∥005-29 大地を揺らすもの
#前回のあらすじ:死ぬかと思った!!
[マル視点]
『ギャ!』『ギャギャッ!!』
「先輩!こっち来るみたい!」
「くそ―――っ!!」
降りしきる雨の中、ゴツゴツとした突起に覆われた赤褐色の肌を風雨に晒し、数体の【深きもの】がじわりとこちらへ近寄ってくる。
残りの奴等は、遠巻きにこちらを監視しながらそれを見守っているようだ。
周囲は両側に防風林の続く、車幅広めの道路上というロケーションである。
黒くアスファルトで覆われた路面の中央には、一直線に白線が続き、しかし今は空から降り注ぐ雨水によって薄く覆われている。
街灯の光を白く反射させた水溜まりは、空から降り注ぐ水滴により幾重にも波紋を作り出していた。
―――どうやら何時の間にか、この辺りの海岸沿いを南北に貫く、県道の所にまでたどり着いていたようだ。
この道を、まっすぐ南を目指して進めば、最終的に我が家へと帰る事が出来るだろう。
しかし今、ぼくらは異形の住人達によって半包囲を受けていた。
まずは、何とかしてこの窮地を凌ぐ手段を考えねばならない。
じりじりと焦燥感を感じつつ、包囲を破るチャンスを伺うが―――どうにも、その隙が見あたらない。
このままじゃジリ貧だ。
そうこうしているうちに、奴等は油断なくこちらの様子を伺いつつ、更に包囲を狭め始めた。
ぺたぺたと水溜まりを踏みしめる音が、四方から次第に近づいてくる。
にじり寄る【深きもの】達を前に、ついにぼくは意を決すると、掌を前に突き出した。
【神力】を集中させ、己が半身の名を叫ぶ。
「メルクリウス―――!!」
『!?』『ゲッ?』
先程のように妨害されるかも知れないが、今はそれでもなお、【神使】の助力が欲しい。
今回媒介にするのは、足元に広がる水溜まりだ。
今一度、ぼくの【神使】―――メルクリウスを降ろすべく、精神を集中させる。
体内を不可視の熱が伝い、掌へと集中してゆく―――
「・・・うっ!?」
「先輩!?」
ぐらり。
あと少しで召喚できる、という所で、急に視界がブレて刺すような頭痛がぼくを襲った。
それと共に、集まりつつあった【神力】が霧散してゆく。
以前にも感じた事のある、【神力】切れの症状だった。
小さな悲鳴をどこか遠くで聞きつつ、ぼくは何とか倒れこまないよう足をふんばって堪える。
どうやら、先程の一幕での無理が祟ったようだ。
ぐらぐらと揺れる視界の中で、近くに居た数体の【深きもの】が腰を落とし、こちらへ飛びかかろうとする姿が映る。
ぼくの様子を好機と捉えたのだろうか。
このままじゃ、マズい。
「うにゃ・・・先輩に近寄るなぁ―――!!」
『ギャッ!ギャッ!?』
牽制するようにその前へ躍り出て、白木の和弓を引き絞ったのは我が後輩こと、あーちゃんだった。
鋭い視線により射すくめられ、ぎくりと固まる襲撃者達。
今の彼女は、普段のぽやぽやした様子からは想像もできなような、凛とした闘志にみなぎっていた。
久しぶりに目にする後輩の雄姿に、ちょっとだけウルッと来てしまう。
彼女が稼いでくれた貴重な時間で息を整えていると、突然、あーちゃんがくるりと首だけで振り返る。
怪訝な表情を浮かべるぼくの前で、彼女は素っ頓狂な叫びを上げた。
「・・・どうしよう!先輩!!」
「ええっ!?・・・何、どうかしたのあーちゃん・・・?」
彼女は手に持った、簡素な白木の弓を掲げて見せる。
―――細い指からは、想像もつかない膂力で引き絞られた弦の中心には、矢がつがえられていなかった。
「矢がない!!」
「え"っ」
―――先程、唐突に彼女の手中に現れた弓には、本来付属しているべき矢が付いていなかったようだ。
それを目の当たりにしてしまい、思わずカエルをひき潰したような声が出てしまう。
周囲に、気まずい静寂が流れた。
矢が無い・・・つまり、弾切れ。
弓があろうと、打つ手もとい打つ矢がなけりゃ丸腰と同じ。
ぼくらはそろって顔を見合わせると、素っ頓狂な叫びを上げた。
「「・・・ダメじゃん!」」
「どど、どうしよう先輩!・・・どうすればいいかな?」
「お、落ち着くんだ。―――こういう時は名言にヒントを求めるといいって、TVで言ってた」
「さすが先輩!」
先程とは打って変わり、あわあわと落ち着きのない顔で、ぼくと立ちすくむ【深きもの】の間で視線を行き来させるあーちゃん。
一方、ぼくの方はと言うと、同じぐらい慌てているのでロクな解決策も浮かばないまま更にあわあわしていた。
―――とにかく、何か言わなければ。
そんな焦燥感に駆られて、開いた口から飛び出したのが、この一言だった。
もちろん、特に意味はない。
しかし、何やら期待に満ちた視線を後輩から感じ、一気に申し訳ない気分になってしまう。
やめて!恥ずかしいぼくを見ないで!
