∥005-26 片洲漁港を覆う影(中)
#前回のあらすじ:【敵性人類】はサカナ顔
―――都市の成立と発展は、そのまま人の一生に例えられる。
何らかの理由により人が集まり、生まれ落ちた集落が村へ、町へ、そして街へと成長してゆく。
都市は産業によって経済を回し、金とヒトを健全に保ち、より発展を続けてゆく。
しかし最後には、産業も廃れ、人口は減り、寂れてゆく末に訪れるのは―――都市としての、死だ。
その街も、そうなる筈であった。
だが―――そうはならなかった。
アメリカ大陸東海岸の都市、インスマウスにて。
かつて、交易商の男オーベッド・マーシュは、南太平洋から密かに『何か』を持ち帰った。
彼が街に齎した変化は劇的だった。
既に衰退していた漁業はめざましく復活を遂げ、港には魚を満載した漁船が日夜行き交うようになった。
新たな産業も生まれた。
川沿いに建設された精錬所は貴金属製品を生産し、一部の宝飾品が持つどこか異質なフォルムは好事家達の目に留まった。
マーシュ家の手引きで流入した『移民』達は密かに街の産業を支え、その一部は地元住民と交わり子を成した。
それら全ては水面下で進行し、いつしかその『変化』は街全体へと、ゆっくりと波及していった。
都市はかつての栄光を取り戻し、そしてまた同じ速度で―――周辺都市から忌み嫌われる存在へと、変貌を遂げていた。
いつしかインスマウスの名は人の口に上がることも稀になり、都市間を結ぶバスも、インスマウス側の住人がわずかに利用するのみとなった。
住人そのものもまた、嫌悪の対象となり、道行く人々からは怯えを含んだ視線で、常に監視を受ける光景が日常となっていた。
結論から言おう。
―――インスマウス住人の大半は、もはや人間とは呼べない『モノ』に成り果てていた。
【深きもの】。
オーベッド・マーシュがかつて南太平洋で契約を交わし、インスマウスに一時の栄華を齎した存在。
彼等は海中を住処とする水棲生物であると同時に、ヒトと交雑可能な程度に人類であった。
その恐ろしい点は、彼等の形質が現れた子孫は最終的に例外なく、【深きもの】に成ること。
幾世代かにわたり交雑を繰り返した結果、インスマウス住民の血統はほとんど彼等によって浸食されてしまっていたのだ。
結果残されたのは、年経て水中生活に適応した老人達と、大量の『成りかけ』達のみ。
この事実を知った連邦政府は事態を重く見て、直ちにインスマウス全域に対し大規模な検挙を行った。
水棲生活を送るようになった上の世代と、南太平洋から渡ってきた『原種』が潜む沖合の海底都市に対しては、更に徹底的な破壊が加えられた。
かの存在が、世に知られるきっかけとなった事件のあらましは以上である。
この事件は一旦、歴史の闇へと葬られ―――
後に、太平洋戦争終結後のとある事件をきっかけとして、再び日の目を見ることとなる。
・ ◇ □ ◆ ・
[マル視点]
「うわっ!?」
部屋の鍵を内側から掛けた、その矢先のことだった。
目の前のドアが外から掛かった『圧』により一瞬軋み、どん、とくぐもった重い音を響かせる。
ぼくらが逗留する民宿―――『安曇館』を異様な雰囲気の住人達が取り囲み、そのまま建物内部へと雪崩れ込むまでの一部始終を目撃した後。
このまま彼等を室内まで侵入させるのは不味いと、ぼくは慌てて入口の施錠にやってきたのだ。
侵入を試みる何者かは、しばらくの間執拗にドアノブをがちゃがちゃと捻りまわすと、木製扉に対する狼藉を一旦諦めたようだった。
ドア一枚隔てた向こう側では、少なくない人数の侵入者がたむろし、何やらぼそぼそと囁き合っている気配を感じる。
―――どうやら今すぐ、この扉が蹴破られる危険はないようだ。
そっと一つため息をつくと、ぼくは足音を殺して部屋の中へと戻る。
そこにはどこか心配そうにこちらを見つめる梓と、窓際からニヤニヤと猫のような―――もとい、人をバカにした猿のような笑みを送る、猿顔の中年男の姿があった。
二人の顔を交互に見つめ、ぼくは小声で先程の出来事を報告する。
「・・・鍵は閉めてきました。これで簡単には入ってこれない筈です」
「ご苦労様ですねぇ。これで多少は時間を稼げますよぉ?・・・ま、焼け石に水ですが」
「そりゃ判ってますけど・・・!もうちょい言い方、考えてくださいよ!?」
「すいませんねぇ、トシを取ると小言が多くなって・・・キヒヒヒヒヒ!!」
そんな身も蓋も無い反応を返す不良中年に、ぼくは思わずぎろりと睨みをくれる。
蛙の面に小便といった様子で、真調はケタケタと小さく肩を震わせるのみだ。
ぼくは思わず大きくため息をつき、しかしすぐに気を取り直すと、二人の顔を見つめた。
「―――で、何だってこんな事になってるんですか?此処の住人に恨まれるようなことした憶えなんて、皆無なんですけど・・・」
「あたしもー・・・」
「うぅ~ん、本当に・・・そうですかぁ?人間、知らず知らずのうちに、誰かの逆鱗に触れるような事の一つや二つくらいやらかしてるものですよぉ?」
「むぅ。それはまぁ、確かに・・・」
声を潜めて真調が囁いたその一言に、思わずどきりとなる。
ぼくは今日、本当に誰からも恨まれていなかっただろうか?
