∥005-59 正門防衛戦、開始
#前回のあらすじ:大潮の満潮時だけ使える隠し港、ロマンだね!
[孫六視点]
一方その頃。
山間に位置するかの『施設』、その正門前へと場面は移る。
「―――来たか」
どこからか、遠雷のように低く、くぐもった地響きが近づいてくる。
すっかり日が落ちた周囲は暗く、灯り無しでは出歩く事すら危うい程だ。
地響きの出どころを探そうにも、道の向こうは常夜灯の光が届いておらず、目を凝らせどまるで見えない。
施設の正門前には規制線が張られ、そこには施設長―――
孫六が丸太のような両腕を組み、音のする方向をきっと睨みつけていた。
直立不動の姿勢を取る彼の周囲には、暗色のボディアーマーに身を包んだ、十数名程の男達が控えている。
彼等は皆、孫六によって雇われた、施設の保安兵達であった。
その誰もが、裏社会のツテを頼りに孫六が呼び寄せた、荒事のプロ達である。
銃火器で武装した彼等の手に掛かれば、どのような外敵であっても容易く制圧が可能―――その、筈だった。
しかし、今。
彼等の身体は地響きの度に小刻みに震え、銃口の先は内心を表すかのようにさ迷い続けている。
そして、バイザーに覆われたその瞳には、『怖れ』の感情が色濃く現れていた。
無理も無い。
ここ連日続いた『深泥族』による襲撃によって、彼等の心には深く、恐怖の二文字が刻み込まれていたからだ。
常に鉄火場へ身を置き、骨の髄まで暴力に染まった彼等だが―――あくまでそれは、人間の尺度に限っての話。
常識の埒外にある存在を前にすれば、等しく地べたに伏して命乞いをするしか術は無いのだ。
「あ・・・あれを見ろ!」「ひぃ・・・っ」
兵達の怯えたようなざわめきが、闇の中に響く。
ひと際大きな地響きの後―――それはゆっくりと、道の向こうへと姿を現していた。
正門前に設置された蛍光灯の光が、スギ林を背景に立ち上がる『それ』のシルエットを、ぼんやりと浮かび上がらせている。
大きい。
樹高十数Mに及ぶスギを超え、その輪郭は天に浮かぶ星空をも黒く遮っていた。
それを目にした兵達は怯えるように後ずさりながらも、震える銃口をシルエットに向け続ける。
そんな不甲斐ない手下共の様子に、孫六は小さく舌打ちすると、ずかずかと正門前を横切り、乱暴な手つきでサーチライトを点した。
そしてぐい、と向きを変えると、空を覆うものに向かって照射する。
闇を引き裂く一筋の光が、シルエットの正体を照らし出した。
誰が漏らしたのか、ひゅう、と息をのむ音が小さく響く。
―――それは、あまりに巨大であった。
―――それは、往古の時を超え、人類の前へと再び姿を現した・・・神話に語られるべき怪物だった。
その姿は奇妙に人間と酷似しており、四肢と胴体、そして頭部を有していた。
しかし、それは全てにおいて巨大で、奇怪にねじくれており、変形していた。
皮膚は突起物にまみれ、岸壁のように高く聳え立っている。
数百年の齢を重ねた大木のような腕は、醜く節くれだっており、丸太のような指の間にはてらてらと光る水かきが備わっていた。
爛々と輝く両の瞳はサーチライトの光を反射し、燃えるような色を湛えている。
その位置は顔の両端へと極端に離れ、施設の周辺地域に散見される特有の奇形を想起させた。
鼻は潰れ、のっぺりとした受け口の顎は細かい突起に覆われている。
全体的に平べったいその頭部は、底生魚のそれと奇妙に酷似していた。
これまでにも襲撃の度姿を表し、『深泥族』を率いて兵達に消えない恐怖を刻み込んだ―――怪物。
地域伝承に語られる、異形の巨神。
―――『泥艮』の姿であった。
「何をしている・・・さっさと追い払うんですよ!!」
「は―――はいいぃっ!!」
呆けたように巨人を見上げ、微動だにしない兵達。
役に立たない部下共の様子に苛立ちを募らせると、孫六はとうとう銅鑼のような声を上げた。
業を煮やした雇い主に追い立てられるようにして、兵達は小銃を構え一斉に銃撃を開始する。
静かな山間に、断続的な破裂音が響く。
巨人の胴体へと火線が殺到する―――
が、巌のような肌を撫でるばかりで、それは全く有効打を与えられていなかった。
―――ハンティングの世界に於いても、大型の獣に対しては相応のパワーを持つ大型弾が必要だとされている。
厚い脂肪の層や毛皮を貫き、致命傷を与えるには口径の小さな弾丸では威力が不十分だからだ。
