∥005-65 救出、暗転、第二幕へ
#前回のあらすじ:
[泥艮視点]
『居ナイ―――』
見上げるような巨体を窮屈そうに屈めて、粗末なアパルトメントの中を覗き込む。
職員用宅地一帯はしんと鎮まり返るっており、夜間という状況を差っ引いても、人の気配というものが全く感じられない。
ここは山間に存在する、ゴミ処理施設の敷地内。
先程の戦いが繰り広げられた、玄関口の辺りからは幾分離れた一角にあたる。
職員向けの住居が集まるこの辺りには、巨人―――
『泥艮』の目的となるものが存在する筈であった。
しかし、灯りの落とされた建物はもぬけの殻。
巨人の目的―――
すなはち、同胞である『深泥族』はここには居ない。
では、同胞たちは何処へ行ったのだろうか?
低く唸りを上げ、怪物は思考する。
居るとすれば、この敷地内の何処かであろう。
これまでの経験から、それは恐らく間違いない。
そもそも、『泥艮』がこの地に姿を表した目的は、片洲の地下―――
片洲深都より姿を消した、同胞たちを探し出し、故郷へと連れ帰る事である。
奇病の治療の為、金銭を必要としていた同胞達は何者かに言葉巧みに誘い出され、この地に半ば監禁されて働かされているのだ。
そして、下手人の正体はこの施設の長であり、郷の逸れ者でもある人物。
―――つまり、かつての同胞である。
今は袂を分かったとはいえ、一時は共に郷で過ごした者。
それだけに、一族の者を拐せばどうなるかは、相手も承知の上なのであろう。
これまで、幾度となく同胞を取り返しに来た『深泥族』に対し、施設側は同胞達の隠し場所を変え抵抗していた。
対する『深泥族』も、手分けしてそれを見つけ出し、両者の争いはイタチごっこの様相を呈している。
今回もまた、やるべき事は変わらない。
『母』の情報によれば、先んじて施設内部へ侵入した別動隊が、地下から同胞の居場所を探る手筈になっていた。
「・・・!」「―――!!」
―――遠方より、人の気配と複数の靴音が近づいてくる。
こちらの居場所は、既にバレているという事であろう。
巨人はいつでも走り出せるよう身を深く沈め、その『時』を待った。
そして―――
『アレハ―――!』
遠目に見える建物の一つに、不規則にオレンジ色の灯りが明滅する。
それをじっと見つめると、次の瞬間には地を蹴り、移動を始める巨人。
地響きを上げて、高層ビルにも匹敵する質量が疾走する。
敷石を砕き、道端の並木をへし折り、大地を踏みしめなおも進む。
遅れてその姿に気づき、周囲より銃火の雨が降り注ぐが―――
それを意に介さず、ある一点を目指し、『泥艮』はひた走るのであった。
・ ◇ □ ◆ ・
[深泥族視点]
施設長の必殺兵器が敗れ、同胞を求め巨人が敷地内を疾走していたその頃。
時を同じくして、敷地内に無数に存在する建屋の一室へ、とある一団が集められていた。
薄暗い室内に居並ぶのは、作業着に身を包んだ20代~40代の男女たち。
その誰もが、施設が存在するこの地方特有の奇形―――
平目顔の相貌、脚の変形、マズルのように突き出た鼻先・・・といった、奇妙な特徴を備えていた。
それはかつて、海底の都に暮らし、奇病に見舞われた同胞を救うため、地上へと進出した者達―――
『深泥族』の面々である。
この場に居るのは一様に、地上における『深泥族』の拠点へと集った後、とある人物の手引きによって行方をくらませていた者達であった。
彼等は、施設長の使者から良い働き口があると聞かされ、秘かにこの地へと集められていたのである。
そして、彼等を待っていたのは施設での労働と、半ば軟禁状態での生活だった。
―――山間にあるこの施設は、日本各地の原発から放射性廃棄物を集め、秘密裏に処理することを目的に存在する。
地層処分など、然るべき処置をされるべき『汚れたゴミ』を、人知れず海底へと投棄する為だ。
本来であれば、高レベル核廃棄物の処分には、莫大な費用が必要となる。
ここではないどこかの日本を例に挙げるのならば、ガラス固化体とTRU廃棄物の処分費だけでも約四兆円(2020年度計)が必要となる程だ。
それを―――より安価で、非合法な手段によって置き換える。
地層処分を、海洋投棄へ。
莫大な予算を、輸送費と加工費―――そして人件費へと。
両者の利ざやは巨額の富を生み出し、それは利権と化して政府各所へと伝播し、組織を腐敗させた。
典型的な、公金横領の構図である。
―――その中において、『深泥族』達が担ったのは、放射性廃棄物の加工役としての役割だ。
海洋投棄、と一口に言っても、実際には幾つかの段階がある。
そのままでは膨大な量となる廃棄物のかさを減らす為、焼却、あるいは固形化を経て、捨てやすいよう加工をする必要があるのだ。
当然、作業者は放射能により被爆する。
たとえ、全身を防護服で覆っていたとしても、それを透過して細胞組織を侵す放射線を、完全に遮断することは不可能だからだ。
それ故に、放射線に関する作業に従事する者には、許容される線量限度が存在する。
定められた限度を超えた労働は、そもそも許可されていないのだ。
(現実世界では関係法令において、5年間につき100mSv、1年で50mSvまで)
無論、この施設は元々が非合法な存在である。
