∥005-23 忍び寄る影
#前回のあらすじ:勝った!あとは逃げるぞ!!
[マル視点]
「ごめんくださ~い・・・」
カラカラカラ、と横開きの入口をそっと開くと、足音を忍ばせながらこっそり身体を滑り込ませる。
あれこれと時間を取られていたせいか、現在の時刻は夜の10時近く。
すっかり夜となってしまった、民宿『安曇館』の屋内は照明が落とされ、玄関ホールの中はしんと静まり返っていた。
こんな時間でも鍵が開いていた幸運に感謝しつつ、じっと耳をそば立てながら物音が聞こえないか確かめる。
・・・どうやら、1階に残っている従業員は居ないようだ。
「流石にちょっと不用心なような・・・。とは言え、かえって運が良かったのかな?外で何してたか問い詰められると、ちょっと困るし・・・」
生田目との激闘で擦り傷だらけとなった手足を眺めつつ、そう一人ごちる。
ぼくは宿泊客用のスリッパへ履き替えると、そろりそろりと足音を殺し、階段を目指した。
―――宿泊している部屋には、梓だけでなく、真調も居る筈だ。
生田目と決定的に敵対した以上、奴に対しても用心しておくに越したことは無いだろう。
二人が共犯関係にあるかは不明だが、最悪、敵に回るくらいの事態は覚悟しておくべきだった。
びゅうびゅうと外で吹き荒れる海風をBGMに、警戒しつつゆっくりと、2階への階段を昇る。
踏みしめる度にぎしぎしと音を上げる床板に内心ビクつきつつ、ようやく木製の扉の前までたどり着いた。
・・・鍵は掛かってないようだ。
音が鳴らないよう、慎重にノブへと手を掛ける。
いざという時逃げ出せるよう、扉を開けっぱなしにしたまま、ぼくは部屋の中へと侵入した。
―――室内には、誰も居なかった。
強風にガタガタと揺れる窓に、立ち尽くすぼくの姿がぽつんと映し出されている。
首を巡らせ、室内の様子を改めて確かめるが―――やはり人っ子一人居ない。
室内は先程出た時と何一つ変わりなく、しかし、部屋の住人のみが忽然と消え失せていた。
途方にくれたぼくは、失意のままぽつりと呟きを漏らす。
「あーちゃん・・・一体どこに―――?」
「知りたいですかぁ?」
横合いから、しわがれた声が響いた。
思わずはっと顔色を変え、そちらを振り向く。
そこには壁に背を預けて座り込む、猿のような、奇妙な風体の男の姿があった。
一瞬、ぱちくりと目を瞬かせた後―――ぼくは慌てて真調から距離を取る。
飛び退くぼくの様子をじっと観察し終えると、声も無くくつくつと肩を震わせ、男は笑った。
「い、何時の間に・・・!?」
「最初からです。歳を取るとこんなふうに、色んなコトが出来るようになるんですよぉ・・・キヒヒヒヒ!」
何が楽しいのか、驚愕の表情を浮かべるぼくの前で、男はケタケタと笑い声を上げる。
その異様さに、ぼくはいっそう警戒レベルを引き上げた。
ひとしきり笑い声を上げると、笑みを顔に貼り付けたまま、真調はすっと目を細める。
「―――生田目君を無事、退けたようですねぇ。感心、感心」
「っっっ!?」
―――やはり、こいつら二人は共謀していたのか!?
叫び出しそうになる内心を必死で押さえつつ、なんとか表面上は平静を保つ。
つとめてポーカーフェイスを意識しつつも、ぼくは真調に対し探りを入れるべく口を開いた。
「ギョロ目野郎は、お前の差し金か?あーちゃんを・・・どこへやった!?」
「見当違いですよぉ?彼とボクチンはあーくーまーで、ただの友達。ですがぁ・・・生田目君の悪癖については、昔からよぉっく知ってました」
ですから、と一旦言葉を切ると、男は囁くように言葉を続ける。
「―――どこかで必ず、やらかしてくれると信じてました。まぁ・・・それが今日になるよう焚きつけたのは外ならぬ、ボクチンですが、ねぇ。・・・キヒ、キヒヒヒヒヒヒ!!」
「コイツ―――っ!!?」
信じられない。
ぼくは思わず、そう呟いていた。
今の言葉が事実ならば、こいつは血に飢えた狂犬を、それを知った上でぼくとあーちゃんに向けて、けし掛けたことになる。
一体何故、こいつはそんな真似が出来るのか?
