∥005-55 お金がない!仕事もない!ついでに戸籍もない!!
#前回のあらすじ:真調、意外なファインプレー
[マル視点]
故郷を襲った災厄の犠牲者を助けるべく、地上へと進出した『深泥族』達。
彼等の前に現れたのは、真調を名乗る政府の人間―――夜の世界に属する、現代の獣狩りであった。
両者の邂逅は幸いにも穏便に終わり、玄華は故郷を襲った災いの正体と、その治療法についての情報を得る。
全ては解決したかに見えた。
―――しかし!
お金が足りなかった!!
「アタクシもうっかりしてたのよねぇ、地上じゃ何をするにもおカネが必要だってこと、すっかり忘れてたのよぉ。一応、アタクシ達にも貨幣ぐらいはあったけれど・・・。まさか、円と両替する訳にも行かないし、ねぇん?」
「そりゃあ、まあ・・・ねえ?」
「今にも死にそうな、重症者を助けるくらいの分はなんとか工面できたけどぉ。それでもう、スッカラカンになっちゃったのよぉ。お陰で、今度はどうやって資金を工面するかっていう、別の壁にぶち当たっちゃったの。やんなるわ」
「何とも、世知辛い話でごわすな・・・」
当時のことを思い出しているのか、沈痛な表情(?)で首を振り、深くため息をつく玄華。
西郷少年の言う通り、何とも世知辛い話である。
―――放射線による被爆が原因となる、諸症状を治療するにはどうすればよいか?
それにはまず、体内に蓄積した放射性物質を、出来る限り早期に排出する必要がある。
症状を引き起こす原因物質に対し、それぞれに対応した薬剤が必要となる訳だ。
例を挙げるなら、放射性ヨウ素に対する、ヨウ化カリウム(安定ヨウ素剤)等がそれだ。
放射性物質とは、ざっくりと言えば放射性同位体―――放射能を発する元素で構成された物質の事を言う。
何処かの世界で一時話題になった、トリチウム(三重水素)などは、水素の放射性同位体だ。
これらは基本的に、正常な(放射能を出さない)物質と同じもので、表面上では両者の区別を付けることはできない。
故に、特定の物質を排出する効能のある薬剤を投与すれば、正常な物質と一緒になって体外へ出てくる訳だ。
―――しかし、被爆後時間が経ってしまった場合、これらの薬剤の効果はあまり期待できないとされている。
放射性物質、および放射線はあくまで体組織を傷つける原因であり、取り除いたところで傷ついた組織は元に戻らないからだ。
それが体内の奥深く、特に重要な臓器であればあるほど、回復は難しく、長期的な生存も難しくなるという。
だが、『深泥族』は極めて頑健な肉体を持つ長命種だ。
肉体を蝕む原因を取り除くことで、持ち前の生命力と自己治癒力を発揮し、彼等は見事、死の淵から生還することが出来たのだった。
だが―――お金が足りなかった!!!
「地上じゃどんなものにも基本、お金ってかかるのよねぇ。それが専門的な薬品とくれば、少量であっても目が飛び出すような高額で取引される事が多いの。・・・そんな訳でアタクシ達、金欠になっちゃったのよねぇ」
「や、宿の経営で資金は手に入ったんじゃあ・・・?」
「そんなの、焼け石に水よぉ」
地上に進出した『深泥族』はその足がかりとして、片洲の町に小さな民宿を経営していた。
細々とながら、数少ない現金収入の手段となっていた宿だが、郷に残してきた重症者すべてを治すには、とてもじゃないが足り無かったようだ。
急に生々しくなってしまった話題に、ぼくらは揃って渋い表情を浮かべる。
だがしかし、これはあくまで過去の話。
『深泥族』の金欠は、既に解決されている筈の問題だ。
では一体、どのような手段で彼等は、資金を工面したのか?
ぼくが首を捻る中、元気よく右手を上げて、梓は声を上げるのだった。
「うーんと?それって、故郷のヒト達も呼んで、みんなで働いておカネ稼いだ!とか・・・?」
「それは考えたわぁ。でもね、アタクシ達はあくまで水底の民。日本の戸籍は持ってないのよぉ。そのせいで残念ながら、まともな働き口は見つからなかったの。それに知ってる?新しい事業を始めるなら、山程の書類を役所に出さないといけないのよぉ。今はIT化だかで大分、マシになったみたいだけれど・・・」
「何十年も昔じゃ、そうは行かないよねえ・・・」
「そうなのよぉ。それでねぇ、何とかならないかしらぁ、って相談したら、あの人―――真調がお金を立て替えてくれたのよぉ」
「あの御老人が・・・!?」
お金も無い、仕事も無い、ついでに戸籍も無い。
『深泥族』の前に立ちはだかる、三重苦の状況を打破した救いの神として、意外な人物の名前が男の口から飛び出してきた。
思わず、といった調子で上ずった声を上げる犬養青年。
正直なところ、ぼくも同じ気持ちだ。
ちょっと信じられない。
だが、苦境の『深泥族』に対し、彼が手を差し伸べたのはどうやら事実らしい。
「意外に思ったかしらん?アタクシも当時、気になって聞いたんだけれどねぇ。ヤケになって暴れられるよりは、長期的に見て利を取ることにした、って言ってたわぁ」
「成程。それなら確かに、あの用心深い御仁が言いそうな事ですね。必要以上の騒動を嫌った、政府側の思惑もあるかも知れません」
「かも、ねぇ。だからか、資金援助だけじゃなく、一族の中から陸との交渉役を選出することになったの。人間社会に混ざって生活させることで、両方の種族の事情に通じた、専任の交渉役を育てた訳ね。・・・まあ、アタクシの事なんだけれど」
「ゲンゲさんが!?どうりで・・・」
彼が口にした内容に、ぼくらは驚愕の交じった視線で、その、のっぺりとした顔を見つめる。
言うなれば、『深泥族』の全権大使としての役割が、彼―――玄華に与えられているというのだ。
言われてみれば確かに、大空洞に集った『深泥族』達は、彼が出てきてからは静かなものだ。
そして、こうして言葉を交わしてみた限り、彼の持つ知性と自制心、そして潤沢な知識は、人族の知識階層と比べ勝るとも劣らない。
真調も、彼のそういう素質を見極め、交渉役として据えたのかもしれない。
「そんな訳で、アタクシは恥ずかしながらしばらくの間、ここを離れてたのよぉ。それがだいたい、10年くらいかしらん?その間も、海の底から引き上げた色んなモノを売る伝手を用意したり、海産物を捌くルートを作ったりと、色んな方面から資金を工面して、残りの患者も治す算段を付けていったの。でも―――」
「でも?それだけ上手く行ってたのなら、問題なんて起きなさそうに思えるんだけど・・・?」
「表面上は、ね。実際は別の、一族の行く末に関わる大問題が進行してたのよぉ。水面下で・・・いいえ、アタクシ達にとっては水面上で―――ね」
今週はここまで。




