∥005-56 転化者
#前回のあらすじ:深泥族大使・ゲンゲはオカマさんである!
[マル視点]
「一族の行く末に関わる、大問題―――?」
「そうよぉ」
『深泥族』の男、玄華が口にした言葉に、ぼくと梓は揃って疑問の声を上げる。
大問題、とはまた唐突に不穏なワードが出てきたものだ。
これまで彼の口から語られてきた、海の一族の歴史。
波乱に満ちたそれがようやく、ハッピーエンドで終わりそうなところへきての、これだ。
内心密かに気落ちしてしまうぼくだったが、これはあくまで過去の物語。
『深泥族』による施設襲撃事件の起きている現状、よく考えなくとも、平穏無事な終わりとなる訳が無いのだ。
ごくり、と唾をのみこんだぼくの前で、ナマズめいた平坦な顔の男は、頭の上に乗せたフェルト帽子を少しいじる。
そして、再び口を開くのだった。
「アタクシが久しぶりに、ここ―――片洲深都へ戻ってきた時のことよ。随分深刻な様子で、一族の者に相談を持ち掛けられたのよぉ。『出稼ぎに行った連中はいつ帰ってくるのか?』・・・って」
「出稼ぎ?」
「ふむ。外貨を得るのであれば、出稼ぎは至極一般的な手段だと思いますが・・・。そういう話では、無かったという事ですか?」
「アタクシ達ミドロって、外見がこうでしょう?びっくりしちゃうヒトも居るだろうし、外に働きに行かせるのは制限してたのよぉ。よくて血が薄いか、年若くて身体の変異が少ない子は例外ねん。勿論、誰を何処に行かせたかもちゃあんと把握してたわん。でも―――」
「そうではない者がいた、と」
ぼくの呟きに、玄華は無言のままこくりと頷く。
彼の言葉が事実として、姿を消した『深泥族』は何処へ行ったのだろうか?
そして何故、玄華はその事実を知らなかったのか?
「正しく寝耳に水の話だったわぁ。慌てて、陸へ上がったミドロ達の動向を調べたけれど・・・。相当数の者が、何処かへ行ったきり帰ってなかったの。しかも、一部の者はそれがアタクシの指示だと思っていたわぁ」
「一体、何で・・・?ゲンゲさんは、身に覚えが無かったんでしょう?」
「その通りよぉ。でも、気付いたの。姿を消したミドロは、何者かによる手引きで外へ出ていたわぁ。此処のことを知っていて、アタクシに関りのある、外部の人間―――。そういう人物に一人だけ、心当たりがあったのよぉ」
「それって、誰のことなの?」
「旦那よぉ」
「「「・・・旦那ぁ!?」」」
唐突に振って沸いた爆弾発言に、固唾を呑んで男の話に聞き入っていた皆が素っ頓狂な声を上げる。
旦那?
旦那って、あの、御主人とか配偶者的なアレ?男の??
そんな疑問で頭が一杯な表情を浮かべ、しかし面と向かって聞きづらいまま硬直するぼく達。
しかし、そこへ一切空気を読まず、ド直球な質問を放つ輩が一名居た。
「ねぇねぇ。ナマズのおっちゃん、旦那さんいたの?男なのに?」
「あーちゃんっ!!?」
「ギョフフ。居たのよぉ、昔はねぇ。それと訂正しておくけれど・・・。アタクシって今でこそこんなナリだけれど、以前はもっとセクシーなレディだったのよん?」
「せ・・・せくしー?」
「おー!せくしー!」
別段気分を害した様子もなく、背筋が凍るような発言に笑い声を上げる玄華。
梓の発言に怒り出したりしないのは助かったが、色々と聞き捨てならないワードが出てきたようだ。
くねん、と凹凸のない腰をひねり、ポーズをつける彼(彼女?)に若干の頭痛を感じながら、ぼくは素直にその疑問を口にした。
「つ、つまりあなたは元は女性で、それが何かの理由があって男の姿になった・・・と、いう事ですか?」
「正解。ある日突然、高熱が出たと思ったらしばらく寝込んじゃってねぇ。アタクシ自身その間の記憶は無いんだけれど、快復した後気づいたらもう、こんな身体になってたのよぉ」
「そんな事が・・・」
「―――丁度、うちのベイビーちゃんが例の『光る筒』を持ち帰った後の事だったわ」
「あ・・・」
ビックリしちゃうわよね。
等と、冗談めかして語る彼(彼女)。
しかし、それを聞いてぼくは何も言えなくなってしまった。
海底の都に地上から流れ着いた、災いを齎す漂流物。
彼―――否、彼女もまた、その犠牲者の一人だったのだ。
人間であれば致死量となる放射線が、『深泥族』である彼女の肉体に、どのような影響を及ぼしたのか。
今となっては確かめる事すら難しいが―――結果、『彼女』は『彼』となったのだ。
玄華の独白は続く。
「また横道に逸れたわねぇ。それで、旦那の話だったわね?あの人は昔、アタクシが地上で見染めたヒトだったの。しばらくの間、ミドロの都で一緒に暮らしてたんだけれど・・・。結局、ふらりと姿を消したきり、帰ってこなかったわぁ」
「それはまた一体、どうして?」
「さぁねえ?平穏な時間、何時までも続く、代り映えのない毎日。そういうのが耐えられなかったのかもね、あの人には・・・」
そう呟いた後、彼(彼女)は口をつぐんだ。
閉じることの無い瞼を欠いた瞳は、過ぎ去った日々を懐かしむようだ。
その様子に、何となく声を掛けられずにいる中。
短髪の青年は一人、ぶつぶつと呟きつつ思考を纏めていた。
「姿を消した『深泥族』・・・。その背後に居た、元人間の男・・・。―――『転化者』」
「犬養どん?」
「―――線が繋がりました。玄華さん、あの施設―――山間に存在する、表向きはゴミ処理場とされている建物の主。彼は、貴女の元亭主ですね?」
「・・・えっ!?」
「御明察。あの人は孫六、元は村の名前と併せて名乗っていたそうよぉ。けれど、故郷を捨ててからはアタクシの名前と併せたものを名前として使っていたわぁ。だから―――『玄華 孫六』」
『施設長は、ヒトから『深泥族』への転化者ですよ―――』
あの夜耳にした、真調の言葉がリフレインする。
ヒントは既に示されていたのだ。
「アタクシが地上でこの名を名乗るのは、心の何処かで旦那の手掛かりが得られることを期待してたからなの」
「ゲンゲさん・・・」
施設への襲撃を繰り返し、しかし人類そのものへの憎悪を見せない『深泥族』。
彼等と共通した特徴を持つ、施設の職員達。
そして、底生魚めいた容貌の施設の主。
おぼろげだった事件の全体像が、ようやくはっきりと像を結びつつあった。
「全ては、連れ去られた仲間を取り戻す為の戦いだったんですね・・・」
「・・・あの人、故郷を嫌ってたもの。いっそ全部壊れてしまえ、なんて思ってたのかもねぇ。まあ、旦那が何を考えていたのかまでは、アタクシにも分からないわぁ」
『ダガ―――同胞ハ、取リ戻サネバナラナイ』
「そうね」
玄華の呟くような独白に、地の底より響くような、『深泥族』達の言葉が続く。
その一言を皮切りに、彼等の間に拒絶の空気が漂い始めていた―――
今週はここまで。




