∥005-18 ダブルのスーツを着た男
#前回のあらすじ:特に何事も無く解放されて現在、混乱中
[マル視点]
梓と二人ならんで、道路の上を歩く。
地肌の上に薄くアスファルトを被せただけの簡易な道は、所々がひび割れ、そこから雑草の芽がひょっこりと顔を覗かせている。
道端にはツユクサの花が揺れ、背後にたなびく漁網の列を可憐に彩っている。
通りがかった民家を生垣の上から覗き込むと、庭に並ぶ網の上で天日干しされていたしらすを咥え、顔を上げた白猫とばっちり目が合った。
何となく動きを止める、一人と一匹。
両者の間で、無言のまま時が流れる。
しかし直ぐに、隣から素っ頓狂な叫びが上がり、両者は弾かれるようにそちらを向くのだった。
「あーっ、にゃんこだーーー!!」
「!?」
『!?』
「ねぇねぇ!先輩あれ見て!あれ!お魚くわえたにゃんこが―――」
興奮した声の主はあーちゃんこと、ぼくの後輩である羽生梓その人である。
重度の猫好きである彼女は、野良猫に遭遇すると毎度こうなる。
なので、通学路を縄張りとする彼等からは徹底的に避けられているのだった。
(避けられる当人はそんな事なぞ構わず、視界に入り次第彼等を追いかけまわすのだが)
旅行先のここでも避けられっぷりは健在だったようで、猫発見の報告を始める彼女の背後では、早くも逃走に入った白猫が網の上から音も無く飛び下りていた。
がさりと月桂樹の生垣が揺れ、その向こうにくすんだ色の白い尻尾が消える。
―――再び梓が振り返った先には、野良猫の姿は影も形も無くなっていた。
「・・・って、もう居ないよ?どこー!?」
「ついさっき一目散に逃げてったよ?大声出したりするから・・・」
「そんなぁ」
がっくりと肩を落としうなだれる後輩に、ぽんぽんと肩を叩いて慰める。
丁度良い高さに下りてきた頭を撫でる傍ら(断じて普段の姿勢だと手が届かないとか、そんな訳ではない!)、軒先でこうして騒いでも一向に出てくる様子の無い家主のことが気になり、ちらりと家の中を覗き込んでみる。
ぴたりと雨戸の閉められた家屋は、しんと静まり返っており人気が感じられない。
聞こえる物音といえば、風にゆられる月桂樹の葉擦れの音くらいだ。
―――もしかしたら留守なのかもしれない。
人気の感じされない町並みを見渡しつつ、ぼくはぽつりと呟く。
「それにしても、ここに来るまでお店の人くらいしか見かけなかったよね・・・。意外に家の数も多くて、人口多そうな町のに。みんな漁にでも出てるのかな・・・?」
「違うと思うよー?今だっておうちの中から、こっち見てるカンジするし」
「えっ」
あまりに静かすぎる町を評するそんな感想に対し、早速否定の声が真横から上がる。
思わず怪訝な表情でそちらを振り返ると、こちらをまっすぐ見つめる大きな瞳と視線が交差した。
弓道部では感覚派の天才と評される彼女は、ぱちくりと目を瞬かせると、首をこてんと倒しこう続けるのだった。
「ここに来る途中すれ違った家でも、物音立てないようにしてじー・・・って。みんなあたしたちのコト見てたよ?知らないヒトが来たから気になってるのかなぁ?」
「・・・いやいやいや、そんなまさか」
流石にそれはちょっと怖い。
彼女の言葉が正しければ、行く先々でぼくらはずっと監視されていた事になる。
それがただの勘違いであることを祈りつつ、しかし妙に勘の鋭いところのある彼女が言うのであれば、恐らく間違いないだろうという確信めいた予感がある。
ぼくは人知れず身震いすると、梓の小さな手を掴み、そそくさとその場から立ち去るのだった。
・ ◇ □ ◆ ・
ぼくらは再び散策を続ける。
何となく住宅地から離れたくなり、漁師風の家々が立ち並ぶ区画から離れ、大分海へ近いところにまで歩いて来ていた。
足元は舗装された道路から砂利道へと変わり、周囲には背の低い雑草とまばらに生える若木が点在している。
道の傍らには、青々とした葉を伸ばしたススキが潮風を受け、涼やかな音を立てて揺れていた。
遠く、大海原の彼方には水平線の上に揺らめく太陽が、赤く染まった日差しを投げかけている。
こつこつと靴音を響かせ歩く二人の影法師は、もう随分と背丈が長く伸びていた。
―――元々、夕食の時間までという予定の散策である。
暗くなる前に、宿まで戻っておくべきだろう。
ただ、もう少しくらいなら散歩する余裕はある筈だ。
