∥005-16 ハザードシンボル
#前回のあらすじ:施設長はアンコウ顔
[マル視点]
「ところで。チミは、ロンドン条約をご存じですかねぇ?正しくは―――廃棄物その他の物の投棄による海洋汚染の防止に関する条約、と言うんですが」
「な、何を唐突に・・・。ロンドン、条約?・・・知らないですけど」
猿顔の小男とふたり、人気のない廊下を歩く。
管理事務所にてギョロ目男こと、生田目と別れたぼくらは、彼が施設長との話を終えるまでの間、施設の中を散策している所だった。
見慣れぬものばかりの景色に密かにワクワクしつつ、周囲をキョロキョロと見回しつつ歩くぼく。
そんなぼくに対し、真調が問いかけたのが先程の一言だった。
突然の質問に、ぼくはしばし首を捻る。
しかしすぐに片手を振ると、小さくため息を吐き出すのだった。
その様子にやれやれとかぶりを振ると、真調は再び口を開く。
「不勉強ですねぇ・・・。現代史の範囲で普通に習う内容ですよぉ?」
「そりゃ、悪うございましたね・・・」
いささかバカにした調子で、そんなことを言う真調にぼくは棒読みのまま相槌をうつ。
―――事実、バカにされているのだが。
謝罪しつつも悪びれないぼくにため息をつくと、男は歩調を緩めず訥々と語り始める。
「―――ロンドン条約は、はじめ1972年に結ばれた、廃棄物処理に関する国際的なルールの一つです。その後、幾度かに渡って同様の条約が国際社会で締結されましたが・・・。そのどれもが、核廃棄物の海洋投棄を禁ずる内容でした。・・・さて、これでチミも一つ、賢くなれましたねぇ?」
「オシエテクレテアリガトー、ワーウレシイナー」
・・・1972年といえば、ぼくが生まれる前とは言え、そこまで昔の出来事ではない。
確かに、学校の授業で習っていそうな内容と言えるだろう。
それを不勉強だと指摘されてしまえば反論もし辛いので、もう謝るしかない。
それはそれとして。
目の前の男のことが気に入らないので、ぼくは不機嫌な内心を全く隠す気が無かった。
せめてもの反撃とばかりに、唐突なネタ振りに対して口を挟む。
「・・・で?それが一体何だって言うんですか」
「キヒヒヒヒ!・・・いえねぇ、我が国においても、この条約の1996年議定書を批准してるんです。つまりですねぇ、今となっては核のゴミを海へポイするなんて、言語道断の行為という訳ですよぉ」
「良い事じゃないですか」
「全く持ってその通りですねぇ」
―――そんな、胡乱なやりとりを交わすぼくたち。
静まり返った廊下に小さな靴音を二つ。
こつこつと残しながらぼくらは進む。
始めて訪れる場所という事もあり、管理事務所を後にして以来ずっとぼくは、この男の後をついて歩き続けていた。
迷子になったりすると困るし。
そんなぼくの言葉にうんうんと頷くと、真調は幾分声の調子を落とし、こう続けるのだった。
「―――ですが、それ以前。核廃棄物は海へ捨てられていたという事です。世界中の原発から、核のゴミが海に流され捨てられていたんですねぇ。かつてはどこの国でも、海洋投棄はごく当たり前のように行われていました」
「それは・・・なんというか、大丈夫なんですか?」
「尤もな疑問です」
聞いたことも無かった歴史的事実に、いささか愕然とした気分でそう呟く。
かつては夢のエネルギーとして持てはやされた原子力だが、今では明らかになった様々なリスクにより、その実態は理想とはかけ離れたものだと知られている。
核廃棄物もその一つだ。
自分が住んでいる地域では縁の無い話題だが、原発の近隣地域にとっては他人事ではないだろう。
―――そう言えば、北陸地方にも幾つか、原発が存在するのだった。
そんな事をふと思い出したところへ、真調が再び口を開く。
「ですが当時は、放射性元素が容器から漏れ出すより前に、半減期を迎えて無害化する・・・だとか。そんな理屈で正当化されていたそうですよぉ?今となっては、まぁ。前述のとおり全面禁止な訳ですがねぇ。・・・あ、そこ右に曲がります」