兵達の持つ小銃に使われているNATO弾は、本来、対人用である。
故に、野生の獣を仕留める用途を想定されていない―――が。
あくまで向いていないだけであり、何発も何百発も打ち込めば、たとえ大型獣であっても倒す事は出来る筈なのだ。
―――しかし、それはあくまでも常識の範疇の話だ。
高層ビル並みの体躯を誇るバケモノが相手とあっては、どれだけ浴びせたところで小石が降りかかるようなもの。
硬質化した体表の突起に弾かれ、あるいは強靭な皮膚を貫通できず、軽くめり込むだけに留まってしまう。
そんな絶望的な状況の中、歯を食いしばり引き金を引き続ける兵達の一人を、孫六は背後から頭をはたいて止めた。
ごつん、と鈍い音と共に銃声が止み、再び周囲に銅鑼のような声が響く。
「・・・莫迦がッッ!儂が、何のために貴様らへ武器を買い与えたと思っている!?鉄砲が効かないなら、効く武器を使うんですよ!!」
「ハッ・・・!?し、失礼しました!!―――おい、誰かアレを持ってこい!」
ヘルメット越しに脳を揺らす一撃に目を白黒させていた隊長は、孫六の言葉にはっとなると部下へ鋭い調子で命令を発する。
それに陸軍式の敬礼で応じた部下の一人が、正門前に停められていたバンの後部ドアを開き、筒状の物体を抱え再び戻ってきた。
その一部始終を物言わず、じっと見つめていた巨人に僅かな変化が生じる。
それは鋼鉄製の、1M近くある筒状の物体であった。
それに加え、兵が背負うザックの内部には、安全ピンが差し込まれた無数の物体―――成形炸薬弾が詰め込まれていた。
対戦車榴弾発射器―――いわゆるRPGである。
防衛線へと到着した兵から円筒を受け取り、流れるような動きでてきぱきと発射準備が開始される。
一方、残る兵達によって、巨人に対する銃撃が再び開始されていた。
それは、先程までの反射的なものと異なり、明確な意図をもって加えられた攻撃であった。
肌の表面を刺す微細な刺激に耐えながら、巨人は闇の中から己にとっての『脅威』を―――
PRGの弾頭を、じっと見つめている。
その視線に宿る知性に、ぞっとしたものを感じつつも、兵達は攻撃の手を緩めない。
全ては、怪物に有効打を与えられる武器―――RPGを確実に命中させる為の牽制であった。
そしてついに、安全ピンが抜かれた弾頭が円筒の先へと差し込まれ、片膝を付いた姿勢の兵へ手渡される。
狙うは、友軍が火線を集中させる先―――怪物の胴体だ。
「―――発射!!」
掛け声と同時に、RPGの引き金が引かれた。
闇を引き裂くバックファイアをその場に残し、噴煙を発する弾頭が巨人のドテッ腹へと迫る。
援護射撃を続けながらも、その様子を見守っていた兵達は思わず心の中で喝采を叫んだ―――が。
着弾の寸前、巨人の身体が消えた。
「何だと―――!!?」
「あ・・・あれを見ろ!!」
サーチライトが照らす先に、既に巨人の姿は無い。
誰もが己の目を疑う中、一人の兵が射撃の手を止め、空中を指差した。
そこには―――空高くへと飛び上がり、落下中の『泥艮』の姿があった。
―――『泥艮』は知性無きモンスター等ではなく、れっきとした人類の一種である。
RPGに脅威を感じ取った『彼』は、兵達の動きからそれが飛来するタイミングを読み、一足早く跳躍の体勢を取っていたのだ。
スギ林に近い位置へと落下した巨人は、四肢を広げ衝撃を分散させる姿勢を取る。
インパクトの瞬間、放射状に大量の土煙が飛び散り、立ち並ぶスギの幹を激しく打ち付けた。
そのあまりの衝撃に、悲鳴のような音を上げ大地が揺れる。
―――と同時に、標的を見失ったロケット推進弾が田んぼのあぜ道へ着弾し、夜の闇に赤い花を咲かせた。
二つの爆音が響く中。
兵達は驚愕の眼差しを、土煙の中心へと集中させる。
たった今、驚異的な跳躍力を見せた怪物が―――
クレーター状にえぐれた地面の中心から、じっとこちらを覗き込んでいた。
「な―――なんてバケモノだ・・・!」
「避けたという事は、危険だと理解しているんですよ、アレは!・・・いいからお前たちは足止めを続けろ!1発で駄目なら、2発でも3発でも打ち込むんですよ!!」
「は・・・ははっ!!」
巨人を指差し、口から唾を飛ばしながら檄を発する孫六。
闇夜を引き裂き、再び小銃が火を噴く中。
それを尻目にくるりと背を向けると、でっぷりと肥えた腹を揺らしながら施設長は走り始めるのだった―――
今週はここまで。




