∥005-48 地下大空洞
#前回のあらすじ:持っててよかった、マグライト!
[マル視点]
そこは、広大な空間であった。
端から端まで100mはあるだろうか。
灯りの一つとてないこの状況では、その奥は暗闇に閉ざされており、空間がどこまで続いているか見通すことはできない。
しかし、じっと耳を澄ませば、ざあ、ざざあ、と何処からともなく、水の流れる音が聞こえてくる。
音の出どころは、闇に閉ざされたこの空間ではようとして知れない。
静寂の中、聞こえるのは僅かに立てる波の他は、先程の水音のみ。
半ば水没した大空洞の大部分は、墨を流したかのようにたゆたう、闇色の液体によって満たされていた。
その只中に、ぷかり、とほのかに光る球体が浮かび上がる。
球体の外殻は半透明の、コバルトブルーに輝く液体によって構成されている。
中には―――小柄な少年を先頭とした、4名の少年少女達が内包されていた。
「ここは・・・!」
紺碧の燐光を放つ水壁に、両手をかざしていた少年―――ぼくは、外に広がる光景に大きく目を見開く。
背後に控えていた精悍な顔立ちの青年が、手に持っていた筒を掲げ、前方に光のビームを放った。
白色光によって丸く岩壁が照らし出され、そこに刻まれているものがはっきりと浮かび上がる。
誰ともなく、ため息のようにつぶやきが漏れた。
「『泥艮』・・・」
それは、『深泥族』の祖霊である、人身魚頭の巨神。
泥艮を象った彫刻であった。
壁一面には、海底の都が栄える様子と、その最奥に位置する玉座へ横たわる彼等の神の姿が、精緻に掘りこまれている。
それは世界中、何処の博物館でも目にしたことのないようや奇妙な意匠に溢れており、同時に途方もない年月を感じさせた。
しばしの間、時が止まったかのように静寂が流れる。
その場の誰もが、魂が抜けたように眼前の光景へと見入っていた。
しかし、すぐに我に返ると、ぼくは鼓舞するかのように拳を振り上げる。
「―――よ、ようやく着いたみたいですね!えーっと、ここが目的地で合ってるのかな~?」
「うむっ・・・!そ、そうですね。恐らくですが、此処が彼らが住まうもう一つの町、その入口に当たるのでしょう。幸い、今はだれも居ないようですが・・・」
ぼくの言葉を受けて、正気に戻った犬養青年がマグライトの光を360度巡らせる。
ビームが照らし出す空洞の内部は、ひっそりと静まりかえっており、誰も―――『深泥族』の姿ひとり見当たらなかった。
「あーちゃんは、何か感じる?」
「ん-ん、多分だれも居ないと思う。でもなんかー、ピリピリしててヘンな感じ・・・?」
「気ぃ使って隠れとっとかもしれんばい?」
「ふむ―――」
念のため、勘の鋭い梓に索敵をお願いしておく。
ふるふると首を振ると、この空間に自分たち以外居ないことを肯定する彼女。
その言葉に、犬養青年が腕組みしたまま一つ唸った。
しかし、すぐに鋭く一方向を見据えると、その先に向かってマグライトの光を向ける。
「何にせよ、今は先へ進むべきでしょう。洞穴は、あちらの方へ向かって伸びているようです」
「わかりました。―――メル!」
『・・・・・!!』
ぼくはメルを操る手に精神を集中させると、岸に向かって移動を開始する。
コバルトブルーに輝く水球は一瞬、ぶるりと震えると、引き波を立てながらゆっくりと水面を漂い始めるのだった―――
・ ◆ □ ◇ ・
マグライトが放つ光に導かれ、4つの靴音が洞穴内に響く。
白色光が照らす範囲の外は、輪郭とて見えない、真の闇の中だ。
現在ぼくたちが進んでいる場所は、大空洞の左半分に位置している。
こちら側は土地が若干高くなっており、水没を免れているようだ。
足元は整地されており、なだらかな凹凸のある岩盤は湿り気を帯びてはいるが、今のところコケ等に足を取られる事もなく進めている。
右手側にちらりと目を向けると、暗闇の中からはちろちろと小さく、水の流れる音が耳に届く。
そこは地下水の通り道となっており、細く枝分かれした水路が床を流れた後、海面へと注ぎ込んでいる。
確かめたところ、流れる水は完全に淡水だった。
水路の出どころは、闇に閉ざされた洞穴の奥へと続いている。
どうやら、この洞穴は海側の海食洞と、地上側の枯れた地下水脈跡が繋がって出来上がったものらしい。
―――もう随分歩いた気がするが、未だ大空洞の終わりは見えない。
入口からここまで、『深泥族』どころか人っ子一人見かけないことに若干の焦りを感じ始めていたが、それを押し殺しながら足を進めるぼくたち。