公共の施設のように、一般的な基準がそのまま適用されることは、無い。
だがしかし―――労働者に放射能被爆が多発したとあっては、流石にそれを隠しきれなくなる。
イリーガルな世界だけに、摘発を受ける可能性の芽は、可能な限り除去されるのだ。
かつて『事業』が発足した当初。
いわゆる口入れ屋―――暴力団の息が掛かった業者が、人足の都合を担当していたという。
しかし、前述の問題によって頓挫。
立ち行かなくなってしまった『事業』を嗅ぎ付け現れたのが、現在の施設長である。
元々、彼は産業廃棄物を無断で山野へ置き去りにするような、極めて黒に近いグレーゾーンの仕事に手を染めていたらしい。
その伝手を使い、『事業』を存続させる為の基盤作り、そしてそれを回す為の車輪となる、働き手を何処からか連れてきたのだ。
永遠の時を生きるとさえ言われる生命力、それ故に放射線に強い耐性を持ち、潰れることなく使い続けられる労働力。
公的に戸籍が無く、切実に収入を必要としている者達―――
つまり彼等、『深泥族』である。
結果として―――『奇病』を治療する為の資金を、その元凶となった施設で稼ぐという捻れが発生してしまった。
その事を、当の『深泥族』達はまだ知らない。
そして今。
一族の者達は所属する班の上司から指示され、施設の一室へと集っていた。
無論、それは『泥艮』の目から、彼等を隠す為の方便である。
部屋の周囲には小銃で武装した保安兵達が巡回し、『深泥族』が逃げ出さないよう常に目を光らせている。
正に、万全の防衛体制。
たとえ『泥艮』が来ようとも、迎え撃てるだけの準備は整えられていた筈であった。
だが―――
『迎エニ、来タ』
『オオ…』
『我等ガ神、偉大ナル祖タル霊ヨ―――』
地響きのような声が、おごそかに闇の中から降り注ぐ。
部屋の四方を覆っていた壁は一面がごっそりと削り取られ、剥き出しとなったその奥からは爛々と輝く、二つの瞼の無い瞳が覗き込んでいた。
人身魚頭の巨神―――『泥艮』である。
一方。
部屋の中へと目を向けると、床の上には昏倒した保安兵達がごろりと横たわっている。
その側には、『深泥族』の若者達が片膝をついてかしずき、闇の中から覗き込むものへ祈りを捧げていた。
彼等は一族の暫定的な指導者―――玄華に率いられ、施設地下より突入した別動隊である。
彼等の身体には、幾所にも銃創が残され、赤い血潮を滴らせていた。
向けられた銃口にも怯まず、勇敢に突撃した勲章である。
気絶した保安兵と、崩れた壁の外に垣間見える、巨大な瞳とを順に見ると、囚われの同胞たちはためらいがちに口を開いた。
『大イナル霊ヨ、来訪ヲ歓迎シマス。シカシ、我々ニハ仕事ガ・・・』
『モウ、良イノダ』
半ば強制的な労働を課せられても、なおも仕事を続けようとする同胞。
彼等に向け、地響きのような声が優しく語り掛ける。
『地上ヘ出タミドロハ、スベテ引キ上ゲサセル。我等ハ常ニ、故郷トトモニ在ルベキダッタノダ。地上ニ、我等ノ安息ハ無イ・・・』
『シカシ、郷ヲ蝕ム奇病ハドウスルノデス?』
『―――ドレダケ姿ガ変ワロウトモ、我等ノ心ハ郷ト共ニ在ル』
穏やかな、青白い光を放つ瞳に、部屋中からの視線が集う。
生来の性として変化を厭い、閉鎖的な生活を送ってきた『深泥族』達。
彼等の心に今、去来するのは懐かしき故郷の光景であった。
人知れず、誰もが大粒の涙を零していた。
必要に駆られ、地上へと進出した彼等。
しかし、急激な環境の変化は表面からは見えない所で、その心を密かに蝕んでいたのだ。
それは、密かに重くのしかかっていたストレス故か。
それとも、祖霊自ら語り掛けた言葉に心を強く動かされたのか。
無言のまま立ち上がると、囚われの『深泥族』達は巨人の前へと集った。
『還ロウ』
『故郷ノ地ヘ、暖カキ深キ泥ノ底ヘト―――』
口々にそうつぶやくと、取り払われた壁の外に差し出された、巨大な掌へと次々と乗り込んでゆく。
そうして最後の一人が地上に降り立ったところを見届けると、巨人は何かに気付いたように天を仰いだ。
――――その時。
『・・・ルオォォオオオオオオオオ!!!』
『アレハ・・・』
『龍!?』
突如、上空に立ち込める黒雲。
かと思えば、そこから数条の稲光と共に、墨で描いたかのような漆黒の龍が舞い降りてきた。
それは、蛇のような長い胴体を、巨大な顎にたなびく髭を、頭上には節くれだった短い角を備えていた。
屏風絵に見るような、東洋風の龍そのものの姿が、まっすぐ『泥艮』目掛け突き進んでくる。
『大イナル霊ヨ・・・!』
『手出シハ無用、オ前達ハ海ヲ目指セ―――!!』
『ルォォオオオオオオ!!!』
振って沸いたような異常事態に、慌てた様子で『深泥族』の戦士たちが巨人の下へ駆け寄ろうとする。
しかし、それを制止するように掌を突き出すと、巨人は空中より襲い掛かる敵に対し、素早い動きで掴みかかろうとした。
―――が、それを読んでいたのか、長い身体をくねらせると逆に腕へと絡みつき、墨龍はそのまま巨人の身体を締め上げてしまった。
『疾イ―――!?』
『ルゥ・・・オォオオオオオオオ!!!』
そして、天を仰ぎ一声吠えると、雲を纏った龍は『泥艮』の巨体ごと、上空高く飛び立つのであった―――
今週はここまで。




