∥005-37 ぽかぽか作戦会議・下
#前回のあらすじ:ちょっと別室行こか
[マル視点]
「・・・熱っ!」
「ああ、マル君。座る時はこれを使いたまえ」
「あ、ありがとうございます・・・?」
むわっ、とひりつくような、灼熱の大気が充満する中。
ぼくは腰を下ろそうとして、一段高くなった場所に手をかけたところ、そのあまりの熱に慌てて手を引っ込めた。
木製のフロア内部はまともに触ることが出来ない程の熱を帯びており、上に掛けられたタオル地のマット越しでも火傷してしまいそうな程だ。
痩せマッチョのイケメンから差し出された、ポリエチレン製マットを受け取ると、ぼくはそれを下敷きにして腰を下ろした。
その隣に同じようにして腰かけると、犬養青年は瞑目したまま、ゆっくりと深呼吸した。
ぼくも真似して深呼吸してみると、肺の内側に火が点いたように身体がカッと熱くなり、全身からどっと汗が噴き出してくる。
向かい側の壁に目を向けると、そこでは大型のストーブで熱せられた石がもうもうと、水蒸気の帯を立ち上らせていた。
―――ぼくは今、大浴場の別室にあるサウナルームに来ていた。
ここに居るのは、ぼくと犬養青年の二人だけだ。
残りのメンバーは、大浴場にて待機して貰っている。
何故、そんな事になっているのかと言えば、これから彼と二人、他人に聞かせられない話をする為だ。
ぼくは先刻、とある場所にて、少々マズい物を目撃してしまっている。
その事をお上に知られると、どうやらぼくの身に危険が迫る可能性がある、らしい。
その事を察した犬養青年のはからいで、こうして秘密の会談をセッティングしてくれたという訳だ。
「―――でも、なんでサウナ?」
「整うでしょう?」
「整うて。」
ぼくが会談場所についての疑問を口にすると、滝のように汗を流しながら、細マッチョのイケメンはイイ笑顔でそう答えた。
いや、答えになってないですがな。
・・・ひょっとすると、この人。
単にサウナ大好きっ子なだけかも知れない。
そんな疑念がむくりと鎌首をもたげるが、首を振ってそれを振り払うと、ぼくはここを訪れた本来の目的を果たすことにするのだった。
「―――まあ、いいです。・・・それで、あの施設でぼくが見たものについて、犬養さんは何か知ってるんですか?」
「うむ。―――単刀直入に言いましょう。この国に於ける、原子力事業。その内部で渦巻く巨額汚職事件の一端に、君は関わってしまった可能性が高いのですよ」
「巨額、汚職事件だって・・・!?」
「まずは順を追って、お話ししましょう」
思わず立ち上がりかけたぼくが隣を見ると、じっとこちらを見つめる犬養青年の瞳と視線が交差する。
怜悧なまなざしに見つめられていると、不思議と混乱していた心が平静を取り戻してゆくのを感じる。
ぼくは小さく息を吐き出し、再びサウナマットの上に腰を下ろすと、それを見計らったようにして、再び青年は口を開くのだった。
「まず、確認です。君が目撃したのは、原発事業に関わる『何か』―――。核燃料、またはその廃棄物。そういった物で合っていますか?」
「はい。・・・核廃棄物、だと思います。雑居ビルくらいの倉庫の中に、放射能マークの入った容器が満杯でした。あいつは、近くに居ても直ちに健康に害はない、って―――」
「ふむ。となるとそこは、低レベル放射性廃棄物の備蓄庫だったようですね。情報通りとは言え・・・改めて実際に聞くと、恐ろしい話です」
「犬養さんは、どうやってその―――例の、施設のことを知ったんですか?」
「・・・私は故あって、政財界に関する情報に独自のパイプを持っているのです。表の情報も―――その裏の情報も。利権が生み出す、様々な社会の膿・歪み・貧富の差。弱者の上げる、苦しみの声。そういったものが、集まる情報を通し伝わってくるのです。それは片洲だけではなく、日本全国に密かに―――確かに、存在する。私は、それを救いたい」
