∥005-38 道化の語る『真実』
#前回のあらすじ:なんでここに真調が!?
[マル視点]
「ボクチンが本日お伺いしたのはですねぇ、耳寄りな情報をチミ達にお伝えしたいと思ったからなんですよぉ」
「耳寄りな情報、だと・・・!?」
「『深泥族』の目的と、おデブの施設長さんの正体について。今なら出血大サービスで・・・お教えしちゃいますよぉ?」
―――そんなやりとりを交わした後。
痩せぎすの中年男―――真調は、今もサウナルームの片隅からぼくらをうっそりと見つめながら、ニタニタと猫のような笑顔を浮かべている。
一方、それに対峙する、ぼくこと丸海人・犬養剛史の両名は、不良中年のニヤケ顔とは対照的に、揃って顔がひきつっていた。
現在位置は、犬養家所有の別荘内部。
その離れに位置する、大浴場の一角である。
うだるような熱気の立ち込める、小ぢんまりとしたサウナルームの入口は、今もなおぴったりと閉じられたままだ。
―――先程、ぼくと犬養青年が入室した時以来。
そこは一度も開かれていなかった筈である。
にも関わらず―――この奇妙な男は、忽然とこの場に姿を現していた。
招かれざる闖入者の真意を図るように、短髪の青年はその顔を覗き込みながら口を開く。
「マル君達以外の来客を、招いたつもりなど私には無かったのですがね?」
「そうですかぁ?それは知りませんでしたぁ。ボクチン、お呼びじゃ無かったですかねぇ・・・キヒヒヒヒ!」
「よ、よくも抜け抜けと・・・!」
何が楽しいのか、犬養青年の鋭い視線で射すくめられた中年男は、カエルの面に小便、といった表情でケタケタと肩を震わせている。
そのままひとしきり笑い声を上げると、ぴたりと笑いを潜め、奴はぼそりと、幽鬼のように呟くのだった。
「・・・では、本題に入りましょうか。施設長は、ヒトから『深泥族』への転化者ですよ」
「―――なにっ!?」
「犬養さん?転化者って、一体・・・?」
「・・・一言で表すならば、【深きもの】へと変化した人間のことです」
「うぇえっ!?」
出し抜けに男の口から呟かれたその一言に、犬養青年は、思わずといった様子で立ち上がっていた。
その背中にためらいがちに声を掛けると、彼はぽつりとそれに答える。
その意味するところを理解すると同時に、ぼくは思わず素っ頓狂な叫びを上げていた。
「それって・・・。施設長が、人間じゃないって事!?」
「えぇそうです。彼の経歴・・・調べても調べても、何も出てこなかったでしょう?氏名も戸籍も、全部デタラメ。それもそのはず、後から間に合わせで用意された、作り物だからなんですよ。・・・見た目通りの年齢じゃないですよ、彼」
「そんな・・・」
答え合わせをするかのように、ぼくが呟いた内容に真調が注釈を入れる。
件の施設に居た、施設長を名乗る男。
やたらと深海魚系の顔つきをしているかと思えば、本当に【深きもの】のお仲間であったらしい。
信じられない、といった表情で愕然とするぼくに、犬養青年はそれが事実である証左を語るのだった。
「古今東西を問わず、世界各地には人魚―――水棲の知的生命体に関する伝承は存在します。その背景にある存在こそが【深きもの】なのですよ」
「マーメイドとか、昔の日本の人魚だとか?」
「ええ、そうです。他の幻想種と同様、彼等にまつわる伝承には異種婚―――人魚を娶る、夫婦として子をなす、といった内容のものが散見されます。それは単に、ヒトと【深きもの】が交雑するという意味に限りません。ヒトが彼等へと変貌し、共に水底にて暮らすという例も、歴史上、僅かながら存在するのですよ」
「それって・・・。インスマスの事件であったみたいな、先祖返りとは違うの?」
「違います」
犬養青年による説明に、ぼくは首を傾げて沸き上がった疑問をぶつける。
過去のアメリカ東海岸で起きた、件の怪事件に関する書籍にあった、多数の人間が【深きもの】へと変貌した事例を思い出したからだ。
それを否定すると、犬養青年は更に驚愕の事実を語るのだった。
「八百比丘尼を始めとして、人魚の肉は不老不死の効力を有する、そんな伝承が存在します。それは、ヒトが【深きもの】の長寿・不死性を獲得する手段の存在を示しているのですよ。―――無論、単に肉を喰らうのではありません。互いの精気と霊力を交換し合う、儀式魔術に近いものだと私は聞いています」
「儀式、魔術。・・・そういえば、霊的な変化が肉体に影響を及ぼすことがあるって、ヘレンちゃんから聞いたっけ」
狼男の存在は遺伝子学上ありえないが、霊的な視点であれば、狼男は実在しうる。
確か、そんな内容だった筈だ。
昔話の魔女よろしく、人を豚や鳥に変えるように、【深きもの】へ変化させる魔法が存在するのかもしれない。
そんなふうに解釈すれば、今の荒唐無稽な話も、不思議にすとんと肚のうちに収まるのであった。
そんなぼくらの様子に眼を細め、猿めいた顔の中年男がうそぶく。
「互いの解釈が一致したようで何よりです。話を戻しますが・・・。あの施設長は元『深泥族』です。当然ながら、片洲の裏に潜む異種族の存在と、海の彼方にある、彼等の都のことも知っていました。片や、『深泥族』は片洲の山間の施設を目の敵にして、夜な夜な襲撃を繰り返しているそうです。・・・おやおやぁ?この二つ、何か関係があるとは思いませんかぁ・・・?」
「そんな・・・、関係ったって―――」
ぼくたちの会話が一段落したところを見計らったようにして、真調が声を潜めて囁く。
その様子を訝しみながらも、二人して首を捻るぼくたち。
この男は一体、何のつもりでこんな情報を与えるのだろうか?
非常に怪しいが―――今はひとまず、これまでに知り得た内容を、改めて整理してみよう。
【深きもの】の一氏族である、『深泥族』が潜む町、片洲。
その遥か沖には、水棲種族の都市である『深泥都邑』が存在するという。
一方。
片洲の山間に位置するゴミ処理施設では、密かに周辺地域の原発から放射性廃棄物を集めては、海へと投棄しているという。
その施設の長には、元・『深泥族』の男が収まっている。
これらの情報から、導き出されるの答えは―――?
「・・・・・・あっ」
「マル君・・・?」
気付いた。
・・・気付いて、しまった。
それぞれ、単体では関連性の見えない点と点が結ばれ、事件の全体像がおぼろげながらに浮かび上がる。
だがしかし。
それが事実だとすれば―――非常にまずい事になる。
「何てこった・・・」
「どうかしたのかね?先程から顔色が優れないようだが・・・」
「え、ええ。ぼくは大丈夫です。でも・・・なんてこった。これじゃまるで、被害者と加害者が逆じゃないか!」
「・・・」
顔面蒼白となり、小さく叫びを上げたぼくの様子に気付き、心配そうに声を掛ける犬養青年。
それに首を振って大丈夫だと答えると、ぼくは混乱する思考を纏めるようにして、ぽつりぽつりと語り始めた。
「ぼくたちは―――この事件について、前提から間違って認識していたのかも知れません」
今週はここまで。




