∥005-08 北へ。
#前回のあらすじ:あずさが なかまにくわわってしまった!
[マル視点]
「―――あぁ、もうそろそろですかねぇ」
「・・・」
「ふぇ・・・?」
低くエンジン音が響く中、何かを思い出したように猿面の男が助手席からこちらを振り返る。
ぼくはそれを無言で聞き流しつつ、隣から響く小さないびきに、よくこんな状況で眠れるものだとこっそりため息をついた。
一方、左隣の同乗者であるポニーテールの美少女―――ぼくの後輩こと羽生梓はというと、今の声で浅い眠りから目を覚ましたようだ。
ぱちんと鼻提灯を割ると、幾度かその大きな瞳をしばたかせ眠たそうにしている。
そして、薄い胸を逸らせ狭い車内で器用にのびをすると、寝ぼけ眼のまま窓ガラスの外へゆっくりと視線を向ける。
丁度そのタイミングでトンネルを抜けたのか、ぼくらの視界は一瞬、白く染まった。
両目を細め、しばしの間外の明るさに目が慣れるのを待つ。
白んでいた視界に色が戻り、そこに広がっていたのは続く灰色の車道と、その上を一列になって走る車の後姿。
―――ーぼくらを乗せた車は現在、高速道路の只中にあった。
「後ろのお二人も、このまま進むとじきにいいモノが見えますよぉ?」
「何だろ、・・・何かな!」
「・・・また何か、ヘンな物でも見せようってんじゃ無いでしょうね?」
「おやまぁ信用が無いですこと!キヒヒヒヒ!」
こちらを向いたまま、類人猿めいた中年男がケタケタと実に楽しそうに笑う。
その猿面を不信感たっぷりに睨みつけると、ぼくはぷいとそっぽを向いた。
一方、警戒心ゼロといった様子のあーちゃんはすっかりウキウキした様子で、窓ガラスの外に見入っている。
そうして時速100kmで後方にカッ飛んでいくガードレールを流し見ていたのだが、そのうち飽きてきたのか再びうつらうつらと舟をこぎ始め―――
とあるモノを視界に収めると、がばりと勢いよく身を起こし窓ガラスへとかじり付いた。
「・・・先輩先輩、あれ!あれ見て!」
「あーちゃん!あーちゃんちょっと揺らさないで!!・・・もー。どうしたのよ急に、そんな慌てたりして―――」
「海だーーーっ!!」
頬を紅潮させ、目を輝かせるままに外を指差すあーちゃん。
その声につられて前を向いたぼくの瞳に、地平線の彼方より深い深い青色が飛び込んできた。
山間部を抜け、下り坂へと入った高速道路。
車窓から見下ろす稜線の合間には、普段見知ったそれよりもずっと深い色を湛えた大海原が広がっていた。
それは太平洋岸育ちのぼくが生まれて初めて目にする、日本海の雄姿であった―――
・ ◆ □ ◇ ・
警察署での一件の後。
偶然ながら梓と合流を果たしたしたぼくは、未だにあの不良中年どもに連れまわされていた。
何とか隙を見つけて逃げ出したいところなのだが、いかんせん奴らにしっかりと顔を見られてしまっている。
相手は天下の公僕、敵に回すとどんな目に遭うかわかったものじゃない。
更に困ったことに、同行者が増えた今となっては、一人で逃げ出すという選択肢も封じられてしまった。
あの時、彼女を車内へ誘導したのは絶対にワザとだろう。
チンパンジーめいた外見からは想像もつかないが、あの男―――真調は本当に油断ならない。
今ぼくらはギョロ目男こと生田目の操るセダン車に乗せられ、道路の上をひたすら走り続けている最中だ。
車は警察署をスタート地点に、N市内のインターから自動車専用道へ入り北上。
高速に乗り入れた後は、中部地方でも名の知れたかの政令指定都市を横切る形で西へ。
途中、名神高速道路-北陸自動車道と道を変え、トイレ休憩を挟みながら二時間余りの道中である。