「犬養さん・・・」
彼は瞑目したまま、しばしの間言葉を切る。
やがて、再び眼を開くと、穏やかな―――しかし、確かな熱量の籠った声で続けるのだった。
「―――あの町に関する『問題』の発端は、今から数十年前に遡ります。当時、世界の先進国は競って核開発を行い、それに付随して核の平和的利用―――原発もまた、先を争うようにして各地で建設されていました」
世界が未だ、東西冷戦の只中にあった頃の出来事である。
北大西洋条約機構加盟国と、ソ連を始めとする社会主義国家勢という、二大勢力の対立。
全世界を巻き込んだ『冷たい戦争』は、大日本帝国にもその影を色濃く落としていた。
国連常任理事国であり、アジア随一の核保有国である我が国は、先進諸国と同様に核開発を強力に推し進めていたのだ。
「当然、稼働する原発からは、放射能を帯びた種々雑多なゴミが排出されます。かつてはそれを海洋投棄と言って、海に流していたんです。当時はどこの国でも当たり前に行われていた、恐るべき愚行の一つですよ」
「放射能も膨大な量の海水で希釈すれば、健康に害は無い・・・でしたっけ。でも、今はそんな事して無いんですよね?」
いつか聞いたキーワードが、青年の口から飛び出してきたのを耳にして、ぼくは何となく懐かしい気分になってしまった。
そうして零した呟きに、犬養青年は感心したように頷くが、まさか『小汚いオッサンとマンツーマンで予習したお陰です』等と言う訳にも行かず、ぼくは曖昧な笑顔を浮かべるのだった。
・・・今思えば、あの施設で真調が取った行動。
あれはすべて、ぼくを『秘密の開示』という罠に誘い込む為の物だったのだろう。
「―――ご存じでしたか。仰る通り、我が国に於いても世論に押される形で、放射性廃棄物の海洋投棄は廃止されました。ですが―――再処理や地層処分といった、現在における放射性廃棄物の処分方法には、膨大なカネが掛かるのですよ。それこそ何兆円にも上る、天文学的な費用がね」
「・・・・・・まさか」
「そのまさか、です」
顔の前で両手を組み、俯いたままじっと虚空を見つめる犬養青年の瞳が、ぎらりと光を帯びる。
そこに宿るのは、純粋な義憤の炎だ。
「放射性廃棄物処理事業に関わる費用は、各地域の電力公社から供出される資金、いわば公金を基に捻出されています。このカネの流れに手を加え、己が物にせんと企む者が居たのですよ。本来、然るべき処分に回すべき廃棄物を密かに海洋投棄し・・・浮いた分の費用を着服したのです」
「んな、バカな・・・!?そんな事したって、すぐにバレるに決まってるじゃないですか!」
青年の口から飛び出した、あまりに杜撰な計画に、思わずぼくは悲鳴を上げる。
無言のまま首を振ってそれを否定すると、彼はそっと目を伏せたまま再び口を開くのだった。
「・・・ですが、そうはならなかった。この件の不幸な点は、穴だらけの手口が偶然、見過ごされたまま年月が経過してしまった事。そして、公金横領の事実に最初に勘づいた第三者の手により、仕組みを大規模に拡充し、複雑怪奇な利権構造が作り上げられた事です。この男―――『玄華孫六』なる人物によって!」
「え―――!?」
犬養青年が手を振ると、サウナルーム内に備え付けられていた液晶モニターに光が灯る。
そこに映し出されたのは、見覚えのある人物の顔であった。
それを目の当たりにし、二重の意味で驚いたぼくは思わず、素っ頓狂な叫びを上げていた。
「施設長―――!え、でも・・・?」
モニターに映っているのは、あの施設の奥でデスクにふんぞり返っていた、底生魚めいた太っちょの男―――
『施設長』その人であった。
たった今、犬養青年の口から聞いた名前から連想した、ナマズめいたコミカルな顔とは似ても似つかぬ、別人である。
(偽名・・・?だとしても、何で?)
