∥005-05 特別顧問と呼ばれた男
#前回のあらすじ:このヒト見えてますよ。きゃーエッチ!
[刑事視点]
「くそっ、何なんだあいつ等は!」
どん、と乱暴にカップの底を叩きつけられ、仕事机の上に内容物が飛び散る。
悪態を付きつつ、それをハンカチでふき取る同僚の姿を横目に眺めると、初老の男は小さくため息を吐き出した。
視線を右へずらすと、無機質なコンクリート壁が眼に入る。
その向こうには簡素な机と椅子だけの殺風景な小部屋―――取調室がある筈だった。
現在、あの中では二人の男が、今朝方見かけた小柄な少年を絞り上げている真っ最中の筈だ。
大の男も震え上がるという、特高の取り調べを受ける少年へ密かに同情の念が沸き上がる。
それと同時に、関わり合いたくないという内心を男は抑えるつもりは無かった。
今にも取調室へ怒鳴り込んで行きそうな様子の、年若い同僚をなだめつつ男は自分のカップの中身に口を付ける。
渋みのある琥珀色の液体を一口飲み干すと、男は同僚の肩をぽんと叩き口を開いた。
「相手は本庁のお偉方、それも天下の特高警察だ。たまの気まぐれくらい多めに見てやれよ」
「だからって・・・いきなりやってきて『取調室を使わせろ』だなんてアリですか!?こっちにだって予定くらいあるってのに、理由を聞いても機密だの一点張りで―――」
「まあ、気持ちはわかるがなぁ」
今朝方の事であった。
何やら署内が騒がしくなったかと思いきや、見慣れない3人の男達が現れ、あれよあれよという間に取調室の一つを占拠してしまったのである。
その際男達のうち一人が示したのは、紛れもない特高警察の革手帳。
しかも所属は本庁―――天下の警視庁のそれであった。
当然、騒ぎになった。
対応した人間も部屋の用途について事情を聞き取ろうとしたのだが、業務執行中につき詳細は話せないと突っぱねられ、そのまま強引に押し切られてしまったのだ。
今頃、署長は関係各所へ抗議の電話を入れているだろうが―――
「相手が悪い。終戦後弱体化したとは言え、今でも特高は事実上の歩く裁判所だ。今回の一件も後でウヤムヤにされて、それで終わりだろうよ」
「舐め腐りやがって、東京モンが・・・!!」
戦前に産声を上げ、治安維持法下でその権限を肥大化させた特高警察と我々警察は、終戦後50年を経てもなおその力関係を変えてはいない。
己の管轄とする事件において、特高が出てきた時点で警察は何も言わずに退場するしかない。
勤続十数年となる男の刑事歴においても、彼等に煮え湯を飲まされた経験は一度や二度では済まなかった。
しかし―――男には今、それより気になる事がある。
「それよりもだ。―――岡、連中の中に居た、痩せこけた40がらみの小男を覚えてるか?」
「何ですか急に・・・。ええ、覚えてますよ。東山で昔見た、チンパンジーの顔そっくりでしたねありゃ」
「あいつはな、既知対だ。・・・恐らくだがな」
「きち、たい?それってあの、都市伝説紛いの―――?」
憤っていたところを藪から棒に質問され、首を捻りながら近くの政令指定都市にある動物園を引き合いに出す同僚。
妙にしっくりくるその例えに男は小さく笑うと、声のトーンを落とし先程から自分の中で渦巻いていた疑念を口にした。
それに対する同僚の反応は、多分に苦笑いを含んだものであった。
仕方のない事ではある。
戦前から警察内部に長らく存在する、ホラ話も同然の存在が男の口から飛び出したからだ。
―――曰く。
宮内庁には、世間からは秘匿された組織が存在する。
時は明治初期。
旧朝廷から新たに、近代的・中央集権型の組織へと明治政府の再編が進められる中。
古来より歴史の闇を担ってきた唯一の公的機関、陰陽寮が解体された折。
密かにその構成員は別の組織へと移され、国家の霊的防御を引き継いだのだという。
