∥005-92 集団戦・第二十二幕
#前回のあらすじ:なんとか防げたっぽいけど二次被害がヤバそう
[叶視点]
「ハァ、ハァ・・・ハァ。た、助かっ、た―――?」
「ちょっと!ねえキミ、大丈夫なの!?」
浅く息を付きつつ、両足を踏ん張り崩れ落ちそうになる身体をなんとか支える。
がくがくと生まれたての小鹿のように震える様子を見かねたのか、背後から伸びた誰かの腕がボクを掴んだ。
覚醒者特有の怪力でぐい、と引っ張り上げられる。
ぐるりと回った視界に一瞬、くらりと眩暈を感じて思わず目を瞑った。
もう一度目を開いた時、視界の中には心配そうなグレイの瞳がじっとこちらを覗き込んでいた。
先程、『伏龍の盤』を通じて各地との連絡を取り始めた時から、何かと手伝ってくれている人達の一人だ。
彼女を心配させまいとして、ボクは笑顔を返す―――が、うまく笑えていない気がする。
もっとしっかりしないと・・・。
「だ、大丈夫、です・・・多分。ちょと、足、力入らなくって・・・」
「きっと【神力】切れだわ。うちもちょくちょくなるけど辛いのよね、あれ」
ひどい疲労感のせいか、若干呂律の回らないまま答えたその言葉に、少女は小さく安堵の息を吐く。
その背後では、血のように赤く染まった光のヴェールが卵の殻を割るようにして、細かくひび割れながら上端の方から消え始めていた。
つい先程、ここを襲った巨大な怪物―――『泥艮』の攻撃。
それを辛うじて受け止めることには成功したが、無理が祟ったせいか、障壁はついに限界を迎えてしまったようだ。
現在地となる国会議事堂めいた建物の屋根から、前面を覆うように広げられたそれは、役目を終えた今、ゆるやかに消滅の一途をたどっていた。
「それにしても・・・。まさか本当に受け止めちゃうだなんて。全く、キミには何度驚かされるのやら・・・」
「そ、そんなこと無い・・・です」
ボクに倣い、ちらりと背後を振り返った少女は、ゆるやかに消失を続ける『静寂の帳』をしげしげと眺め嘆息した。
彼女にとっては何気ない一言だろうが、褒められ慣れていない叶にとっては少々、刺激が強い。
たぶん今、ボクの顔は耳まで真っ赤になっているだろう。
羞恥からさっと俯くと、ぼしょぼしょと謙遜にもならない呟きを漏らす。
外部との交流が増え、若干ましになっていた人見知りがここへ来て、ぶり返し気味のようだ。
こういう時、それとなくフォローを入れてくれた小さな友人の姿が無性に恋しい。
―――が、何時までも甘えてばかりはいられない。
一人でも頑張るぞ、と決意を固め、密かに拳を握りしめる。
その時、だしぬけに少女の素っ頓狂な叫びが上がり、叶はわたわたと握りしめた手を後ろに隠すと視線を上げた。
「・・・って、いっけない!ねえキミ、今すぐあの光の壁、元に戻せないかな!?」
「ええっ?で、出来なくはないですけど・・・。また急に、どうして―――?」
「あれ!見て、折角止めたのに・・・。海水が入ってきちゃう!」
「あれは・・・いけない、水が!」
少女が指さした先では、渦巻く濁流が崩壊する障壁の向こうから垣間見えていた。
先刻、『泥艮』が放った水塊と障壁がぶつかり合った結果、現在、本拠地周囲には大量の海水が氾濫していた。
国会議事堂めいた建物の屋上を中心として、海側をカバーするように生じた障壁。
これまではそれが海水の侵入を押しとどめていたが、崩壊によってここは再び、水没の危機に晒されていた。
「じ、じゃあもう一度―――う、くぅっ!!」
「大丈夫!?」
両手を突き出し、体内の【神力】を練り上げようとして―――
ずきん、と走った痛みに思わずよろめく。
再び崩れ落ちそうになった華奢な身体を抱き留めると、少女は蒼白になった顔を覗き込んだ。
