∥005-21 波止場での決斗
#前回のあらすじ:こいつドクズじゃねーか!!!
[生田目視点]
「そら・・・よッっと!!」
「ぐァ・・・ッ!!」
もう何度目になったか。
数えるのも馬鹿らしくなる位に繰り返された突進を、片手でいなし、襟首を掴んで地面へと引き倒す。
ぶざまにすっ転んだ餓鬼はひび割れたコンクリートの上を、勢いよくゴロゴロと転がった。
全身の擦り傷を増やしつつ、うつ伏せに倒れた餓鬼は、ふらふらと立ち上がるとこちらをキッと睨みつけてくる。
いい気味だ。
一体何故、おれがこんな事をしているかと言えば。
この餓鬼につい先刻、今晩の予定を伝えたからだ。
かねてより決めていた―――あの小娘を犯すという、計画についてだ。
そうしたら急にこいつが興奮して、おれを何が何でも止めると言いだしやがった。
どの道敵いっこ無いくせに、本当に頭の悪い餓鬼だ。
警察官はほぼ例外なく、武道の有段者である。
警察学校にて武道を学び、その技能を身に着けているからだ。
特高警官であるおれもその多分に漏れず、柔道四段の黒帯だ。
結論から言えば―――こんな餓鬼なぞ、おれにとっては相手にもならん雑魚である。
まさしく赤子の手をひねるが如し、だ。
こいつ―――丸海人、と言ったか。
この餓鬼がいくら掴みかかろうとしたところで、これまで一度たりとも、指先ひとつおれに掠りすらしなかった。
全て無駄、徒労、骨折り損のくたびれ儲け。
・・・にも関わらず、こいつは何度でも立ち上がり、飽きもせず飛びかかってきやがる。
「おら―――っ!!」
「げえっ!?」
姿勢を低くしてタックル―――に見せかけて、右に飛び退いてからの殴打。
そんな見え見えのフェイントを読み切り、おれは延ばした靴底で餓鬼の鳩尾を軽く蹴り上げる。
日向で干からびたカエルのように、仰向けに倒れる餓鬼の姿を鼻で笑うと、おれはやれやれとかぶりを振った。
「体格、経験、技量。全てにおいて負けてる貴様が何故、自殺行為も同然の抵抗を続ける?あんな小娘、何処にでも居る取るに足らん俗物だろうに」
「っ・・・それを!踏みにじって平気なオマエが・・・我慢ならないから、だっ!!」
「わからん」
理解に苦しむ。
おれはもう一度かぶりを振ると、常夜灯の下で荒い息をつく餓鬼の姿を見下ろした。
浴衣風の館内着は乱れ、所々に土汚れが黒く染みついている。
露出した地肌には無数のかすり傷が刻まれ、膝や肘の先からは薄く血がにじんでいる。
これまで幾度となく、おれの手で転がされ続けた結果だ。
口の端には鳩尾を蹴られたせいか、胃液混じりの反吐がこびり付いている。
恐らく全身は疲労で鉛のように重く、痛みで手足の自由も利かなくなっているだろう。
満身創痍と言って差支えの無い状況。
だが、それでもこいつは立ち上がってくる。
そして―――その瞳に宿る光は、先程から全く衰えていない。
「いい加減、腹が立ってきたぜ。おい餓鬼、馬鹿か貴様は?せっかく殺しちまわないよう手加減してやってるのに、飽きもせず突っかかってきやがって」
「げほっ。・・・さっきは死ねだとか、威勢のいい事言ってた割に・・・その、馬鹿相手に随分と・・・慎重、なんだな?」
「あまりイラつかせるなよ、餓鬼ィ・・・」
何の準備もせず死体を増やすと、後が面倒だからだ。
そんな事もわからんのか、これだから餓鬼は。
挑発的な小僧の言い草に、思わず加減を忘れて全力で蹴り飛ばしてしまいたくなる。
しかし、おれは鋼の精神力で怒りを抑えると、相手の姿を観察した。
恵まれない体格、更に荒事に向かない甘っちょろい性格。
デブの割に身のこなしはすばしっこいようだが、それでもあくまで一般人としては、止まりだ。
―――こいつは脅威になり得ない。
おれは冷静に相対者の評価を終えると、ニヤリと不敵に笑ってみせた。
「まあいい。どの道、貴様如きに出来る事なぞたかが知れとるわ。お遊びに付き合うのもここまでだ。・・・おれはこれから、宿でしっぽり楽しんでくるぜ」
「させる、かッ!!」
「大人しく寝てりゃイイのに、まだ立ち上がってくるか・・・。またすっ転がして、貴様はぶざまに倒れこんで、それで終わりだ」
