∥005-40 ネズミの穴
#前回のあらすじ:37564だってさ
[マル視点]
「バカな!そんな真似・・・許される筈がない!!」
ガタン。
隣から聞こえた物音に振り向くと、短髪の青年は立ち上がった姿勢のまま、わなわなと両手を震わせている。
深く眉間に皺が刻まれたその表情には、驚愕と嫌悪の色がありありと見て取れた。
その視線の先では、類人猿めいた貌がニタニタと得体の知れない笑みを浮かべている。
奴―――
真調が先程放った言葉は、ぼくたちに対し『深泥族』の殲滅を命じるものだった。
犬養青年の反応はもっともだ。
そんな事、倫理面でも、労力面から見ても、到底出来る筈が無い。
それを、事も無げに言って見せる目の前の男の異様さに、ぼくはサウナルームの中にも関わらず、思わずぶるりと怖気に震えるのだった。
「・・・ぼくも同感です。第一、向こうには山のような巨人だって居るんですよ?敵うワケ無いじゃないですか」
「そうなんですかぁ?それは困りましたねぇ。ですが・・・それは、本当ですかぁ?」
「・・・どういうこと!?」
要求の理不尽さを訴えるぼくの言葉に対し、真調は小馬鹿にしたような調子で応じる。
少々カチンときて語気を強めたこちらに向かい、男はヘラヘラとした笑みを貼り付けたまま、再び口を開いた。
「ボクチンはまだ、【イデア学園】の実態を知らないんですよぉ。チミには無理だとしても、それが出来うる人材はまだまだ、後に控えているかも知れないじゃ無いですかぁ?チミはお忘れみたいですがぁ・・・。これ、試験なんです。【イデア学園】の有する最大戦力を測ることも、その目的の内なんですよぉ」
「彼等の手を・・・無辜の血で、汚せと言うのか!!」
拳を強く握りしめ、鋭く真調を睨みつける犬養青年。
その様子にうっすらと口元を歪めると、男はゆっくりと言葉を続けるのだった。
「やむを得ない犠牲、というやつです。まぁ―――ボクチンも無理に、とは言いません。やるもやらないもまた、自由ですからねぇ?ですがぁ・・・。ボクチンがこの地に居ることの意味を今一度、よぉぉぉく考えてくださいねぇ?・・・キヒヒヒヒヒ!!」
「・・・?」
男はひとしきり語り終えた後、意味深に嗤う。
それに対し、ぼくは訝し気な視線を向けた。
―――ここまで一方的に喋っておいて、急にやらなくてもいいとは一体、どういうつもりなのだろうか?
乗り気でない様子だから、苦し紛れの出まかせを言ったのだろうか。
・・・にしては、妙に自信あり気だ。
その真意を測りかね、うーんと首を捻っていると、隣からぽん、と肩をたたかれ、ぼくはそちらを振り返る。
短髪の青年が、玉のような汗が浮かぶ眉間に深い懊悩を浮かばせながら、こちらを見つめていた。
「恐らくだが―――彼はたとい、我々抜きであったとしても、目的遂行に十分なだけの戦力を持っているのだろう。彼は無傷のままあの町から脱出し、こうしてセキュリティを搔い潜り、我々の目の前に姿を現している。少なくとも、見た目通りの相手だとは考えない方が良い」
「犬養さん・・・」
「どうやら坊ちゃんの方は、ボクチンについてそれなりに予備知識がある様子ですねぇ?いやぁ、感心、感心」
ぱちぱちぱち、とにこやかに手を叩く真調に対し、ニコリともせず犬養青年は応じる。
そして、彼が一旦言葉を切るやいなや、バン、と荒々しくサウナルームの入口を蹴破られた。
慌ただしく響く靴音に視線を微動だにせず、短髪の青年が続ける。
「えぇ。貴方の恐ろしさは、この場に居る誰よりも理解しているつもりです。だから―――こちらも十分な備えをさせて頂きました」
「へぇ?」
「うわぁ!急に入ってくるなんて一体誰―――銃!!?」
一方。
びっくりして振り返ったぼくの視線の先では、ボディアーマーに身を包んだ警備兵達が続々と室内になだれ込んでいた。
あっという間に室内へと展開し、黒光りする銃口を構える兵達。
いきなり現れた完全武装の兵達に、思わず両手を上げたまま固まるぼく。
赤外線照準の光が一斉に、真調の眉間をぴたりと捉える。
赤い光線が全身を舐める中。
類人猿めいた男は冷や汗ひとつかかず、うっそりと微笑みを浮かべた。
「これはこれは―――ちっぽけな老人一人に、随分と御大層な歓迎ですねぇ?」
「本名不明、出身地不明。我が国に百年以上前からその足跡を残す、歴史の影の生き証人。貴方を捕縛するなら、この程度の戦力では心許ないくらいですよ」
犬養青年が送るハンドサインに併せて、兵達がじわりと歩みを進める。
どうやら、彼等は犬養青年が用意した戦力らしい。
直立不動の姿勢のまま、ぼくが固唾を飲んで見守る前で、犬養青年は無機質な声で真調へと語り掛ける。
「―――貴方には、色々と聞きたいことがあります」
「そうですかぁ。ですが残念ながら、ボクチンの方にはもう、何も話す事が無いんですよぉ」
「それを決めるのは我々です、黙って付いてきてください。―――丁重にお連れしろ」
「ハッ!」
主の命を受け、真調に向けて手を伸ばす兵達。
しかし、その手が届くより前。
顔を上げた奴の表情に―――その場の全員が、思わず立ちすくんでいた。
「眼が青く、光って・・・!?」
「―――浄眼か!」
「残念ながら、ここで捕まる訳には行きませんので。―――お暇させて貰いますよ」
男の双眸に、青白い光が宿る。
異様な光景に一瞬、周囲を取り囲む兵達の中に動揺が走った。
その隙を見逃さないとばかりに、くるりと背後を向くと―――
男はぴょんと軽く飛び上がると、何もない壁へと吸い込まれた。
「「!!!??」」
声にならない呻きがサウナルームに満ちる。
束の間、呆気に取られていた面々であったが、すぐに我に返ると真調の居た所へと駆け寄った。
何の変哲もない壁を前に、呆然と立ち尽くす兵達。
やがて、ぽつりと漏れ出た一言が、表面に細かい水滴の浮いたスギ板に吸い込まれていった。
「・・・逃げられた、か」
真調が姿を消した場所には、通れそうな穴や隠し扉など、脱出に使えそうなものは何一つ見当たらなかった。
こうしてぼくたちは、まんまと奴に逃げられたのだった―――
今週はここまで。