そんな訳で、ぼくら二人は細い砂利道をぶらぶらと、あちこち物珍しそうに見回しながら歩いていたのだ。
そうして幾許かの間、雑草の繁茂する廃屋や、打ち捨てられたボートといった見慣れぬ風景に目を楽しませた後。
唐突に後輩が上げた声に釣られて、ぼくは道の向こうにあるものを見上げるのだった。
「・・・ねぇねぇ先輩。あれ、何だろ?」
「あれは―――鳥居、かな?」
それは簡素な石組みで構成された、背の低い灰色の鳥居であった。
道の途中に唐突に現れた光景に、小首を傾げつつぼくらはそこまで歩いて行く。
近寄ってみると、鳥居の奥には社らしきものが一つ。
風に揺れるススキ野を背景に、ぽつねんと佇んでいた。
鳥居の足元には砂利に紛れ、飛び石らしき平らな岩が埋め込まれており、それは社の前まで一直線に並んでいた。
目の細かい砂利を踏みしめ、梓と二人して社の前に並ぶ。
木製の簡素な社は意外と背が低く、ぼくの胸くらいまでしか無い。
少し屈んで中を覗き込むと、つるりとした丸い瞳がふたつ、じっとこちらを見つめ返してきた。
「魚の頭に、人の身体・・・?」
「このおうちの神様、なのかなぁ?」
―――そこにはくすんだ金色の、握りこぶし大の像が収められていた。
先程のつぶやきの通り、その姿は魚頭人身の一見、奇怪な形状をしている。
魚類特有の、外にせり出した大きな両目。
それとは対照的な、小さな鼻の孔がちょこんと顔の中央に並んでいる。
大きく開かれた口の上にはちょろりと伸びたヒゲが描かれており、その姿は全体的にどこかユーモラスだ。
何故かこの時、ぼくはこの村の住人に共通する特徴――極端なヒラメ顔――のことを思い出していた。
二人してしげしげと像を眺めていると、突然、背後から何者かが声を掛けてくる。
「―――それはアタクシ達の祖霊、泥艮様の御姿よん」
「「・・・!?」」
ぼくらは揃ってそちらを振り返る。
そこには―――ずんぐりとした体型の、奇妙な風体の人物が佇んでいた。
ダークグレーのダブルのスーツに、同じくダークグレーのフェルト帽子をちょこんと頭に乗せている。
そのウエストは樽のように太く、キングサイズのベルトが辛うじて、一番外側ギリギリの穴でその腹回りを留めていた。
年のころは40代か、それとももっと若いのか。
一見しただけでは年齢不詳な外見の、不可思議な人物であった。
そして例のごとく―――見事なまでの平目顔である。
まん丸い両目に、ちょろりと生えた泥鰌髭のせいで、どこかその容貌はナマズめいたものに見えてしまう。
つん、と強い磯の香りが、鼻の奥を刺激した―――ような気がした。
「先輩!あの人ナマ―――もがっ」
「あーちゃんはお口チャックしましょうねー?」
彼女も考えることは同じだったようで、後輩がそれを口に出す前に背伸びして阻止する。
両手で押さえた下でもごもごと動く、口の感触がこそばゆい。
いつぞやも目にした、そんなコミカルなやりとりを繰り広げるぼくらの様子に、目の前の人物はきょとんとした表情で大きな眼を瞬かせる。
そして小さく噴き出すと、楽し気に笑い声を上げるだった。
「ギョフフフ・・・面白いコ達ねぇ。ここへは観光で来たのかしらん?」
「ええと・・・はい、そんな感じです。所で、失礼ですが貴方はここの―――?」
「玄華 孫六よん。この町はアタクシの生まれ故郷でねぇ、ちょーっと前まで野暮用で離れてたんだけれど、結局戻って来ちゃったわん。こういうのも帰巣本能、って言うのかしらねぇ・・・?」
「は、はぁ・・・」
玄華と名乗った男(?)はまん丸い瞳を閉じると、悩まし気にため息を吐き出す。
それにどう答えていいかわからず、曖昧な笑みを浮かべるぼく。
何とも言えない空気が一瞬流れかけるが、しかしすぐに咳ばらいを一つすると、彼は社の中に鎮座する金色の像をちらりと見やるのだった。
「オホン!・・・説明を続けるけれど。この辺りには古い土着の信仰があってねぇ、この社はその祭神と、先祖代々の霊魂を祀る場所というワケよん。我等、深泥の民は死後、母なる海へと還り、深泥都邑の都で永遠の時を過ごす―――って。確かそんな感じの御話だったかしらん?」
「ふむふむ・・・。海の向こうにある、理想郷の伝承が残されてるんですね?ニライカナイみたいな・・・」
「先輩、にらいかない、って?」