それは時代とともに名を変え、現代においてもなお、彼等はこの国に存在している。
それが―――既知概念凌駕実体究明・対策室、通称既知対なのだ、と。
「半分当たりで、半分外れだ。奴等は農林水産省―――動物衛生課の下部組織だよ」
「農水省ぉ!?」
唐突なバカ話でも始まったのかと思いきや、男の口から飛び出した予想外の単語に、同僚は思わず手の中のカップを取り落としそうになる。
それに対し男はひとつ頷くと、目を細め何かを思い出すようにして、ゆっくりと続きを語り始めた。
「獣害ってあるだろ、鹿とか、猪だとか。里に下りて作物を食い荒らす、そういう被害を管轄としてるのが、動物衛生課だ。そんな所の連中が何故か、タタキやコロシの現場をウロウロしてる事がある」
「また何で、そんな連中が―――」
「お前は今年で5年目だったか。この稼業を続けてるとな、何処かで必ずわけのわからない、まるで犯人像が人間とは思えないような事件にぶち当たる事がある。そういう場合決まって、何処からともなく連中が現れ―――姿を消すと同時に、ぱたりと何も起こらなくなる」
「いや、でもそんなまさか。―――本当に?」
信じられない、と言うより信じたくない、といった声を上げる同僚。
全く同じ気持ちを味わったことのある身として、男は万感の思いを込めてゆっくりと頷くと、再び語り始めた。
「・・・事実だ。あの奇妙な風体の男、昔の同僚が見たという既知対の所属員と外見的特徴が一致する。俺がさっき今回の一件がウヤムヤになると言った、根拠もそれだ。連中の存在はこの国における、タブーの一つなんだよ」
「・・・・・・」
外見もそうだが―――何よりその身に纏う独特の雰囲気。
長年の経験で培った刑事としてのカンが、あの男はかの組織から遣わされた人間だと告げていた。
にわかに信じがたい会話の内容に、すっかり黙り込んでしまった同僚の背中を軽く叩くと、男は続ける。
「信じられんかも知れん。だが時として、見て見ぬふりをすることが最適解である場合がある。それがこの稼業における処世術というものだ。―――覚えておけ」
人気の少ない建物の一室。
無機質なコンクリート壁に男の言葉は吸い込まれ、外から響くしとしとという雨音にかき消されてゆく。
朝方より降り始めた小雨はその勢いを強め、本降りの様相を呈し始めていた―――
・ ◇ □ ◆ ・
[マル視点]
「我々はまぁ―――ありていに言えば、覚醒者を取り締まる組織の者ですな」
「覚醒者を・・・?」
『なるほどなるほどー?』
一方ところ変わって、男子便所内。
ぼく(+鏡の中のヘレンちゃん)は真調を名乗る、チンパンジーめいた中年男と鏡の前で対峙していた。
身体の前に両手で差し出された手帳の表面には、『農林水産省 消費・安全局 動物衛生課 既知概念凌駕実体究明・対策室 特別顧問 真調』と確かに印字されている。
それをヘレンちゃんと揃って覗き込むと、次いでぼくは男の猿顔をまじまじと見つめるのだった。
「貴方がた―――【イデア学園】というんでしたっけねぇ?そちらの事は我々の協力者に教えて貰いましてねぇ。それで、どうにかしてコンタクトを取りたいと思いましてぇ、こうして遠回りな手段を取らせて貰いましたのですなぁ」
「―――ちょっと待って。まさかそれじゃ、ぼくが今まで特高にさんざん怒鳴られたのは・・・」
「もののついでという事ですなぁ。ボクチンはただ、得体のしれない【イデア学園】とかいう組織があるらしいよ~?っと、彼に話しただけなのにねぇ?それをどう受け取るかまでは、あくまで個人の判断・・・と、いう訳ですなぁ。キヒヒヒヒヒ!」
「ぬぐぐ、こ、こいつ・・・!!」
『あははー、これまた災難でしたねえ、お兄さん?』
「全く、他人事だと思って・・・はぁ」
