
[マル視点]
―――猫吸い、という言葉がある。
巷のにゃんこを愛する少々アレな方々の間で囁かれるスラングであり、そのアレな愛情表現を『吸う』という行為を以て表現するという・・・。
まあ、いわゆる奇行だ。
それが今、ぼくの目の前で行われていた。
「んすぅーっ、んふすぅーっ。・・・うへぇえへへへへへ」
『・・・・・・』
簡素な白のバンの中では、茶虎の毛並みに鼻先を埋めたぼくの後輩こと、羽生梓が緩み切った顔で微笑んでいた。
喫猫に夢中なのか、彼女はぼくが近くに居る事なぞちっとも気付いていない。
その手の中には、小柄な一匹の猫が微動だにせぬままに、ちょこんと収まっていた。
ぼくの身内であり、『こちら』における飼い猫でもある猫又のりんだ。
奇行の当時者は言わずもがな、小猫の方もまた、どちらもぼくと親しい間柄である。
当然、ここは声でも掛けてしかるべき場面なのだが、ぼくは思わずそれをためらってしまった。
親御さんが目撃したらさぞかし嘆くであろう、乙女らしからぬ醜態を見られたと知れば、いくらあーちゃんがアレと言えど、深く傷つくかも・・・知れない。
―――見なかったことにしよう。
ぼくは数舜考え込み、そうと決めると開きかけのドアをそっと閉じようとして―――
どこか諦めきった表情の小猫と、ばっちり目が合った。
『うにゃにゃ~~~~~!!!』
「わわっ!?ちょっ、待って―――!?」
「・・・うわひゃあ!?」
ぼくの姿を認めたその瞬間、急に暴れ始める小猫。
突然の出来事に反応できず、目を丸くした少女の腕の中からするりと抜け出すと、シートの端に着地する。
・・・かと思えば、りんは素晴らしい跳躍力で一気に飛びあがると、ぼくの顔にべったりと張り付いてしまった。
急に目の前が真っ暗になり、わけもわからずぺたんと尻もちを付いてしまう。
目隠しされた状態のまま、ぼくは手探りで顔を覆うものを引っぺがした。
目の前には、少しうるんだ二つの緑の瞳が見つめ返していた。
「びっくりしたぁ・・・。りん、きみもお留守番ありがとう。でも、急に飛びつくのはやめてね?」
『にゃあ』
「うう・・・。猫ちゃん~、何処行ったの~?―――あ、先輩だ」
『・・・!!』
一方。
りんに逃げられた我が後輩はふらふらと戸口から姿を表すと、ぼくの姿を認めてぱちくりと目を瞬かせる。
その声にびくりと背筋を毛羽立たせると、彼女は途端にぼくの背に隠れてしまった。
そのまま顔を半分だけ出し、警戒心全開であーちゃんを睨みつけている。
そんな小猫の姿を数舜見つめた後、ぼくは呆れ果てた視線を彼女へ向けるのだった。
「あーちゃん。・・・一体何やってんのさ?」
「う"っ。で、でも、だって・・・」
「デモもストもありません。おりんちゃんが怖がってるじゃないですか。駄目でしょ?そうやって嫌がる相手に無理やり迫ったりしてると、そのうち本当に嫌われちゃうよ?」
「そ、それはヤダっ!・・・でもこれはその、好きが溢れちゃっただけというか。えっとぉ―――」
『・・・(ジロリ)』
「うぅっ!」
たしなめるようなその一言に、眉を八の字にすると、がっくりとうなだれる梓。
その眼の端にはちょっとだけ、涙の玉が浮かんでいる。
彼女も流石に嫌われたくは無いのか、ぼくと背後のりんの間とを交互に見つめると、情けない声を上げるのだった。
それをジト目で睨んだまま、『もっと言ってやれ』とでも言いたげな表情で頷く愛猫の姿に、ぼくは思わず苦笑を浮かべる。
「全く、もう・・・。ホラ、おりんちゃんにごめんなさい、は?」
「はぅ・・・ごめんなさぁい」
『・・・にゃあ』
「よくできました」
りんの方もそこまで気にしていなかったのか、あっさりと許してくれた。
素直に謝罪の言葉を述べた少女に向かい、彼女は小さく鳴いて応える。
ぼくはそれを見届けると、よっこいしょ、と勢いを付けて立ち上がった。
その動きに合わせ、りんはぴょんとぼくの肩へ飛び乗り、後ろから頭の上へとよじ登り始める。
「あいてててて。おりんちゃん爪、立てないで!・・・そ、それはともかく、あーちゃん。ぼく等もそろそろ動くよ?」
「は~い。・・・あれっ?でもでも、あたしたちが前に出るのってマズいんじゃなかったっけ?確か、ツジツマが合わなくなる、とか―――?」
「そうそう。ぼくたち二人と、犬養さん達は死に役じゃないからね。―――でも、それももう終わり。ここから先はクライマックスまでまっしぐらだ。―――さあ、乗って!」
「うん!」
白のバンの運転席側に回ると、ぼくは車内に勢いよく乗り込む。
隣からはぼくと同じく、あーちゃんが乗り込んだ音が響いた。
それを聞きながら、ぼくは運転席のパネルに目当てのものを探す。
―――果たしてそれは、オーディオ関連のスイッチが並ぶ端に存在した。
かちり、と指先に手ごたえを残して、スイッチの一つに光が点る―――
