∥005-15 管理事務所にて
#前回のあらすじ:普通のゴミ処理場だな、ヨシ!(現場猫感)
[マル視点]
「おお!おお!遠路はるばるよぉお越しくださいましたわ。先生がいらっしゃれば百人力、いや千人力ですわ。ぐわっははははは!」
管理事務所の奥のデスクにて、でっぷりと肥え太った腹を文字通り抱えて、一人の男が笑い声を上げる。
豪快に大口を開ける度に、首回りの肉がぶるりと波打つように震え、吹き出物の目立つ浅黒い肌がてらてらと蛍光灯を反射し蠢いた。
その身を包むくすんだ紺のツナギは今にもはち切れそうで、くっきりと横皺が刻まれた腹のボタン周りは悲鳴を上げているようだ。
そんな超重量級の胴体に比べ、貧相な腕にはプラ製の腕章が安全ピンで留められ、そこには「施設長」と書かれているのが見て取れた。
・・・一度目にしたら忘れられそうにない、強烈なキャラクターだ。
しかしそれだけではなく、彼の容姿は施設内で見かけた作業員達と同じような―――
両目の間がやけに離れた、いわゆる平目顔であった。
あちらはハゼかカエルウオといった、丸っこいながらそれなりにスリムなフォルムをしていた。
だが、目の前の彼はダルマオコゼか、アンコウのような、海底に潜む底生魚を彷彿とさせる異形っぷりだ。
見たまんまを口にしてしまうあーちゃんがこの場に居たら、一体どんな発言が飛び出していたやら。
彼女を車内に置いてきたことを、今だけは心の底から感謝するのだった。
あまりジロジロと見るのもよろしくないと、ぼくは室内へと観察の対象を切り替える。
事務所内には、男の座るデスクの他、幾つかのワーキングチェアや戸棚、資料の収められた引出しといった、事務用品の数々が所せましと並んでいた。
収容人数は4・5人といった所だろうか。
複数人で事務処理を回すことのできるよう、室内には島が形成されている。
しかし今のここは人気が無く、しんと静まり返っていた。
今日、真調がここを訪れた目的の一つは、目の前の男との面会にあったらしい。
デスクの前へ一歩進み出ると、チンパンジーめいた小男は軽薄な笑顔を浮かべた。
「第14寮のことは聞いてますよぉ~?大変だったみたいですねぇ。カワイソウカワイソウ!・・・でも、もう安心!ボクチンが心強い仲間を連れて来てあげましたよぉ~?」
「そういう事ですな!おれが来たからにはもう、何の心配もありますまい、がはははは!!」
真調の言葉を受け、ずいと進み出た生田目が自慢げに胸を張る。
高らかに笑い声を上げるギョロ目男。
一方、そんな彼の姿に施設長はぴたりと笑顔を収める。
先程までとは打って変わり、怪訝な表情を浮かべ真調をじろりと睨むと、ぽつりと呟いた。
「・・・こちらの方は?」
「彼は此度、上の要請をうけて特高警察から派遣された生え抜きの捜査官です、名前は生田目 黄身彦。この道15年!たたき上げのベテランさんですよぉ~?」
「只今紹介に預かりました、生田目と申します、以後よしなに!」
「―――特高警察。」
ローテンションな施設長の様子にはついぞ気付かず、紹介を受けたギョロ目男こと生田目が再びふんぞり返る。
一方の施設長は、更に疑念を深めるようにして、その言葉に繰り返すのだった。
不審げな目の前の様子が全く目に入らぬのか、生田目はサメのように白目がちな両目をぐるりと動かすと、直立不動の姿勢で敬礼を取って見せた。
機械の作動音が遠く響く静かな室内に、良く通る男の声が凛と響き渡る。
「・・・失礼!貴君はご存じないかも知れませんが、此度の一件は高度に政治的な要素を含む事件となります。―――まずは、過激派摘発の実績を持つおれを先遣隊として、後に、敵勢力の分析を基に本庁から、適時援軍が送り込まれるという寸法ですな」
「ほほぅ?」
「チミも聞いたこと位はあるでしょうが―――日本海沿岸地域には時折、諸外国からの密航船が流れ着く事があります。極東、中国東岸、そういった地域から海を越え、密航を手引きするブローカーの力を借りて、遠路はるばるこちらへやって来る訳ですねぇ。ちょうど先日も近くの海岸にて、所属不明の小型船が打ち捨てられているのが、海保の巡視船に発見されたそうですよぉ?」
生田目の自己紹介に続き、真調による事件の背景説明が入る。
―――ここより海を越えた大陸側、ユーラシア極東地域は自然の脅威が今も残る、極寒の地だ。
この辺りもあまり発展しているとは言い難いのだが、それでも働き口を求め、密かに海を渡ってくる人々が時折居るのだという。
新聞や雑誌でも、出稼ぎ外国人を手引きする闇の密航業者に関する記事が、紙面を賑わせせる事がある。
しかし―――ここで生田目が懸念しているのは、それとはまた別の問題であった。
「単に、食いつめ者が出稼ぎに来たのならともかく・・・。そういったていを装い、某国の工作員が侵入したのでしたらことです。実際、今回見つかった密航船からはロシア語のメモと、軍用糧食の残骸が見つかったという報告もあります。我々は、今回の一件を某国による破壊工作と見ておる訳です。なにしろここは―――」
「生田目君」
弁舌に熱の入り始めた生田目に向けて、珍しく鋭い調子で真調の声が飛ぶ。
それにはっとした様子で口をつぐむと、何故かこちらを振り返り、生田目はどこか気まずそうにしてかぶりを振った。
(・・・何だろう、今の)
奴はさっき、一体何を言いかけたのだろうか?
