∥005-11 安曇館の惨劇
#前回のあらすじ:「これが終わったら風俗行くか!(フラグ)」
[マル視点]
午後のうららかな日差しの下。
道路を行き交う車列に交じり、一台の黒のセダン車が北を目指し走ってゆく。
左手には、深い藍色を湛えた穏やかな日本海。
右手には、道の間際にまで迫った切り立った崖。
ごつごつとした岩肌が剥き出しになった海岸線と、落石防止のネットが張られた断崖との間にに挟まれ、か細い狭間を縫うようにして車は進む。
長く続いた急なカーブを抜けると、行く手を遮るように立ちはだかっていた岩壁が取り払われ、視界の右半分が一気に開けた。
急激に差し込んだ日差しに一瞬、視界が白んだ後。
窓ガラスの外には、所々に青く切れ目の覗く薄曇りの空。
そして、紺碧の海原と空との間に挟まれた、どこまでも続く水平線が広がっていた。
シートの上で子供のようにはしゃぐ梓と一緒になって、ぼくは眼前の絶景に瞳を輝かせる。
―――車はF県北西部、越前海岸に沿って進んでいた。
奇岩断崖で知られるこの地域には、耕作可能な土地が比較的少ない。
ここから更に北へと進み、福井平野に入ってしまえば肥沃な堆積平野が広がっているのだが、そこに至るまでの海岸線には切り立った崖が多く、民家もまばらである。
一方、海岸線の所々に点在する漁港は、豊かな日本海の恵みを求める漁船たちの寄港先として、大いに賑わいを見せていた。
窓の外を流れる風景は、随所に岩肌が覗く海岸線から、道路の両脇を彩る木々の緑と、次第に増えつつある小ぢんまりとした民家へと移り変わりを見せていた。
更に道を進むと、左手の街並みが途切れ灰色の防波堤と、その奥にきらめく波間が視界に飛び込んでくる。
穏やかな海面の上には岸壁に身を寄せ合うようにして、数多くの漁船達が白い船体を波に揺られている。
その光景を見守るようにして、護岸の上から一羽のアオサギが首をすぼめ、じっと佇んでいた。
続いて反対側へと目を向けると、丁度、通りがかった店舗の軒先に翻る、松葉ガニのイラスト入りののぼりが目に入る。
そういえば、昼に食べたお蕎麦も、海鮮の出汁がよく効いて実に美味かった。
北陸地方は海の幸の宝庫だ。
ひょっとすると、夜は夜で豪華な船盛が!
―――なんて事も、あるかも知れない。
流石にちょっと油断しすぎかも知れないが、ぼくはすっかりこれからの出来事が楽しみになってしまっていた。
そんな内心を知ってか知らずか、車はゆっくりと、しかし着実に目的地へと近づきつつあった―――
・ ◆ □ ◇ ・
スピードを次第に落とし、黒のセダン車はモルタルで覆われただけの簡素な駐車場に停車する。
車内から見上げると、窓の外には2階建ての、古風な民宿といった趣の建物が佇んでいた。
元はパールホワイトだったであろう壁面のタイルも、所々が黒ずんで年季を漂わせている。
一足先にドアを開け、生田目達が降り立ったところを目にして、ぼく達も車外へ出ることにした。
車を降りると、固まった四肢の筋を伸ばすべく両手をめいっぱい上げてのびをする。
そうしていると、目の前を猿顔の小男―――真調がひょこひょこと横切るところが目に入った。
男は建物のドアに手を掛けると、ガラガラと音を立てて横にスライドさせる。
そうして出来た隙間から首だけ伸ばすと、中を覗き込むのであった。
「ごめんくださぁい―――」
間延びするように声が響いた後、ややあって奥からぱたぱたと足音が近づいてくる。
真調はドアの隙間から、割烹着を身に纏った小柄な女性を認めると、軽く目礼した後に口を開いた。
「予約していた真調ですが」
「・・・どうぞ」
言葉少なにきびすを返し、奥へと向かう女性を追って、男のくたびれた背中がドアの中へと進む。
それを追うようにして、ぼくらもまた建物の内部へと足を踏み入れた。
中は意外に広く、小豆色のタイルの上にはかかとを揃えた靴と、すのこに乗せられた青赤二色のスリッパが綺麗に並べられている。
右手にはカウンターがあり、先程の女性が真調と向かい合って何やら話し込んでいた。
さっきは観察する時間が無かったので、改めて女性の姿をこっそり眺める。
年齢は50代くらい、小柄と呼んで差支えの無い真調と、ほとんど同じくらいの背丈だ。
(・・・それでもぼくより頭半分は上なのだが!!!)