あーちゃんで無くとも、眠りこけてしまうのが当然というものだろう。
高速を降りた後、左手に海を見下ろしながらしばらく一般道を進むと、車は小高い丘の上でゆっくりとその速度を落とす。
4人を乗せたセダン車が停車したのは、国道沿いに佇む道の駅だった。
「ちょいと遅いですが、お昼にしましょう。此処のにしんそばは絶品なんですよねぇ」
「俺は一服してくるが・・・。逃げたりしたらどうなるか、わかってんだろうな?」
「・・・しませんってば」
ひょこひょこと猫背で歩く真調を追いかけ道の駅へ向かう途中、生田目がサメのような目でぎろりと睨みつけてくる。
思わずぶるりとすくみ上りそうなその迫力に、内心悲鳴を上げそうになりながらそれを必死に押し殺すと、ぼくは小さくそうつぶやいた。
一人、裏手の方に向かった生田目を見送ると、ぼくらは建物の中へ足を踏み入れる。
道の駅の内部は平日の昼間ということもあり、わずかに閑散としていた。
入口近くの商品棚には民芸品やキーホルダー等の小物が、途中からは真空パックされた漬物や佃煮と、土産物から日持ちのする食品類へと品目が切り替わっている。
あーちゃんはその光景に眼を輝かせると、マスコット付きのキーホルダーを交互に見比べ、こっちがいい、でもこっちの方がカワイイ、等と品定めに夢中になっているようだ。
一方ぼくは、チルドコーナーで清涼飲料水のペットボトルを見つけ、それを手に取りレジへと向かっていた。
会計を済ませる途中、ふと土産物には眼もくれず更に奥へと進む真調が気になり、こっそり目で追いかける。
男が向かった先は、小ぢんまりとした飲食コーナーになっており、片隅にはソフトクリームのイラストが描かれたのぼりがちょこんと鎮座していた。
大抵の道の駅と同じく、ここでも簡単な軽食を取れるようだ。
そのまま何となくそちらを眺めていると、窓際の席から猿面の男がおいでおいでと手招きしている様子が目に入る。
若干警戒しつつ、レジ袋を手に空いている席に座ると、ぼくの動きに気づいたのか続けて残る席へあーちゃんが座った。
妙な緊張感の中、全員無言のままちくちくと時間が流れる。
そこへ50代くらいの中年女性が現れ、にこやかにテーブルの上へことりと大ぶりな椀の乗せられたトレイを置いた。
白く湯気を上げるお椀を覗き込むと、中には茹でたての蕎麦が並々と注がれていた。
アツアツのお蕎麦の上には、ニシンの佃煮が一切れ、薄く琥珀色に色づいた汁に半ば浸っている。
湯気に乗って、ダシの利いたにおいがぷんとあたりに香った。
実に美味そうだ。
「こういうのは経費で落ちますからねぇ、チミ達も空いてるでしょ?お腹」
「いや、それは・・・」
「いいの!?いただきまーす!!」
続けて残る席に置かれた蕎麦からも、たまらないにおいが立ち上る。
笑顔でそれを勧める男の真意をはかりかねて、ぼくはつい伸びそうになる手を必死に抑えていた。
ぐう、と腹の虫がひとつ鳴く。
じりじりと空腹に耐えるぼくの横では、満面の笑顔を浮かべた後輩が箸を手に、ずぞぞとうまそうに音を立てて蕎麦をすすっている。
呆れ半分、羨ましさ半分の表情でそれを眺めるぼく。
繰り返すが、実にうまそうだ。
おまけに席の向かい側でも、ちょこんと両手を合わせた真調がアツアツの蕎麦に舌鼓を打っている。
静かな建物の中に、悲し気な腹の虫の音がもう一度響いた。
「・・・食べ物に罪はないよね」
少しの逡巡の末、そう一人ごちるとぱちんと手を合わせ、割り箸を二つに割る。
先に一口、汁を呑み込んだぼくは思わず目を見張ると、舌が火傷しそうになるのも構わずズルズルと麺をすすり上げるのだった―――
今週はここまで。