・ ◇ ■ ◆ ・
「―――マル君。君にはこれから、一つ準備をして貰います」
「・・・え、今からですか?」
「えぇ、今からです」
それは今から数分前。
未だ出来上がったスロープを通して国会議事堂の屋上へと、大量の避難民が続々と登り続けていた時のことだ。
叶くん達といの一番に、屋上へと乗り込んでいたぼくは、スロープの制作者である精悍な青年―――犬養さんから話しかけられたのだ。
出し抜けに告げられたその一言に、ぼくはきょとんとしたまま首を傾げる。
青年は疑問の声ににこやかに応じると、足元に見える一角―――開戦の時にも見た白のライトバンを指差した。
「最後の仕上げの為に、君にはあれをとある場所まで運んで頂きたいのです。君と同じく、結末まで残る必要のある彼女には、先に車内で待機して貰っています。合流して、二人で向かってください」
「ち、ちょっと待ってください。・・・ぼく、車の運転なんて出来ませんよ!?」
「そこはご安心を。車の形こそしていますが、あれはあくまで私の異能で創り出したモノです。フロントパネルのスイッチさえ入れて貰えれば、後はこちらで遠隔操作しますとも」
「そ、それなら、まぁ・・・?」
言い渡されたその内容に、免許証未所持を理由に断るぼくだったが、どうやら運転について心配する必要は無いらしい。
急な展開に若干釈然としないものを感じつつも、こくりと一つ頷く。
それを見てうむ、と鷹揚に頷くと、犬養青年は再び口を開くのだった。
「良かった。君の異能なら下への移動も簡単でしょう、ここから先は時間との戦いです。―――頼みましたよ?」
「わかりました。・・・メル!」
『・・・!!』
青年と互いに頷き合うと、ぼくは短く呼びかけを行う。
行く手の虚空に淡い光が生じると、それは次の瞬間に紺碧の輝きに包まれた、不定形の水塊へと変じていた。
物言わぬ無形の【神使】は主の意図を瞬時にくみ取ると、眼下に広がる地表へと降下する。
次の瞬間には瞬く間に、巨大な水玉へと姿を変えるメル。
既に屋上の端へと走り出していたぼくは、勢いよく空中へと飛び出すと、即席のクッション目掛けて落下を始めるのだった―――
・ ◆ ■ ◇ ・
そして―――現在。
車外では、未だ逃げ遅れた人達が続々とスロープを目指し、決死の逃走を続けている。
『泥艮』の攻撃が障壁とぶつかるまで、もはや時間の問題。
・・・今の状況はそんな感じだ。
一方のぼく達はと言うと、スピーカーを前に二人して耳をそば立て、聞こえ始めた青年の声に神経を集中させていた。
『(ザザッ)―――待っていましたよ。お二人とも、ちゃんと揃っていますか?』
「はい!」
「いるよ~」
『なうー』
『それは重畳。では、早速ですが出発しましょう。お二人とも座席にしっかり座って、シートベルトをきちんと付けてください』
二人(と一匹)の前で、スピーカーは青年の声でそう告げる。
かちり、とベルトの金具を留めると、ぼくらは再び前へと視線を戻した。
そのタイミングで、頭の上から重みが消える。
すとんと小さな衝撃を感じると、膝の上には茶虎の小猫が座り込んでいた。
そのまま彼女が伏せの姿勢を取った後、見計らっていたかのように、小さな振動音が車体を揺らす。
白くヘッドライトを点し、ライトバンはゆっくりと滑るように移動を始めた。
スピーカーから再び、青年の声が響く。
『ご協力に感謝を。これより君達には、最終決戦に備えて待機場所まで移動して貰います」
「わ、動き出した。・・・待機場所、って?」
『言わずともわかりますよ―――すぐにね』
「壁が、開いて―――!?」
走り始めたライトバンは、議事堂の裏へ回り込むと、丁度正面の真浦にあたる辺りで進路を変える。
その先では、石壁が左右に割れ、真っ黒な開口部が姿を表していた。
ためらいなくその中へと進み、白い車体が出来立ての出入口へと吸い込まれる。
ライトにより僅かに確保された視界が、黒一色へと塗り替えられた中を進んでゆく。
異様な状況に何となく圧倒され、ぼくらが黙りこくる一方。
車はしばらく直進し―――止まった。
「こ、ここが終点?―――うわぁ!?」
『フーッ!!』
「エレベーターだ!どこに行くんだろ・・・?」
がくん、と急に身体を襲った衝撃に、ぼくは何事かと周囲を見回す。
りんが威嚇の声を上げる一方、あーちゃんはマイペースにこの状況を楽しんでいるようだった。
僅かな浮遊感。
暗闇の中、まるくライトに照らされた構造物がゆっくりと下に流れてゆく―――昇っている。
長いようで短い時を暗闇の昇降機で過ごすと、次に揺れを感じた後、目の前には縦に一筋、光が走った。
否―――開いている。
光と感じたのは、左右に開く扉の向こうに広がる、信じられないような光景であった。
それは―――
今回はここまで。




