∥005-45 片洲の底より
#前回のあらすじ:舞台は飛び降りるもの!
[マル視点]
―――ゆっくりと目を開く。
まず視界に入ったのは、うっすらと光るコバルトブルーの輝き。
薄膜のように広がったそれは、朧げながらもしっかりと、『内』と『外』を隔てる境界線として、ぼくと目と鼻の先に存在していた。
その奥に見えるのは、一面の青色。
ブルーのフィルムを貼り付けたかのような、絶えずたゆたう青色によって、見渡す限りの全てが深く深く染め上げられている。
誰に聞かせるでもなく、ぼくはぽつりと一人ごちた。
「・・・上手く、行ったみたい?」
―――先刻、皆が見守る中岸壁から海へとダイブしたぼく。
誰か無関係の人に目撃されたら、すわ投身自殺か、と勘違いされそうな光景であるが、こうして溺れることなく海中へと侵入を果たしている。
手足は自由に動かすことが出来るし、こうやって思考に耽る事も可能だ。
何故、【深きもの】でもないぼくが、窒息せず海中で活動できるのか?
手品の種は―――己の半身にして、生ける水塊である【神使】メルクリウスだ。
存在そのものが水であるメルは、周囲の水分を取り込んで一体化する事ができる。
現実世界において、メルを憑依させた水はぼくの意のままに操ることが可能なのだ。
ぼくは崖から飛び降りる際、あらかじめ着水予定地点へ前もってメルを憑依させておいた。
後はそこを目掛け落下し、着水と同時にメルの内部へ収まったという訳だ。
【バブルシールド】の要領で、内部を空気で満たしておいたお陰で、こうして地上と変わりなく活動可能だ。
尤も、暗くて狭くて、ぼくが閉所恐怖症なら1分と経たずにパニックを起こしそうな環境だが―――
あいにくと、そこまで繊細なタチじゃない。
「何時までもこうしてる訳にも行かないし・・・そろそろ出発するとしますか!」
『・・・!』
何度か屈伸して四肢に支障がないことを確認すると、ぼくはメルを操る手に神経を集中させた。
ぼくを包む水の檻は僅かに、淡い輝きをいっそう強くする。
内部に男子高校生を内包した奇妙な水塊は、コバルトブルーの光をたなびかせながらゆっくりと、海中を移動し始めた。
―――まずは、岸壁へ向かって近づいてゆく。
「・・・うわっ!?す、ストップ、ストップ!!」
『・・・!!』
波打ち際の海流は荒く、複雑に入り組んでいる。
海面際の白く気泡を孕んだ流れに煽られ、危うく岩礁にぶつかりそうになってしまった。
慌ててぼくはメルに急制動を掛け、一旦深度を下げる。
下から見上げる海面は、オーロラのように細かい光の筋が下方に向かって差し込み、その奥には揺れる水面がキラキラと煌めている。
透明度の高い朝の海水は陽光をより多く取り込み、海中はかなり遠くまではっきりと見渡す事ができた。
「ふー、ふー・・・。危ない危ない、落ち着いて行かないと」
ぼくはちょっとだけ早くなった鼓動に胸を抑えつつ、神秘的な眺めを見つめながら荒くなった息を落ち着かせた。
―――お日様のお陰で十分に視界も確保できている。
観察するのはもうちょっと、岸から離れてしたほうが良いだろう。
改めて適当に距離を取りつつ、ぼくは凹凸だらけの岸壁に沿って、ゆっくりと視線を這わせていく。
メルの姿を怖がったのか、視界の端で岩肌にへばりついていた小さなカニが、慌てた様子で岩の隙間へ逃げ込んで行った。
波の浸食で出来たのか、岸壁にはこうした小さな穴やら、亀裂らしきものが数多く目に入ってくる。
しかし、お目当ての洞窟はこんな小さなものでは無い筈だ。
少なくとも、人一人が十分に通過できるくらい。
もしかするとあの巨人が入り込めるような、とんでもない広さがあるかも知れないのだ。
ここからざっと見渡した限り、そんな大きな洞穴らしきものは見当たらない。
ぼくは内心少し落胆しつつも、首を振って気を取り直す。
幸い、空気は十分に確保している。
時間切れは当分の間、心配しなくても大丈夫だろう。
―――これは他の仲間たちには任せられない、ぼくにしか出来ない大事な役割だ。
『深泥族』との交渉の行方は、ぼくの双肩に掛かっていると言っても過言ではないだろう。
「よーし、頑張るぞー!」
ぼくは一人、拳を振り上げて気合を入れなおすと、海の中をゆらゆらと移動し始めるのだった―――
・ ◆ ■ ◇ ・
「・・・見つけた」
あれから数十分。
幾度か岩礁にぶつかりかけ、また潮に攫われそうになりながらも、ようやくぼくは目当てのものを見つけ出していた。
濃紺に近い深い色の海の只中、紺碧に輝く水塊がぽっかりと浮かんでいる。
その前には―――見渡す限り十数Mはありそうな、巨大な洞穴が岸壁の中腹に、獲物を誘う怪魚のごとく口を開けていた。
ここは、かなり深くにまで潜った海の底。
岩礁が入り組む複雑な地形を奥へ奥へと進んだ先で、この場所を見つけることができた。
岸から離れると急速に深くなるここの海でも、このあたりは特に深い。
海面から届く光の乏しい、薄暗闇の中。
その奥に墨をぶちまけたかのように、真の闇をたたえた洞穴は凝っと、そこに佇んでいた。
「・・・・・・・・・はっ」
知らず知らずのうち、魅入られたように覗き込んでいた自分に気づき、思わずぶるりと身体を震わせる。
ごくり、と生唾を飲み込むと、ぼくは洞穴から視線を引きはがした。
「み、みんなに報せないと・・・!」
今は焦ることはない、ぼくには心強い仲間たちが居る。
メルを操り、ゆっくりと浮上を開始する。
まずは洞穴発見の報せを届けるべく、薄く紺碧に煌めく水塊は海水をかき分けながら、仲間の待つ海上へと向かうのであった―――
今週はここまで。




