∥005-46 海中散歩
#前回のあらすじ:洞窟見つけたった!
[マル視点]
「わー!わァーーーっ♪♪♪」
「ぎゃー!耳元で騒ぐなぁー!?」
文字通り、肌と肌が触れ合いそうな至近距離から、大音響に曝された耳がキーンと鳴る。
矢鱈と興奮した彼女―――ぼくの後輩こと、羽生梓が大きな瞳を輝かせながら指さすのは、銀色の魚体を悠々とくねらせながら泳ぐ、カンパチの群れだ。
接近する捕食者の気配を察知したのか、行く手に群がる小魚たちがパッと四方へ散り、めいめいに海底へ向かって逃げて行く。
下方へ目を向けると、隠れ場所に富んだ岩礁帯には色とりどりの海藻が繁茂しており、ゆらゆらと海流に沿って揺らめいていた。
―――ぼく、丸海人はいま、海中遊泳の真っ最中であった。
【神使】のメルクリウスの力を借りて、『深泥族』の隠れ家とおぼしき海底洞穴を発見した後。
出発点の岸壁へ取って返したぼくは仲間と合流を果たし、こうしてはるばる海の底にまでやってきたのである。
紺碧の輝きを帯びた泡玉の中、メルのコントロールに神経を集中させるぼくの隣でさかんに賑やかすのは、先程も紹介した梓。
その後ろで好奇心を隠し切れない様子で、ゆっくりと首を巡らせているのは精悍な顔つきの青年、犬養だ。
そして犬養青年の隣には、見上げるような短髪の巨漢、西郷どんが両腕を組んだまま、にこやかに頷いている。
皆、生まれて初めて目にする海の中の光景に興奮冷めやらぬといった様子であった。
犬養家の執事である保科さんは、町までの移動に使った黒の高級車の所で主の帰りを待っている。
西郷どんの【神使】である柴犬のツンは、その護衛として一緒に残ったそうだ。
一時、物思いに耽っていたぼくの肩がぐい、と何者かに引き寄せられる。
つられてそちらへ視線を向けると、海中の一方向を指さし、満面の笑みをたたえた梓が興奮気味に口を開いた。
「見て見て見て!あれ、お魚!あんなに一杯!あっちにはウニも!ねぇねぇねぇ、先輩!あれ取ってきてよ!!」
「普通に密漁だから、ダメです!」
「ちぇー、けち」
海に生息する魚介類は、勝手に採集すると漁業権の侵害となる。
いわゆる密漁であるが、どこまでがOKでどこからがOUTなのか線引きが難しく、トラブルの元になりやすいと言われている。
下手なことをして漁師さんに怒られてはたまらない。
ぼくが頭の上で大きく『×』マークを作ると、彼女は口を尖らせて不満そうな表情を浮かべた。
・・・が、またすぐに視界に入った光景に興味を惹かれ、今しがたの出来事を発言の内容を含め、すっかり忘れてしまったようだ。
ぼくは後輩の様子をしばし横目で観察した後、大丈夫そうだ、とそっと安堵の息をついた。
―――再び、メルのコントロールへと意識を戻す。
そうしていると周囲の景色が、徐々に見覚えのあるものへと変わってきた。
左右に岩礁が迫る複雑な地形の間を、縫うようにして進んでいく。
―――目的の場所まで、あと少しだ。
「マル君、この先に・・・?」
「はい。もう、すぐそこです」
ぼくの様子から察したのか、背後の犬養青年が発した言葉に、ゆっくりと頷いた。
―――視界が開ける。
岩礁帯が途切れた先には、急勾配で海上へと延びる岩壁と、その中腹にぽっかりと口を開けた、巨大な洞穴が存在していた。
最初に目にしたときも思ったが、まるで乱杭歯を並べ獲物を待ち受ける、怪獣の顎のようだ。
「「「・・・」」」
目前にせまる光景の異様さに、つい先程まではしゃいでいた梓を含め、一同の間に沈黙が満ちた。
気持ちはわかる。
入り込んでしまえば二度と戻れない、黄泉平坂めいた不気味さが、この洞穴からは感じられるのだ。
しかし、こうしていつまでもまごついてはいられない。
ぼくは深呼吸して心を落ち着かせると、ぽつりと小さくつぶやくのだった。
「―――先に、進みます。ぼくも注意はしますけど、何があっても応じられるよう、心構えだけはしておいてください」
「う・・・うん!」
「おいは問題なか!」
「元より異論はありません。―――行きましょう!」
己を奮い立たせるようにして、皆が口々に応える。
それを見て一つうなずくと、ぼくは洞穴の中へと泡玉を進めるのだった―――
今週はここまで。




