∥005-27 片洲漁港を覆う影(下)
#前回のあらすじ:これ以上付き合ってられるか!こんな所からはおれ一人でもおさらばしてやる!!
[マル視点]
「なにこれ、なにこれ、なにこれーーーっ!?」
雨混じりの暴風が吹き荒れる、漁師町の中。
あーちゃんこと梓が上げる素っ頓狂な声が響く。
辺りは既に夜中、所々で蛍光色の光を放つ街灯を除けば、周囲はほとんど真っ暗だ。
空は厚い雲によって覆われ、地上には月の光すら届かない。
濃紺一色に染まった、深海の底のような町にはぽつぽつと、オレンジ色の光点が点り少しづつ動いている。
松明を手に持った、町の住人である。
しかし、揺らめく松明の光が照らし出すその姿は、水棲生物めいた特徴の現れた、世にも奇怪なものだった。
―――【深きもの】。
この町を密かに住処としていた彼等は、人類と敵対していると言われる、知的生命体である。
アスファルトで舗装された細い路地の四辻に、背の低い生垣の向こうに。
町の所々に彼らの姿が散見され、ぴょこぴょこと跳ねるような動作で動き回っているのが見て取れる。
この辺りを徘徊する彼等が目下、注視する先には、街中を高速で疾走する奇妙な物体があった。
それは―――全高3mばかりの、碧く輝く水球であった。
縦に細長く、タイヤのような形状をしたそれは、まさしく走行中の車から脱輪したタイヤのごとく、ひとりでに路上を猛スピードで駆けている。
うっすらとコバルトブルーの輝きを湛えたその表面からは、内部の様子がおぼろげに透けて見えていた。
そこに居るのは―――我等が主人公、丸海人と、その隣で困惑する羽生梓の二名であった。
【深きもの】達に踏み込まれた民宿から脱出し、マルの【神使】、メルクリウスのボディをクッションに着地に成功した彼等は、そのまますかさず逃走へと移っていたのだ。
一方、水球の内部へと視点を移す。
えっほえっほと交互に足場を蹴り出す動きに連動して、ぼくの周囲を360度覆うメルの水球がその動作を何倍にも増幅していた。
それは往復するピストン運動を回転する力へと変換する、エンジンの機構のごとく。
メルの身体を用いた仕組みにより、二人は今、自動車並みのスピードで街中を移動していた。
隣では事態に付いていけていない様子の梓が、きょろきょろと視線を周囲にさ迷わせている。
「先輩先輩!どうなってるのこれ!?」
「どうなってるも何も、ぼくの【神使】なんだけど・・・。現実世界でも、【神使】を召喚できるっていうヘレンちゃんのお話、ぼくと一緒にあの時、聞いてなかったっけ?」
「そうだっけ??」
「あーちゃん・・・」
そうだった、この子はそういう人だった。
がっくりと肩を落とし、大きなため息をつく。
後輩の鳥頭っぷりを失念していた自分の迂闊さを、ちょっとだけ後悔。
しかし今はとにかく、一人でも戦力が欲しい。
クヨクヨしてばかりもいられないと、気を取り直したぼくは隣へ向き直る。
改めて、現世における【神使】の喚び方について、忘れがちな後輩に向けたレクチャーが開始されるのだった。
「いつも【夢世界】で使ってる力―――【神使】や、覚醒によって強化された身体能力は、こっち・・・現実世界でも使えるんだ。今、移動手段に使ってるコレも、ぼくの【神使】―――メルクリウスの力によって作られているんだよ?」
「ほえー・・・そうなんだ」
「そうなんです。・・・それで、あーちゃんにもここから脱出する手伝いをしてほしいんだけど。ひとつ注意点があって―――!?」
走りながらのぼくの説明に、隣で並走しつつふんふんと頷きながら聞き入るあーちゃん。