これまでの出来事を思い返してみる。
朝―――登校中に呼び止められ、埃臭い取調室へ連行され怒鳴られ続けた、午前。
午後からは車中の人となり、日本列島を南から北まで縦断し、はるばるここ―――北陸の地へとやってきたのだった。
その道中、少なくない人と交流を持ったが―――
人質を取り立てこもる銀行強盗よろしく、大勢から取り囲まれ、終いには踏み込まれてしまうような悪行を働いた記憶は、やはり無い。
ぼくは密かに安藤すると、そっと自分の胸を撫でおろすのだった。
「やっぱり、無いです。・・・というかそれはむしろ、あんた達二人の方がずうっっっと怪しいんじゃ無いですか!?普段の行い的に!」
「キヒヒヒヒ!それを言われると弱いですねぇ。何しろ・・・生田目君は乱暴な捜査で知られる不良警官!ボクチンときたら知る人ぞ知る、真夜中のオ〇ルト公務員ですから!キヒヒヒヒヒヒ!!」
「何笑ってんのこいつ・・・?」
正しく、玩具の猿のように手を叩いて笑い転げる男。
その姿に、ぼくは若干引き気味にそうつぶやくのだった。
そうしてしばしの間、ケタケタと声を上げた後にぴたりと笑いを収めると、真調はニタリと得体の知れない表情を浮かべ―――こちらを見つめた。
「・・・ですが、今重要なのはそんな事ではありません。言ったでしょう?これは試験だ、と。今この時、最も優先すべきはこの状況から、如何にして生き延びるか。それだけです。―――あぁ、当然ですが、ボクチンは手助けしませんのでぇ、精々・・・頑張ってくださいねぇ?」
「こ、この野郎・・・!!」
「試験ー・・・?」
あまりに無責任なその物言いに、思わず怒りに震えるぼく。
その隣で、あーちゃんがこてんと横に首を倒す。
そしてうーん、と口元に指を当てて考え込むと、彼女はすぐに諦めて向き直り、真調へ向けて手を上げるのだった。
「・・・先生!それって何をすればいいんでしょーか?」
「良い質問です。それはですねぇ・・・何でも、です。戦うも、隠れるも、全ては貴方たちの自由、という訳ですねぇ。何しろ今は、緊急時ですからぁ?周りのものは何だって使っていいし、それをどう用いてもいいんですよぉ。とにかく、明日の朝まで生き延びること。それが試験内容という訳です」
「ふーむ・・・?」
「・・・・・・付き合ってられるか」
「おやおやぁ?」
淡々と、真調の口から『試験』の内容が語られる。
それを聞いて更に首を傾げる梓の横で、ぼくは知らずに強く拳を握りしめていた。
思わず漏れ出した、低く、絞り出すような一言に、真調は両目を細めこちらを見やる。
「試験だか、既知対だか知らないけど・・・こっちはもう、うんざりだよ!戦うだの生き延びるだの、そんな事とは無縁な一学生なんだ。これ以上、付き合ってやる筋合いなんて無いよ!」
「では、どうされるので―――?」
「・・・帰らせてもらいます!」
そう言うが早いか、ぼくは足早に洗面所へ移動すると、足元の開きから防火用のバケツを見つけ出し、蛇口をひねる。
ポリエチレン製の黄色いバケツの内部へ並々と真水を満たすと、ずっしりと手に重たいそれを持ち上げて、部屋の中へと戻る。
面食らった様子のままこちらの動きを目で追う梓の前を通り過ぎ、ぼくはがらりと音を立てて外に面した窓を開け放つ。
そしておもむろに、どん、とサッシの上へ防火用バケツを乗せた。
そのまま真白を横目でぎろりと睨むと、類人猿めいたそのにやけ顔に向けて声を放った。
「自由にしていいってんなら、ぼくはもう、こんな所からとっとと逃げます。試験だの【深きもの】だのは、そっちで勝手にやってください。・・・それじゃ!」
「・・・ふゥん?」
「―――【神使メルクリウス】!!」
真調から感じる探るような視線を無視し、己の半身たる神の使いに向け、はっきりと声に出して呼びかける。
一瞬、バケツの中を満たす水が、コバルトブルーの輝きを帯びたように見えた。
そのまま窓の外へ向かい、バケツの中身をひっくり返す。
僅かに弧を描いて空中を落下する水流は、コンクリートで覆われた地面に叩きつけられ、一気に放射状に広がる―――かに、見えた。
しかし、あたかもその地点に縫い留められたかのように、バケツ一杯分の水は地面スレスレの位置に、そのまま留まっていた。
それを階上より確かめると、ぼくは事態の推移に付いていけない様子のあーちゃんの手を取り、こう叫ぶのだった。
「あーちゃん!」
「えっ、えっ?先輩、どうする気・・・?」
「飛ぶよ!!」
「えーーーーっ!!?」
両目を大きく見開く彼女。
掌の中にほっそりとした指を握りしめたまま、ぼくは一息に窓枠の上に飛び上がると、そのまま空中へと足を踏み出す。
一度、素早く背後を振り返り、ちゃんと彼女が付いてきていることを確かめる。
そしてすぐに前へ向き直ると、ぼくは視線を地上へ―――表面に碧い輝きをたたえた、小さな水塊へと向ける。
窓の外は強風が吹き荒れ、肌を叩く風には既に、はっきりと雨粒が交じり始めていた。
浴衣風の館内着の裾をはためかせながら、自由落下に入る少年と少女。
このままでは、地面に激突する―――!
そう、思われた瞬間。
低空を浮遊したまま、空中に留まっていた水塊がぶるりと震え、みるみるうちに巨大な紺碧のシャボン玉へと変じた。
闇夜の中、『安曇館』を取り囲む住人―――否。
『深泥族』達の視線が集まる先にて。
二人の姿は、突如現れたコバルトブルーの水球へと吸い込まれてゆくのだった―――
今週はここまで。