・・・そう叫びそうになるのを必死に堪えつつ、ぼくはそっと彼女から視線を背けながら、バラエティ番組で耳にした言葉を口にするのだった。
「稀代の天才マジシャンもこう言ってる・・・。『まあそう慌てなさんな、手力のパゥワーは侮れんのですぞ』―――とか(チラッ)」
「うんうん!それでそれで?」
「えーっと・・・」
目をキラッキラに輝かせた梓から微妙に視線を逸らしつつ、ぼくは何とか会話を繋ごうとする。
やばい、これ以上何も思いつかない。
『ギャーーーッ!!』
「「わーーーっ!!」」
―――しかし、そこでついに業を煮やしたのか。
コントを続けるぼくらに向かって、とうとう【深きもの】の先頭集団が飛びかかってきた。
カエルめいた動きで跳躍する彼等を前に、揃って悲鳴を上げるぼくたち。
やられる―――!?
思わず固く目を瞑ったぼくの耳に、鋭く、しかし涼やかな音が急に飛び込んできた。
ビィン!と空気を震わせるその音に、不思議と胸の中からスッと焦燥感が抜けてゆく。
ゆっくり目を開くと、離れた位置から困惑した様子でこちらを伺う、【深きもの】の奇怪な姿が視界に入った。
その足元には、仰向けになって転がる同族達が数体、僅かに脚先を痙攣させつつ伸びている。
・・・見間違いでなければ、あそこで仰向けになっているのはつい先程、こちらへ襲い掛かってきた奴等の筈だ。
もしかして、ここからあの位置まで、一瞬の間に弾き飛ばされたのだろうか?
「今、一体何が・・・?あーちゃんは、何が起きたか見てた?」
「えっと、あたしにも何が何だか・・・」
揃って困惑の声を上げる二人。
仲間を撃退した『何か』を警戒してか、残る【深きもの】達はこちらへ近寄ってこない。
―――ここから逃げ出すならば、今しかないかもしれない。
そう思い立ち、周囲を素早く見回す。
しかし、ぼくが動き出そうとしたその時、やにわに横手に広がる雑木林の方向が騒がしくなってきた。
何事かとそちらを注視していると、がさりと葉擦れの音を立てて、茂みの間から複数の人影が姿を現した。
―――【深きもの】達の増援だ。
『ゲゲッ!ゲッ!ゲッ!!』
「しまっ―――!?」
あっ、と声を上げる間もなく、赤褐色の身体が低く飛び上がる。
それに続いて、防風林から現れた一団は奇声を上げて、こちらへ目掛け一目散に突っ込んできた。
気付いた時にはもう、奴等は目と鼻の先だった。
万事休すか―――!?
「―――ちにゃ!!」
【深きもの】達の集団が鉤爪のついた両手を振り上げ、その光景に思わず身を固くした瞬間。
隣から再度、あの鋭い音が鳴り響き、濃密な【神力】の放射が辺りを包み込んだ。
次の瞬間。
見えない壁に衝突したかのように、襲撃者達の身体は宙へと高く舞い上がり、物凄い勢いで雑木林の中へスッ飛んでいった。
それを目の当たりにした、後続の集団は眼を丸く見開き(元々そんな形をしているが)、ぴたりと進軍を止めてしまう。
慌てて後輩の方を振り向くと、打ち終わりの姿勢を取った彼女が細く息を吐き出しているところだった。
いつ見てもほれぼれするような立ち姿だが、彼女は今、一本も矢を持っていなかった筈だ。
では―――彼女は一体、何を打ち出したのか?