いい加減、こいつに邪魔されるのも飽き飽きだ。
おれは低くそう言い放つと、ゆったりと自然体で構えた。
対する小僧は、力いっぱい拳を握りしめるとそれを高く掲げ、そのまま真っすぐ突っ込んでくる。
しかし何故か、その視線はおれを素通りして―――背後の岸壁の下をぴたりと注視していた。
「絶対に負けられないんだ・・・!これで、決―――メルッ!!」
「あらよっと」
「!?」
力み過ぎなストレートを半身になって躱し、そのまま後ろからぐい、と肩を押し出す。
小柄な身体は背後から加えられた力に抵抗できず、そのまま真っすぐ―――海に向かって突き進んだ。
餓鬼は護岸の際でブレーキをかけようとしたが、止まりきれずあっという間に空中に全身を投げ出される。
どぼん、と鈍い音を上げ、特大の水しぶきが上がった。
「がははははは!春先の水は冷たかろうて!どうだ、金槌ならおれが優しく助けてやろうか?んん??」
「・・・ッ!・・・!??」
岸壁に近寄り下を覗き込むと、真っ黒な夜の海の中を必死の形相でもがく小僧の姿が見える。
それを指差し、おれは腹がよじれる程笑い声を上げた。
「いい気味だ!そうら、頑張れ!頑張れ!もっと一生懸命水を掻かんと体は浮いてこんぞ?」
「げぼっ!ごぼっ・・・ごぼ」
ばしゃばしゃと水しぶきを上げ、海面をもがく姿をニヤニヤしながら眺めていると、やがてその手の動きが緩慢になってくる。
やがて、海面にごぼりと大きな気泡を上げると―――
それきり、餓鬼は浮かんでこなかった。
強くなってきた潮風が、びゅうびゅうと倉庫街を吹きわたり、立ち並ぶ建物を軋ませている。
漆黒の海の表面に風に煽られて波紋が広がり、それに沿って夜光虫の放つ仄かな光がゆっくりと広がって、消えた。
「―――死んだか」
特に感慨も無く、ぽつりとそうつぶやく。
おれは懐から海外銘柄のタバコを一本取り出すと、餓鬼の沈んだ海に背を向け火を点けた。
刺激的な紫煙で肺を満たすと、ゆっくりと時間をかけて吐き出す。
本当に、馬鹿な餓鬼だ。
先生―――真調が目を掛けていたこともあり、おれからは奴に対して特に、危害を加えるつもりは無かった。
大人しくしてさえいれば、後で食いさしの女をくれてやるつもりだったというのも、本当だ。
古株の刑事から先生と呼ばれるあの男こそ、真の意味で注意を払って接しなければならない存在だった。
おれが右も左もわからないペーペーだった頃から、あの男は警察組織の最も後ろ暗い秘密を知るキーパーソンなのだ。
その真調が紹介したのだから、おれも最大限の譲歩をしてやっていたというのに。
それが何故、こうなったのか。
あの餓鬼が救いようがないくらいに、馬鹿だったからだ。
これから忙しくなる。
餓鬼の遺体を海から引き上げて、身元の特定に繋がる物をかたっぱしから剥ぎ取る必要があるだろう。
所轄の警察に嗅がせる鼻薬も必要になる。
諸々の処置さえ済ませてしまえば、身元不明の水死体なぞ何処の県でも毎年いくらかは揚る程度の存在だ。
どうとでもなる。
「フゥー―――っ・・・。全く、手を掛けさせやがって」
もう一度、肺一杯に吸い込んだ煙を吐き出すと、文字通り吐き捨てるようにおれはつぶやく。
フィルターの間際までタバコを吸い切り、そろそろ面倒事を片付けようかと思い始めた、その時。
突然―――しっとりとした何かに両足首を掴まれ、おれは反射的に足を浮かせようとした。
びくともしない。
何百キロもある土塊にがっちり固められたかのように、拘束から引き抜こうとした両足は微動だにしなかった。
何だ、何が起こっている。
総毛立つ感覚に慌てて足元へ視線を走らせると、そこにはてらてらと碧く輝く水をたたえた、小さな手が足首にかじりついていた。
更にそのうしろには―――同じく大量の碧い水膜に全身を覆われた、あの餓鬼の姿が。
『落・ち・ろ―――ッッ!!』
「う・・・おおおおお!!?」
ぐん、と足首に感じる重量感が増し、身体全体が背後に―――夜の海へ向かって引きずり込まれる。
どぼん、と鈍い音を上げ、特大の水しぶきが上がり―――
おれは真っ暗な海の中へと叩き込まれた。
今回の投稿はここまで。
GW中にもう一回投稿したいところ。