不愛想というか、あまり接客に熱心でないといった様子で、女性は淡々と書類に書き込む真調の相手をしている。
こういうのは土地柄があると聞くが、単に東海地方出身のぼくのイメージが、快活かつ丁寧な接客に寄っているだけなのかも知れない。
そして、あまり面と向かっては言いにくいのだが。
彼女はやけに目と目の間が離れた―――いわゆる平目顔だった。
くすんだ色の唇も広く厚ぼったく、なんだかステレオタイプ的な半魚人のように見えてしまう。
「先輩先輩。あれ、半魚じ―――むぐ」
「あーちゃん、お口チャックしましょうねー?」
そして案の定、その場の空気が凍りつきかねないことを口走ろうとしたあーちゃんを、びたんと両手で挟んで阻止する。
そのまま顔の下半分を掌で覆われ、口元をもごもごさせていた彼女はなぜか、にへらと緩んだ表情で嬉しそうにしている。
そうこうしているうちに、手続きを終えたのかキーを片手に振り向くと、こちらを一瞥した真調がくるりと90度向き直り、奥の昇り階段へ向かって歩き出した。
「今夜はここで宿を取ります。目的地はすぐ近くですからぁ、先ずは部屋に荷物を置きましょうか―――こちらですよ」
言うが早いか、ひょこひょこと階段を昇ってゆくその背中を追うべく、ぼくは履物を脱いで並べられた靴の端へ置いた。
そして青のスリッパ一つ選ぶと、トントンとつま先を軽くぶつけてフィット感を確かめる。
スリッパの中で軽く指を動かし、よし、と満足して顔を上げたその時。
ふと、玄関の端でじっと佇むギョロ目男が目に留まる。
男がじっと見つめるその先は―――
スニーカーを赤いスリッパへと履き替え、足取りも軽く階段へと向かう、梓の後ろ姿だった。
腰のあたりから太股にかけて、細められた視線がねっとりと撫でる。
その視線に何故か胸騒ぎを感じ、ぼくは男の顔を凝視したままひとり眉根を寄せた。
・・・そうしているうちに、視線に気づいたのか生田目の顔がこちらを向き、不機嫌そうにふん、と鼻を鳴らす。
そしてズカズカと階段へ向かった男の後姿を見送ると、ぼくもまたそれに続くのだった。
・ ◇ □ ◆ ・
一段一段がミニチュアかと思うような、急勾配の階段を昇りきる。
民宿の二階には、黒く木目の浮かんだ板張りの廊下と、等間隔に並ぶ簡素な片開きの木製ドアが並んでいた。
既に借りた部屋を見つけていたのか、真調はその一つを前に透明なプラスチック板の付いた鍵を、ノブの中央へ差し込みがちゃりと捻る。
開いたドアに消える背中を追いかけて、戸口をくぐる前にぼくはふと立ち止まると、顔を上げてプレートに書かれた文字を読み上げた。
「鱸の間―――?」
「番号ではなく、魚の名前を部屋名にしているようですねぇ。小人数向けの個室は小型魚、4~5人向けの大部屋は大型魚、という事でしょうか。宿の名前にもちなんでいるようで、これまた興味深いですねぇ?」
ぼくのつぶやきを目ざとく聞きつけたのか、背広をハンガーに掛けてくつろいだ様子の真調より、部屋名についての注釈が入る。
スズキと言うと、出世魚でセイゴ・フッコ・スズキと大きくなる―――あの魚の事か。
(呼び方には地方差がある)
民宿という事もあり、食用として世間に慣れ親しまれたものが、部屋名として使われているのだろう。
きっと鯛の間や鮃の間もあるぞ、これは。