「へいへい」
適当に相槌を打ちつつ、幾度目かの分岐路を男の言葉に従い曲がる。
そうして目の前に現れた通路の突き当りには、丈夫そうな鋼鉄製の扉と、その側でLEDを灯らせるプレートがあった。
そこで流れるように通門証を―――使わず、内ポケットから取り出したIDをプレートに押し当てる真調。
がちゃんと小さな音と共にロックが外れ、ゆっくりと扉が開かれる。
扉の外は、少し長めの渡り廊下となっていた。
渡り廊下から、周囲の光景を見渡す。
何時の間にか坂でも上がっていたのか、それとも周囲の土地が下がっているのか。
渡り廊下は、それまで居た建物の2階部分からせり出しており、中空から見下ろす地面には伸び放題の草地が広がっていた。
そこから更に視線を上げると、草地の先に背の高いフェンスが設置されているのが目に留まる。
フェンスは視界を横切る形で続き、灰色の建物に遮られ見えなくなった先まで一直線に伸びていた。
フェンスの向こうには、青々とした葉を茂らせたススキが一面に広がり、風になびいている様子が見える。
―――どうやら、この場所は施設の端に位置しているらしい。
あのフェンスは恐らく、施設の外周をぐるりと取り囲んでいるのだろう。
続いて、廊下の先へと目を向ける。
渡り廊下の終点は一つの扉に繋がっており、そこから先は更に別の建物となっているようだった。
建物の1階部分を見下ろすと、ちらりと見える入口にはシャッターが下ろされている。
あたりには人気が感じられない。
―――この男は、こんな場所に一体何の用があるのだろうか?
この時。
目の前の胡散臭い中年男にもっと警戒心を抱いていれば。
先導されるままにホイホイ付いて行かず、一人で生田目の帰りを待っていれば、と。
後にぼくは、この時の迂闊な行動を後悔するハメになる。
―――男の行動に一瞬、疑問が頭をよぎるが、答えが出るより前にぼくらは廊下を渡りきる。
再びプレートにIDをかざし、真調はロックの外れた扉のノブに手を掛けた。
がちゃり、と低い音を上げて、金属製の重厚なドアが開く。
男の小さな背中を追いかけ、ぼくはひっそりと静まり返る建物の内部へと、足を踏み入れた。
暗い。
行く手に光る、小さなランプの光点を除けば、入口から差し込むわずかな光くらいしか室内を照らすものが無い。
その入口も、ゆっくりと閉じるドアによって狭められ―――あたりは真っ暗になった。
かちり。
スイッチを入れる音がして、前を行く真調から扇状に光のビームが広がる。
逆光でシルエットとなった男が振り向き、口を開いた。
「足元には注意してくださいねぇ?そこいらの荷物を蹴っ飛ばしてもボクチン知りませんからねぇ・・・キヒヒヒヒ!」
「そう思うんなら部屋の明かりくらい、付けてくださいよ・・・」
「いやぁ、すいません。もう少し行けば室内灯のスイッチがありますから・・・」
そんなやりとりを交わしつつ、懐中電灯を構えた男の後を追いかける。
廊下を通り過ぎ、階段を下りて、だだっ広い部屋へたどり着いたところで、真調は再び口を開いた。
「着きました。ちょっと待っててくださいねぇ?」
「・・・あの、今更ですけど何処ですかここ?妙にホコリっぽいというか、人気が感じられないというか―――」
「滅多に人の来ない処ですからねぇ。掃除が行き届いてないのはご勘弁を・・・っと、あったあった」
ぱちん。
壁際のスイッチを入れる音、頭上に走る蛍光灯が点る前の、小さなノイズ。
やがて天井に並ぶ照明が一斉に点灯し、室内は光に包まれた。
大きい。
来る途中見かけた部屋程ではないが、室内の天井は高く、視界の端から端まで金属製のラックが、所狭しと並んでいる。
そして、ラック中には目にも鮮やかな、円柱形の黄色い容器が等間隔に収められていた。
「・・・・・・・・・えっ?」
思わず、間の抜けた呟きが漏れる。
容器の中央、赤い塗料で塗り分けられた図形へと、ぼくの視線は自然と吸い寄せられていた。
扇状の図形を、三つ。