「マル君?どうかしたのかね・・・?」
「い、いえ・・・何でもない、です」
当惑したまま、モニターを見つめるぼくを訝しみ、隣から犬養青年が覗き込んでくる。
それに手を振って答えると、ぼくは混乱する内心を押し隠したまま話の続きを促すのだった。
「何はともあれ。君は、公金横領に関する重大な証拠を目撃してしまったようだ。しかも、その事実を既に政府の人間に知られている。いつ、それを上に報告されるかわからない以上、可及的速やかに、今後の方針を定めておくべきでしょう。さもなければ君の身の安全は、今後保証できない事になります」
「いや、流石にそんな物騒な事には・・・事には・・・なるんだろうなぁ」
示唆されたロクでもない未来予想図に対し、ぼくは精一杯の抵抗を試みるが・・・すぐに諦めた。
ムラ社会の悪い所を煮詰めたような我が国において、余計な事を知った小市民がたどる末路なぞ、破滅以外ありえないのだった。
深く長ーくため息を吐き出すと、ぼくは改めて、目の前の細マッチョに助けを求めることに決めた。
勿論、今までの話が全部何かの間違いだとか、質の悪いドッキリ、なんて可能性も無きにしもあらずだけど。
万が一、本当だった場合を考えると、うかつな行動は取れない事に変わりはない。
―――若くして不審死とか、行方不明とか、そんな目に遭いたくないしね。
「すみません。その、方針ってのを教えて貰っていいですか?ちょっと、ぼく一人の力じゃどうにもならなそうですんで・・・」
「無論、構わないとも。―――まず、はっきりさせておくべきなのは、消極策を取るか、それとも積極策をとるかという点です」
「消極策と、積極策・・・?」
首を傾げるぼくに、両手の指を一本立てた犬養青年が片方づつ指を折りつつ、こくりと頷く。
「向こうがどの程度、本気で動くかが不明ですが・・・。ある程度までであれば、犬養家の庇護下に置くことで、君の身の安全を確保する事が可能です。ただし、住所は移して貰いますし、自由な行動も今後取れなくなります。これが、消極策。一方、干渉してこようとする『敵』のたくらみを暴き出し、白日の下に晒すことで無力化する。これが積極策となります」
「たくらみを暴く・・・。新聞社にタレ込む、とか?」
「それは既に言いましたが、お勧めできません。残念ながら、我が国のマスコミは大なり小なり、牙を抜かれて久しいですからね。・・・ああ、ネットはもっと駄目ですよ?常駐型のスパイウェアが流通するPC全てに仕込まれてますし、公共回線にも同種のものが存在しますから。迂闊なことをすれば、接続元情報と国民番号からあっという間に個人を特定されてしまいますよ」
「改めて思うけど、うちの国って真っ黒ぉ・・・」
彼が提示したのは、守りに入るか、討って出るかの二つの選択肢だった。
その内容を更に確認する途中で、祖国に関する直視したくない現実を突き付けられてしまい、ぼくはちょっとだけ現実逃避したくなる。
今更説明するまでもないが、先程の会話で出てきたのは『楯無』と呼ばれる、お上謹製・日のマル印のスパイウェアの事だ。
通常のルートで流通するPCには全て、これがプリインストールされており、反社会的な発言やそれに関するサイトへの接続など、特定の操作を常駐監視し、それを通報するのだと言われている。
―――無論、そんなものが実在する等とは、日本政府は公式に認めていない。
しかし、電子機器を扱う上で、『楯無』の存在は公然の事実として全国民に知れ渡っているのである。
ブラックな事この上ないが、そういう国に生まれてしまったからには受け入れる他無いのであった。
・・・マスコミがマスゴミなのはそれ以前の事実なので、割愛。
改めて、ディストピア一歩手前な我が国の現状に頭痛を感じつつ、会話を続ける。
消極策というのはできれば選びたくないので、聞くべきはタレ込み以外の打開策だ。
「・・・マスゴミが頼りにならないのはわかりました。それじゃあ、他に何か打てる手はあるんですか?」