タイやヒラメの舞い踊り、ここはまさしく竜宮城―――
そんな想像を楽しんでうちに、ふと男が口にした一言が気になって、ぼくはひとつ首を捻った。
「宿の名前って・・・そういえば、玄関へ入るときに確認し忘れてたや」
「うふふふー。先輩・・・うっかりさんだ!」
「常にうっかりさんな子にだけは言われたくないセリフ、第一位だぁ・・・」
そこへ横からチャチャを入れてくるあーちゃんの容赦のない一言に、ぼくはがっくりと肩を落とす。
そんな様子にくつくつと肩を震わせると、真調は意味深に声をひそめるのだった。
「此処はねぇ、・・・キヒヒヒヒ!『安曇館』と言うんですよぉ」
「安曇―――アズミ?どっかで聞いたような。・・・地名、だったっけ?」
「それは古代日本において水運業で財を成した、安曇氏が開いたと言われる地方の事ですねぇ。彼等は大綿津見神の信奉者で、伝承によれば海神の血を引く氏族とされています。―――つまりここは水底の民、海人の棲家という訳ですねぇ・・・」
さしずめ、英語にするとギルマン・ハウスといった所か。
何だかじめっとしてそうな名前だが、部屋の中は綺麗に掃除が行き届いており、湿気はそれほどでもない。
室内をざっと見渡す。
床は畳敷きで、大部屋だけあって広々としている。
ベッドは無く、どうやら押し入れの中に布団が詰め込まれているようだ。
中央には黒光りする背の低い木製テーブル、その上にはガラスの灰皿が一つ。
隣には葦細工の籠と、その中に袋入りの煎餅が4枚。
入口脇には堅牢な金庫の収められた一角があり、その横にはなんと―――古びたブラウン管TVがキャビネットの上に鎮座していた。
近年、液晶TVによって駆逐されて以来、すっかり目にすることの無くなったあのブラウン管TVである。
昭和か。
昭和だった。
ぼくが無言のままTVの厚みに感動していると、興味をつられたのか目を輝かせたあーちゃんがちょこちょこと寄って来た。
そしてカチカチとスイッチを弄りまわし始めるうちに、電源が入ったのか、ブゥン、と低い音を立てて画面に光が灯る。
―――嫌な予感がした。
黒褐色から、次第に色づき像を結び始める画面。
ようやくはっきりと映し出されたそこには―――悩まし気に双眸を細め、顔を紅潮させた女性の顔がどアップになっていた。
カメラがズームアウトし、女性の身体が露になる。
全裸だ。
スピーカーからは大音量であられもない嬌声が―――
「ふんぬ!!!」
「あっ」
自分的に過去最高の速度でブラウン管TVへ肉薄すると、有無を言わさずスイッチを叩き切る。
ぶつんと音を立てて画面は消え、後にはしんと静まり返った部屋が残された。
呆けた表情のあーちゃんがこちらをゆっくり振り帰る。
「先輩、今の―――」
「お外!行ってこようか!!!」
何だってこんな悪質なトラップが辺鄙な宿なんかに仕掛けられてるんだ!
畜生。
猛烈な気まずさに耳まで真っ赤に染めながら、彼女の手をひったくるように掴むと、ぼくはまっしぐらに部屋の外を目指す。
ばたばたと騒々しく足音を立てて去ってゆくぼくらを、不良中年共は呆気に取られたように見送る。
しばしの後。
とうとう堪えきれなくなったのか、二人は揃って盛大に噴き出すと、マルの居なくなった室内に男達の笑い声が響き渡るのであった―――
今週はここまで。