ぼくの脳裏に、あの日―――ぼくらが力に目覚めた時の光景が、一気にフラッシュバックする。
あの時、時間が静止したバスの中で、彼女は矢をつがえないまま、弓の弦を打ち鳴らして敵を退けていた。
確か―――
矢をつがえず、弓の弦を鳴らすことで邪気を払う、そんな儀礼があった筈だ。
「【神力】を音に乗せて打ち出して・・・敵を追い払ったのか!」
驚きの声を上げるぼくの前で、数度足踏み~離れまでの一連の動作を繰り返す梓。
うん、とひとつ頷きこちらを振り返った彼女を狙い、後続の【深きもの】達がもう一度突撃を試みる。
しかし、即座に打ち鳴らされた弦が奏でる音に、あえなく押し返され宙を舞った。
ひゅう、と短く呼気を吐き出すと、彼女は満面の笑顔を見せるのだった。
「なんか・・・わかったかも!」
「もしかしなくても、逃げ出せる目が出てきた感じ・・・!?」
彼女の姿に、思わずガッツポーズを取ってしまう。
敵の襲撃を押し返し、包囲を破る手段はこれで手に入った。
後は、道に沿ってひたすら逃げ続ければ、何とかなるかもしれない。
この町に潜む【深きもの】達が、周囲の地域にどこまで根を張っているかはわからない。
しかし、流石にどこまでも追ってくるという事は無いだろう。
ぼくらは向かい合って頷くと、一目散に南へ目指し走り出し―――
「うわっ」「きゃあ!?」
しかし、突如として響き渡った轟音と地響きに、そろって小さく悲鳴を上げる。
ズゥ・・・ン、と、長く残る雷のような音が、丁度海側の防風林の向こうから轟き、大気を震わせた。
地震だろうか。
―――しかし、音の発生源はここからそう離れていない場所だった。
出鼻をくじかれた形となり、やむなく立ち止まったぼくらの回りでは、【深きもの】達がきょろきょろと落ち着きなく周囲を見回していた。
そして、雨の降り注ぐ天を一斉に仰ぐと、大口を開け奇怪な合唱を始める。
『オオ オオ
イト深キ泥ニ沈ミシ我等ガ父祖ヨ
オオ オオ
水底ニタユタウ栄エアル都ヨ
我等 星ノ子 深泥ノ民
死モマタ死スル永劫ノ果テ
御霊ハ還リ 君臨セリ
オオ オオ
泥艮ヨ! 泥艮ヨ! 泥艮ヨ!』
―――唱和に呼応するかのように、再度地響きが巻き起こる。
今度は、更に近い。
その時―――
ぼくは見てしまった。
風雨にたなびく防風林の向こうに、わだかまる闇が。
―――闇だと思っていたものが、ずるりと動く、その瞬間を。
それは、県道の路面へと轟音を立てて衝突し―――
あまりの重量に、アスファルトで覆われた地面の上にに幾筋もの深い亀裂を作り出した。
再び轟音と、地響きが周囲を襲う。
その時。
つんざくような雷鳴が天高く、渦巻く鈍色の空の彼方より巻き起こり、血管のように幾筋にも分かれた雷光が、雲の中を青白くほとばしった。
天を貫く蒼雷は、ほんの一瞬ストロボのように地上を灼き、闇夜に包まれた町の光景を克明に照らし出した。
それは、腕だった。
それは、人間の特徴を残しつつ、あまりにもそこからかけ離れていた。
アスファルトの上に伏せられた掌は、巨大な赤褐色のごつごつとした突起と、指の間でてらてらと光る水かきを備えていた。
巨木のような指の一本一本があまりにも太く、折り重なり倒れた、太古の遺跡の石柱が並んでいるかのようだった。
その上に続く、岸壁のような腕に沿って視線を上げると―――
残光に青白く染まる雲を背景に、あまりにも巨大な、閉じることの無い二つの瞳がこちらを睥睨していた。
信じられないことに―――
無限のパワーを内包したかのように爛々と輝く、その瞳は確かに、知性の光が宿していた。
「泥艮、さま・・・?」
ぼくの脳裏に、夕焼けの光の中目にした、鈍く黄金に輝く神像の姿が蘇る。
頭上に広がる小山のような巨体は、小さな社に収められていたあの姿と瓜二つであった―――
今週はここまで。