まるでぼくに知られるとまずい事でもあるような、不自然なやりとりだった。
頭の片隅をよぎったそんな疑問に、ぼくは密かに首を傾げる。
しかし、すぐに何事も無かったかのように説明は再開され、ぼくは再び会話へ耳を傾けるべく、その疑問を記憶の引出しへとしまい込むのだった。
「まぁ、そんな訳でして。彼はその道のプロとして派遣された、強力な助っ人という訳です。・・・時にミッキー君、あちらにはカネ次第で非合法の荒事を請け負う、オカルト界隈のプロが居るんだとか―――?」
「・・・ええ、そうですな。古来より続く道士や巫術士の流れを組むだとか、そんな触れ込みの裏の始末屋が、極東アジアの黒社会では暗躍していると耳にしております。おれは正直、眉唾だと思うのですが・・・。しかし厄介なことに、我が大日本帝国においてもそういった手合いが起こした事件が、公式に残されているようです」
話題転換の為か、唐突に生田目へと話を振る真調。
それに対し、顎に手をあて少し思案すると、男はそんな事を答える。
・・・今の内容が事実なのだとすると。
海の向こうではヤクザ同士の揉め事に、呪符やらキョンシーやらが飛び交う、そんな光景が繰り広げられている事になる。
まるで映画か小説のような話だが、よくよく考えてみれば宇宙人モドキや妖怪までがこの世には実在するのだった。
今更驚くような事でもない。
「今回の一件、おれなりに施設内の破壊箇所を見させて貰いましたが―――大型重機等が持ち込まれた痕跡が、どうにも見当たりませんでした。センセイ。あんたが今回呼ばれたのは、まさか・・・」
「えぇ、えぇ。件の襲撃者達の中に、その筋のプロが紛れていた―――と、お上はそう見ている訳ですなぁ。蛇の道は蛇。そういう事でしてねぇ、ボクチンとそこの彼が動員された次第でして。ええ」
「なるほど・・・?」
最期にこちらへちらりと視線を投げて、真調はそう説明を締めくくった。
これでおぼろげながら、今回巻き込まれた事件の全体像が見えてきたように思える。
最初に―――外国から謎の集団が出稼ぎを装い、密かにこの地域へと潜伏した。
そいつらはここ、いわくありげな施設へと襲撃を仕掛けて、日本政府はその事実を知った。
この事件の調査のため、外国勢力に対するエキスパートとして生田目が。
更にオカルト関係の専門家として、真調が呼ばれ―――それにぼくが巻き込まれた。
ざっと纏めるのならば、こんな所だろう。
連中が嘘をついていないとするならば、だが。
「そういう事になった訳ですか」
「そういう事になった訳ですよぉ」
施設長と真調、二人して含みを持たせた言い回しの後に、意味ありげに目配せを交わす。
そしてくるりと振り返ると、猿顔の男はこちらに向けて薄く笑った。
「―――さて、捜査についてお二人で詰めるところもあるでしょう。後は生田目君に任せて、ボクチン達はそこらをぶらつくとしましょうか」
「えっ」
唐突に話を向けられ、当惑するぼくの肩に手を掛けると、ぐいぐいと押してゆく真調。
そのまま事務所の外まで連れ出すと、後ろ手に入口を閉めてしまった。
ばたんと閉じるドアの向こうからは、詳細な聞き取りを開始した生田目と、それを幾分面倒そうに応じる施設長とのやりとりが、ここまで微かに伝わってくる。
「何ですか急に。いったい何のつもり―――」
「ついてきて下さい」
何故、急に連れ出されたのか。
問い詰めようとしたぼくを置き去りにして、くたびれた背広姿はすたすたと通路の奥へ行ってしまう。
調子を外され、ぽかんとするぼくは幾度かまばたきを繰り返すと、すぐにはっと気を取り直し真調が向かった先へ視線を向けた。
通路の奥には、こちらを振り返り手招きする男の姿があった。
すぐに前へ向き直り、通路の奥へと消える真調。
ぼくは慌てて駆け出すと、小さな背中を追いかけ通路を走るのだった―――
今週はここまで。
2021/03/20 一部文章を修正