「アラ、物知りなのねぇ?ネリヤカナヤとも呼ばれる、沖縄地方に伝わるユートピア伝承の事よん。人間社会では古代において、海の向こうは異界、死者の霊魂が行きつく先とされていたみたいなのよん。だからニライカナイは冥界、あるいは神々の世界と考えられていたみたいねん?」
「へ~・・・」
唐突に始まった民俗学談義に、思わず感心のため息を漏らすぼく達。
そしてどうやら、この町には独特の死生観を含む、土着の伝承が伝えられているようだ。
奇妙な男(?)の講釈は続く。
「ここ―――片洲の話に戻るけど、神々の国である深泥都邑に戻った魂は、祖霊である『泥艮様』と同一化するの。深泥都邑は深い海の底にあるから、その姿は人と魚、その二つを合わせたカタチをしてるという訳よん」
「海の中に町があるの?」
「そうよん。云わば海中異界、といったところかしらねぇ?ここの伝承に関してはそんなところよん。退屈な話でごめんなさいねぇ?」
―――そう言って、男は話を締めくくる。
ぼくはそれに両手を振って応えると、にっこりと微笑んで見せた。
「いいえ!とっても興味深いお話でした。それでええと・・・玄華さんはここへお参りに来たんですか?」
「・・・まぁ、そんな所かしら。アタクシのベイビーちゃんが泥艮様の御許へ導かれてはや数年。不甲斐ない親に出来る事と言えば、こうして祈る事くらいですもの・・・」
「おじさん・・・」
社を横目に、どこか自嘲気味の笑みを浮かべる男。
彼の言葉が暗示する内容に、思わずぼくは言葉を失ってしまう。
―――しばしの間、静寂があたりを満たす。
やがて意を決して視線を上げると、ぼくは彼の顔を真っすぐ見つめ口を開いた。
「・・・良ければ一緒に、祈らせて貰っていいですか?」
「あたしも!」
「あらん?・・・ギョフフ、優しいコ達ねぇ。ベイビーちゃんもきっと喜んでくれるわ」
そう言って口元に笑みを浮かべると、男はくるりと小さな社へと向き直る。
太く節くれだった両手を合わせ、ずんぐりとした身体をかがめる。
やがて、小さく祈りの言葉が聞こえ始めた。
それに倣い、ぼく達もまた瞑目したまま、顔も知らない、旅先で行き合った人物の肉親へと、無心に祈りを捧げる。
何処のものとも知れぬ、奇妙なつぶやきが鈍色の空へと消えてゆく。
―――祈りを終えた後、もう一度向き直った男の表情にはどこか、晴れ晴れとしたものがあった。
「アタクシはもう少し、ここで野暮用を済ませてくわん。・・・貴方たちはどうするの?」
「ええと―――」
「おなかすいたぁ・・・(グルルキュ~)」
「・・・お連れさんは早く帰りたいみたいね?」
合掌を解き、立ち上がった玄華は大きな瞳をひとつ瞬かせると、ぼく達の予定を聞いてくる。
もう少し話して行こうか、と迷い始めた矢先。
隣から大きな腹の虫が聞こえて来て、ぼくは思わずがくりとつんのめってしまった。
ジト目で後輩を睨むぼくの姿に、スーツ姿の男はからからと楽し気に肩を震わせ破顔するのだった。
「・・・日も落ちてきたし、そろそろ宿に戻ろうかと思います。あ、泊ってるのは街道沿いの―――」
「『安曇館』よね?」
袖すり合うも縁の内、という事で、ついでに宿泊先を伝えておこうとしたところ、内容を先に言い当てられてしまう。
えっ、と疑問を顔に浮かべ上げた視線の先では、ナマズめいた顔がニヤリといたずらっぽく笑みを浮かべていた。
勝手知ったる地元のこと、どうやら旅行客が宿に選びそうな所くらい、あちらは既にお見通しだったようだ。
「外からのお客さんが泊れるような所なんて、あそこくらいだものねぇ。・・・ところで、旅行の日程は今日までなのかしら?」
「あー・・・いえ、多分もう何日かは滞在することになるかと」
「あらそう、残念だわ」
「・・・えっ?」
ぽつり、と不意にこぼしたその一言に、ぼくは思わずそう聞き返す。
しかし男はそれに答えず、くるりと背を向けると社に向かい、再び祈り始めてしまった。
その背中に、どこか拒絶めいたものを感じ取り、ぼくは何も言えなくなってしまう。
無言のまま、ずんぐりとした背中にぺこりと別れの挨拶をすると、ぼくらは宿に向けてゆっくり歩き始めた。
夕闇の迫る海岸端。
一度だけ振り返った先で、ずんぐりとした体型の男はひたすら無心に、何かへ祈り続けていた―――
今週はここまで。
一回お休みを貰いましたが、これからは通常進行の予定。