目の前の男の思考が理解できず、混乱するぼくはいっそう険しい表情で、眼前の男を睨みつけた。
「一体、何がしたいんだよ・・・お前は!?」
「試験です」
「・・・なに!?」
感情を隠し切れず、つい声を荒げてしまう。
そんなぼくに対し、へらへらとおちゃらけた表情で応答を続ける真調。
ヒートアップするこちらとは対照的に、淡々と男は言葉を続ける。
「・・・お忘れですかぁ?ボクチンが此処に居るのは、チミとその所属する組織―――【イデア学園】を試すためです。我々の役割はこの国における覚醒者のお目付け役・・・つまるところ、抑止力です」
「・・・・・・だから?」
「生田目君程度の脅威なぞ、難なく退けて貰わねばお話になりません」
「なっ―――!?」
信じられない。
この短時間でもう二度目となるその言葉を、ぼくは再び、呆然としたまま呟いていた。
生田目が、悪意の権化のようなあの男が。
こいつにとってはその程度だって―――!?
「既知概念凌駕実体究明・対策室が相手にするのは―――覚醒者。人間という生命を超越した、慮外のバケモノどもです。貴方がた【イデア学園】も、覚醒者を擁する組織として活動する以上は、必要最低限の自衛手段くらい所有して頂かねば困るんですよぉ。もし、それすら出来ないのなら―――」
男の微笑みが、いっそう深くなる。
「死んで頂く他、無いでしょうなぁ」
「こいつ―――っ!?」
「魑魅魍魎の跋扈する我々の世界へ足を踏み入れた以上、力なき者は食い物にされる他無いのですよぉ?お連れのお嬢さんも、今頃は―――」
その言葉が示唆する光景を想像してしまい、猛烈な悪寒が背筋を這い上がる。
あーちゃんは、この部屋に居なかった。
なら彼女は今、何処に―――!?
最悪の事態が脳裏をよぎる。
「たっだいまー!いいお湯だったぁー♪・・・およ?先輩、明かりも点けないで何してるの??」
「・・・・・・え゛っ?」
その時、いっそう顔色を青くしたぼくの、その背後から―――
元気よく片手を上げて、湯上りホカホカのあーちゃんがスキップしつつ、部屋に飛び込んできた。
ギギギ、と油の切れた人形のような動きで、そちらを振り返るぼく。
つい先程まで入浴していたせいか、陽に焼けたほほがわずかに色づいており、ちょっとだけ色っぽい。
この年頃の女の子としては長身な細身も、猫っ毛で先端がくるりとカールしたポニーテールも、記憶にあるままのあーちゃんだ。
・・・彼女は無事だったようだ。
どっと疲れが湧き出してきた。
あまりの展開に何も言えず、ぱくぱくと金魚のように口を開けるぼくと、ばちりとあーちゃんの視線が合う。
彼女は不思議そうに小首を傾げ―――
まあいっか、とばかりに興味を失い、そのまま横を通り過ぎると座布団の上にぽすんと腰を下ろした。
感情を持て余し、プルプルと震えだすぼくをニヤニヤと満足気に眺める中年男。
ついには枯れ木のような手を叩き、パチパチと拍手まで始めた。
この野郎。
「何、これは。一体・・・どうなってるの・・・?」
「キヒヒヒヒ!・・・試されていたのはチミだけ。と、いう訳ですねぇ。結果はひとまず―――及第点、といった所ですが。あぁ、お嬢さん。電気を点けるのは待った方が良いですよぉ?」
「およ、なんで?」
涙目で睨みつけるぼくの事なぞ、馬耳東風といった様子で耳をほじるクソ中年。
指先についた耳かすをふっと吹き飛ばすと、男は室内灯のスイッチに手を伸ばしかけていたあーちゃんを声で制止した。
きょとんと首を傾げる彼女に向けて、口の前で人差し指を立て、男は両目を細める。
「―――そろそろ、次の試験が始まるからです」
「試験、だって・・・?」
「先輩」
声を潜めつつ、男が告げたその内容に、ぼくは思わず疑問の声を上げる。
しかしその時。
普段の様子からは考えられないような声で、緊張した様子のあーちゃんがぼくを呼び止めた。
真調を問い詰めるのは一旦止めにして、彼女の方へと向き直る。
その時、宵闇に包まれた窓の外に、ぽつぽつとオレンジ色の光点が生じ―――ゆっくりと動き始めた。
「―――なんか来る」
光点の正体は、各々が松明を手にした―――町の住人達。
その体躯は奇妙にねじくれ、松明が放つオレンジ色の光を受けて、夜道に奇怪なシルエットを投げかけていた。
昼間は人気の無かった道路にぺたぺたと湿った足音が響き、やにわに町中が騒がしくなり始める。
何時の間にか宿の周囲は、異様な雰囲気を放つ者どもによって包囲されつつあった―――
今週はここまで。