「こら、濁点を付けて呼ぶのはお止めなさい。・・・まず一つ挙げるならば、国外のメディアに頼るケースです。先進諸国の大手国際メディアは、それぞれの思惑こそあれど、国内のそれと比較すればまだ健全性と独立性が保たれています。公金横領に関する証拠を集めて渡せば、相応の働きを見せてくれる筈です」
「・・・おお!」
「とは言えど、この手の記事は国内における発行に待ったが掛かる場合がほとんどです。効果は限定的だと言わざるを得ませんね」
「あちゃあ・・・」
「それを踏まえて、私が推すのは『敵の敵は味方』作戦。件の汚職に関わる現環境相を含む派閥の、対抗勢力に情報を流すというものです」
「・・・・・・おお!!」
犬養青年の言葉に一喜一憂するうちに、とうとう登場した本命の打開策にぼくは目を輝かせる。
二虎競食の計というか、漁夫の利というか、孫子の兵法にフィーチャーした感じの策でとても期待できそうだ。
・・・というか、『現環境相』って。
さらっと挟まれていた頭痛の種ワードに必死に気付かないフリをしつつ、ぼくは期待に胸を膨らませるのだった。
「―――ですが、現段階では対抗勢力を動かすには、情報の確度が足りないというのが正直な所です。特に、マル君の話に出てきた【深きもの】達の動きの、理由がわからない。何か・・・私達が見落としているピースが有る筈なんです」
「見落としているピース・・・?何だろ」
「キヒヒヒヒ!知りたいですかぁ?」
「「―――!?」」
騒動の渦中となる処理施設に対し、襲撃を仕掛けているという『何か』。
町中にひっそりと潜んでいた【深きもの】達、小山のような魚頭の巨人。
それらのピースが示すものについて、二人して首を捻っていたその時。
突如、ひきつるような奇妙な笑い声が立ち昇り、ぼくらは揃ってそちらを振り返った。
そこには、みすぼらしい猿のような外見の男が一人。
猫背で、皺の刻まれた小柄な肩には白いタオルがちょこんと掛けられている。
後退した額の上には、申し分程度に白髪交じりの頭髪がこびり付いていた。
痩せぎすで、貧相な体つきのその男は、白いタオル地のマットが敷かれた床の上に腰かけ、こちらをニヤニヤと眺めていた。
「真調!い、何時の間に―――!?」
「・・・保科!」
『―――申し訳ございません、坊ちゃま。館のセキュリティは無反応でした。私めの落ち度にございます』
忽然と姿を現したその男に、ぎょっと身をすくめたぼくは思わず名前を叫んでいた。
一方、素早く立ち上がった犬養青年は室内のモニターに視線を走らせ、鋭く家令の名を叫ぶ。
施設長のたるんだ顔を映していた液晶画面は一瞬、ブラックアウトすると、館の監視カメラと思しき映像を次々と映し出してゆく。
その中には、眼前の闖入者が入り込んだとおぼしき痕跡など、何一つ見当たらなかった。
―――再び、ひきつるような声で男が嗤う。
「キヒヒヒヒ!ご歓談のところ失礼しますねぇ、私、真調と申しますぅ。以後お見知りおきを・・・。キヒヒヒヒヒヒ!!」
「っ・・・。そうか、君が、真調。お噂はかねがね・・・。して一体、本日は何の御用ですかな?」
「えぇ、えぇ。チミの事もよぉーく聞いてますよぉ?総理大臣を排出した名門に生まれた麒麟児、将来を嘱望されし政治家のタマゴ!それがまさか・・・【イデア学園】の関係者とは、ねぇ」
「・・・!!」
一同に緊張が走る。
お笑い芸人か、動物園のマスコットみたいな外見のこの男。
場を掌握する術というか、他人を自分のペースに巻き込むのが異様に巧い。
現に、現れた瞬間から、この場の空気は彼によって支配されている。
まずい状況だ。
何か言わなければ、そう焦る内心を気取られないよう、ぼくは必死に平静を取り繕う。
それを嘲笑うかのようにして、いっそう笑みを深めると男は再び口を開くのだった。
「ボクチンが本日お伺いしたのはですねぇ、耳寄りな情報をチミ達にお伝えしたいと思ったからなんですよぉ」
「耳寄りな情報、だと・・・!?」
「『深泥族』の目的と、おデブの施設長さんの正体について。今なら出血大サービスで・・・お教えしちゃいますよぉ?」
今週はここまで。