放射状に並べた、誰もが知っている―――しかし現実に目にすることのない、ハザードシンボル。
ニュース番組の中ぐらいでしか見たことのないそれが、何十、何百と―――
この倉庫内には安置されていた。
走馬灯のように、ここまでの出来事が脳裏に駆け巡る。
あの男は、ここがゴミ処理場だと言っていた。
通路の奥に隠されていた扉、異様に厳重な作業員達の装備。
この施設は、越前岬にほど近い海沿いに位置している。
現在地から南へ下れば、そこにあるのは敦賀湾。
―――そう、敦賀だ。
北陸地方一帯には敦賀を始めとして、15基もの原発―――原子力発電所が存在する。
「ここは公には公開されていない、核廃棄物処理施設です」
ぽん、と。
何時の間にか背後に回っていた真調が、ぼくの両肩に手を置いた。
背筋を冷たい汗が滑り落ちる。
その感覚にぶるりと震えると、ぼくはゆっくりと後ろを振り返った。
男の顔には―――能面のような、おぞましい笑みが刻まれていた。
「先程の続きですが―――我が国は現在に至るまで、密かに核廃棄物の海洋投棄を続けています」
「何、だって―――!?」
「敦賀、志賀、大飯、美浜、高浜。更に研究用の高速増殖炉を含め、ここには各地から出る核のゴミが集まります。それを密かに受け入れ、処分している訳です。来る途中に見たでしょう?低レベル廃棄物にも満たないものは放射能を帯びている点を除けばほぼ、普通のゴミと変わらないですからねぇ。ああしてより分けた後で、可能な限りかさを減らすよう焼却される訳です。そうして出た排煙から放射性物質を回収して、収められたものが―――これです」
二人の視線が黄色い容器に集まる。
その中心には、放射能を示すハザードシンボルが刻まれていた。
これが、全部。
一体どれだけの分量を、どれだけの期間集めたのか、想像すらつかない。
ざあっ、と血の気が引く。
これは―――罠だ。
無意識にこの場から逃げ出そうと身じろぎするが、枯れ木のように細い腕からは想像もつかない力で掴まれ、ぼくの身体はびくりとも動かない。
耳元に口を寄せ、囁くように男は続ける。
「ここに一旦集められた廃棄物は、定期的に外海へ運ばれて―――こっそり投棄されます。裏手に川があったでしょ?あそこからボートで運んで、途中で大きな船に載せ替える訳です。そのまま公海を出て、日本とソ連の間にある日本海上のどこかへ投棄される訳ですねぇ」
そんな話は聞いたことがない。
原発から出る廃棄物は、何処の国でも然るべき処置の末、環境へ影響を及ぼさないよう厳重に管理されている筈だ。
根も葉もないハッタリだ―――と。
そう片付けてしまうにはあまりにも、ここへ来るまでにぼくは色々なものを見過ぎていた。
これだけの規模、これだけの分量。
その全てを、密かに行っている何者かが存在するのだとしたら。
―――それは国家そのものとしか考えられない。
「此処では使用済み核燃料の再処理を含めた、包括的な核廃棄物処理を手掛けています。―――あぁ、安心してください、この集積所は一番線量が低い処ですから―――長居しなければ、直ちに健康に影響が出る事はありませんよぉ?尤も―――他の集積所はそうも行かない訳ですが、ねぇ」
耳から流し込まれる情報が、毒素のようにジワジワと思考を浸食してゆく。
必死の思いで、辛うじて上げた疑問の声に男は片眉を上げた。
「何、で・・・」
「・・・ふゥん?」
思考がまとまらない、わけがわからない。
わからないが―――ここに居るのは絶対に、まずい。
被爆だとか健康への影響だとか、そんな問題ではなく―――
この施設の真実を知っている事自体が致命的にヤバい!!
「何故か―――と、問われましても。ボクチンはただ―――お近づきの印として、チミにも秘密を共有ようと思っただけですよぉ?―――丸海人くん」
そしてニタリと邪悪な笑みを浮かべると―――こう告げたのだった。
「同じ秘密を抱える者同士、仲良くしましょうねぇ?」
今週はここまで。