端正な顔には冷や汗が浮かんでいる、見るからに苦しそうな様子であったが、なおも少年は掌を掲げ続けた。
「大丈夫、です。・・・やれます、ボクが、やらないと・・・!」
「無茶よ!【神力】切れで苦しい筈なのに、何でそこまで頑張れるのよ・・・?」
「お姉ちゃん―――」
「えっ?」
ぽつり。
少年が零した言葉に、少女は思わず聞き返す。
その時脳裏に浮かんだのは、唯一の肉親であり、親代わりでもある女性の後ろ姿であった。
幼少の頃より彼の守護者であり、今は何故か、冷たく拒絶するようになったあの人の、面影。
それを思い浮かべながら、少年は独白する。
「たった一人の、家族が居るんです。ボクにとってあまりに遠くて、眩しい人が・・・。こんなボクでも同じ血が流れてるんだって、家族なんだって、誇れるように。そんな、自分でありたいと―――そう思うから」
「キミ・・・」
頑張れるんです、そう囁く姿に、少女は思わず息を飲む。
理由は、いつだってシンプルだ。
一度は諦め、小柄な友人の助けでもう一度目指した、あの場所。
―――姉さんの隣に立つ自分に、なりたい。
自らの想いを語ったその姿を、少女は眩しそうに見つめていた。
眼を細め微笑むと、やがてぽつりと呟く。
「―――お姉さんのこと、大好きなのね」
「えっと、・・・はい」
「そっか。・・・ちょっと待ってて」
「?」
「確かここに―――あった!」
なんだか気恥ずかしくなり、俯いてもじもじし始めた少年。
それに対し、一言断るとポーチの中をごそごそと探り始めた少女。
無言に耐えられなくなり、ちらちらとその様子を伺っていると、だしぬけに少女は小さく叫びを上げる。
掌に収まる程の小さな竹筒を探り出すと、彼女は元気よく頭上に掲げて見せた。
それを前に首を傾げていると、ずい、と先程の筒が眼前に突き出される。
「キミ、これ飲んで。今すぐに!」
「ええっ?」
「『霊水筒』よ。ちょっとだけ【神力】が回復するの。こんなこともあろうかと、以前買って仕舞い込んでたのよね。・・・さあ、ぐいっと一気に!」
「うぅ。わ、わかりました・・・」
取り出したのは、RPGめいた怪しげな回復アイテムであった。
胡散臭さ満点のそれを手渡され、筒と少女の顔とを交互に見つめる叶。
少女の方はそんな様子には気付かぬようで、満面の笑みとともに筒をあおるジェスチャーをしている。
元来押しの弱い少年に断る勇気なぞある筈も無く、ついに観念するとくぴくぴと筒の中身を飲み下すのだった。
・・・少し苦い。
「どう?」
「えっと。・・・少し、身体の内側が暖かくなったような―――?」
「効いてきたみたいね。・・・たとい効いてなかったとしても、もう時間がないわ!キミ、今ならやれそう?」
「ありがとうございます―――やって、みます!」
ぬるい液体を飲み干した後、胸の奥で小さな火が灯ったような感覚を覚える。
ほんの少しだが、全身を覆う倦怠感が紛れたような気がした。
眉唾物の水薬だが、どうやら本当に効果があったようだ。
・・・今なら、出来るかも知れない。
少年はひとつ頷くと、崩壊を続ける光のヴェールを見据え、再び掌を突き出す。
星空の下、透き通るような声が響き渡った。
「『静寂の・・・帳』ッ!!」
視界の中、罅割れ剥離してゆく光の幕がゆっくりと明滅する。
渦巻く黒い水のほんの手前、僅かに侵入を押しとどめるだけの高さを残して、障壁はその動きを止めた。
息をのみ、事の推移を眺めていた群衆の前で、とうとう気力を使い果たした少年は、石造りの屋根の上へ後ろ向きにへたり込む。
慌てて駆け寄る少女の前で、へにゃりと満足げな笑顔を浮かべた叶は、意識の手綱を手放すのだった―――
今週はここまで。