その反応をちらりと横目で見つつ、説明を続けようとした、その時。
ぞわり、と首筋に走るイヤな気配に、ぼくは思わず身構える。
次の瞬間。
水輪を形作っていたメルの身体がぶるりと震え、視界を覆っていたコバルトブルーの幕に虫食いのように穴が開き始めた。
徐々に露になってゆく、外の景色。
そこには、道の両側に並んだ町の住人―――否、【深きもの】達が一斉に大口を開け、甲高い叫びを上げていた。
『ゲッ!ゲッ!ゲッ!ゲッ!』
「身体が解け崩れて・・・メル!?」
『・・・!?』
「ん~~~~~っ!!」
水を依代に、巨大なタイヤを形成していたメルは、何らかの原因によりその姿を維持できなくなりつつあった。
ぼくは慌てて呼びかけるが、メルは力なく明滅するだけで、一向に元の形に戻る事が出来ない。
辛うじて形を保てている部分に手を当て、めいっぱい【神力】を送り込む。
僅かに輝きを取り戻し、メルは元の形に戻り掛けたように見えるが―――
次の瞬間には、再び何かに遮られるようにして解け崩れ始めた。
ぼくはそこで、はっ、とある事に気付いて水膜の外へと視線を戻す。
一列に並び、奇怪な合唱を続ける―――【深きもの】達。
彼等からメルに向けて、明らかに何らかの力の放射が向けられていた。
それを感じ取ったぼくは再び、掌から【神力】を注ぎ込む。
力はメルの身体を一旦巡り、水膜を形作ろうとするが―――
しかし、外部から放射されるもう一つの力によいって邪魔され、すぐに霧散してしまった。
その事実に気付き、ぼくは思わず叫びを上げる。
「妨害されてる・・・まさか!?」
『ゲッ!ゲッ!ゲッ!ゲッ!ゲッ!』
『・・・!・・・!!』
「メル!?まずい・・・このままじゃ―――」
迂闊だった。
【神候補】。
―――文字通り神様のタマゴとしてぼくが得た力を使えば、この町から脱出するのは容易いと、正直たかをくくっていた。
しかし―――
【深きもの】もまた人知を超えた存在、神話生物の端くれである。
己が住処に属するもの―――
海と水にまつわるものに干渉し、超常の力を振るう事など出来て当然なのであった。
ぼくの脳裏に、宿の一室で猿顔の男が語った内容が蘇る。
『魑魅魍魎の跋扈する我々の世界へ足を踏み入れた以上、力なき者は食い物にされる他無いのですよ―――』
あの男、真調は何故、この場所へ来たのか。
奴は、政府に属する【覚醒者】―――
超能力者、異形、人ならざる異能を振るうバケモノ達を監視し、影ながらに取り締まる存在。
すなわち、現代の獣狩りだ。
それが姿を現したという事は、その敵となりうる存在がそこに居るという事。
【深きもの】もまた【覚醒者】であり、異能を操る。
そんな事、考えるまでもないじゃないか―――!
「駄目だ、崩れる―――わああぁぁっ!?」
ついに完全に崩壊し、メルはただの水塊へと戻ってしまう。
細かい水の粒子となった水のタイヤの残骸から投げ出され、空中へと飛び出すぼくとあーちゃん。
ごおっ、と音を立てて、真正面から風の壁がぶつかる。
その衝撃に、思わずぼくは空中でもがくように両手を振り回した。
周囲の景色が、猛スピードで後ろにカッ飛んでゆく。
我ながら、とんでもない速度で移動していたものだ。
そんな胡乱な事を考える間もなく、眼下にアスファルトの地面が迫ってくる。
このまま着地すれば、おろし金にかけられたダイコン、もしくは汚い花火だ。
死んでたまるか―――!!
意を決すると、全身の【神力】を掌へ集める。
今一度己が半身の助力を得るべく、ぼくはわずかに漂う水塊の欠片に向けて、ありったけの力を注ぎ込むのだった―――
今週はここまで。