やがて、マグライトが照らす岩壁の一角に奇妙なものを見つけ、一同は思わず足を止めた。
「石の、檻―――?」
それは、壁面をくり抜いて造られた、牢屋らしきものだった。
細く柱のように伸びる岩の隙間からは、中の部屋の様子がわずかに見て取れる。
壁際に配置された低い寝台には、粗末な毛布が掛けられ、即席のベッドが用意されているようだ。
その上には、先客らしき何者かのシルエットが横たわっていた。
外から投げかけられた光が檻の内部を照らし、それを感じたのかベッドの上の人物が身じろぎする。
「―――誰だッ!?」
「うぇっ!?」
突如、がばりと身を起こすと、強く誰何の声が檻の中より放たれる。
それに面食らったぼくは、小さく呻き声を上げつつのけぞるが―――
たった今耳にした声に、聞き覚えがあるような気がして、おや、とひとつ首を捻るのだった。
「貴様ら、おれをこんな処に閉じ込めやがって!どいつもこいつも妙な被り物をしてやがるが、ふざけてるのか!おれを誰だと思ってやがる!!天下の特高警察、桜の代紋の威光がてめぇ等に―――ぁん?」
「ギョロ目のおっちゃんだ!」
「な、生田目・・・?何でこんな所に―――」
牢に入っていたのは、粗暴な特高男こと、生田目だった。
看守に文句でも付けようとしたのか、格子の所まで詰め寄った男はぼくたちの顔を目にしたところで、ぴたりと動きを止める。
こちらも予想外の顔が飛び出てきたので、両者は格子を挟んで無言のまま、睨めっこを続ける形となった。
やがて、ぼそりと男が口を開く。
「・・・貴様ら、どうして此処に」
「それはこっちの台詞ですよ。昨日の晩に別れてから、一体どこで何すればこんな状況になるんです?」
「何すれば、だと?・・・おれはあの夜。小僧、貴様を見失ってから妙な連中に捕まり―――そうだ!手前、よくもあの時海に放り込みやがったな!!お陰でこっちは風邪気味だわ、こんな場所に放り込まれるわ・・・ぶえっくしょい!!!」
「うわっ、汚い!?」
どちらともなく近況報告を始める両者。
話しているうちに怒りが込み上げてきたのか、柳眉を逆立て格子を握りしめた生田目は―――急に顔をしかめると、大きなくしゃみをした。
盛大にしぶきが顔に掛かり、たまらず後ずさるぼく。
どうやら、冬の海に叩き落とされたせいで風邪をひいてしまったらしい。
ざまあみろ。
・・・何れにせよ、こいつがここに居る理由がおぼろげながらに見えてきた。
どうやら、昨晩に町に溢れた『深泥族』により捕まった結果、彼はここに閉じ込めれているようだ。
口元に指を当てると、ぼくはふと感じた疑問を口にする。
「もしかすると。夕べの騒動から逃げ損ねてたら、ぼく達もこうなってたのかな・・・?」
「ふむ。やはり彼等は、人族に対してあまり積極的に危害を加える気は無いようですね・・・」
虜囚の身ともなれば、幾らでも危害を与えられる状況にあった筈。
にも関わらず、『深泥族』は生田目に対し、わざわざ手のかかる幽閉という選択を選んでいる。
真調の言葉通り、彼らが人類全体を憎んでいるのだとすれば、あまりに穏当すぎる行動だ。
それを肯定する犬養青年と頷き合うと、ぼくは固く拳を握りしめた。
理性的に交渉可能な存在が相手であれば、最初から暴力的手段に訴えるのはきっと、間違っている。
―――それがたとえ、【深きもの】であろうとだ。
有無を言わさず虐殺するなど、もっての外である。
ぼくが密かに決意を新たにしている一方。
状況に付いてこれないのか、檻の中では生田目が不機嫌そうに視線をさ迷わせていた。
やがて、爆発したかのように顔を赤らめると、唾を飛ばしながら大声でがなり上げるのだった。
「何だ貴様ら・・・?一体、何の話をしている!いいからおれをここから出しやが―――」
「「「「・・・!!?」」」」
男がヒステリックに叫ぶのと、背後から大音響と共に、水柱が上がったのはほぼ同時であった。
4名が弾かれたように、背後を振り向く一方。
格子を握りしめた生田目は、『音』の発生源へと自然と視線が吸い寄せられる。
その時。
振り向くと同時に、青年の手にあるマグライトから一条の光が伸び、水柱の中心部を照らした。
生田目の白目がちな両目が、限界まで見開かれる。
「ば、ば、ば・・・バケモノだぁぁぁぁぁぁ!!!??」
滝のように降り注ぐ水しぶきの中。
暗色の水面から生えていたのは、あまりにも巨大すぎる人身魚頭―――『泥艮』の姿であった!!!
今週はここまで。