ポケットに手帳をしまうと、ぺらぺらと白々しい言葉を並べ立てる奇妙な風体の男。
―――どうやらこれまでの一連の出来事は、今、この場にヘレンちゃんを引きずり出す為のものだったようだ。
黄色い歯並びを剥き出しにして上げる耳障りな笑い声に、流石にむかっときたぼくは深呼吸で怒りを鎮めようと試みる。
そこへ鏡の中から、慰めのつもりか無責任な援護射撃が加えられ、ぼくはがっくりと肩を落とすのだった。
『―――改めて説明しますと、人間が何らかの超自然的な力に目覚めることを【覚醒】、覚醒を果たしたヒトを【覚醒者】と呼びます。【学園】に属する皆さんは全て【覚醒者】ですが、現世にも超常の力を持った人が居るという事は以前にも、ちらっとお兄さんにお話したことがあるかと思います』
「んー・・・確かにそんな話を聞いたような記憶が。察するに、このオジさんはそういう人が何か悪さをしたら、それを捕まえる役割の・・・?」
「その認識でおおむね間違い無いですなぁ」
『深夜のオ〇ルト公務員、って訳ですねー』
ぼくの発言に、両手で大きくマルを作る男。
細い目を更に細めると、厭らしい笑みと共にねっとりとした視線をぼくと、鏡の中へと送る。
思わずぶるりと身を震わせるぼくと、その背後でさっと身をかがめて視線を回避したヘレンちゃんは揃って、イヤそ~な表情を浮かべるのだった。
「キヒヒヒ!理解が早くて助かりますよぉー?・・・まあ、尤も。おたく等は我が国における活動実績が公的に皆無ですんで、我々が今後どうするかは要観察、場合によっては対応を協議―――といった所ですかねぇ?」
「それってつまり『お前等の一挙手一投足までバッチリ監視してるぞ』って事じゃん。嫌だなぁ・・・」
『うふふー、まあ今の言葉を信じるなら、ですけれど』
【学園】関係者は全て【覚醒者】―――という発言に、密かに瞳を細める男。
しかしすぐにぼくの発言に便乗し、へらへらと笑いながら自らの立場を表明し始めた為、その表情に気づく事はできなかった。
そして、げっそりとした表情を浮かべるぼくを安全地帯から眺めつつ、けらけらと楽しそうに笑い転げるヘレン。
しかしぴたりと笑いを収めると、彼女は真顔のまま男のことをじっと見つめ口を開いた。
『―――さて。オジさんがどういう方かはよくわかりました。遅ればせながらですが、私はヘレン。そこのお兄さんに協力して頂いている者で、ご存じのとおり【イデア学園】の責任者です』
「これはこれはぁ、ご丁寧にどうも。お会いできてボクチン嬉しいですよぉ~」
『えぇ、こちらこそどうも。・・・所で、私達の事を色々とご存じみたいですけれど、それも全部その、協力者という方に?』
「その通りですなぁ、キヒヒヒヒ!」
『なるほど』
鏡一枚を隔て、互いにジャブを繰り出すようにして言葉を交わす二名。
ぼくはなんだか割って入れそうにない雰囲気を感じ、一歩下がった位置でそのやりとりを見守る。
一度言葉を切り、何かを考え込むようにして視線をさ迷わせると、ヘレンちゃんは再び口を開く。
『―――今後要観察、という事でしたが。私達に対して何か、して欲しい事はありますか?』
「んん~、そうですなぁ。何しろ貴方がたがどういう性質の組織なのか、見極めるにも情報が不足しておりましてなぁ。あまり一つの情報源を頼りすぎるのもナンですし、ねぇ?ここは一つ―――実績作りを兼ねて、我々の仕事を手伝って貰えれば・・・と、思うんですがなぁ」
『いいですよ。お兄さんを貸すのでコキ使ってあげてください』
「ちょっ!?」
・・・口を出さないでいるのをいい事に、何時の間にやら便利な助っ人としてぼくの身柄が売り渡されていた。
慌てて抗議しようと口を開くぼくに、しかし鏡の中からヘレンちゃんの鋭い視線が飛び、寸でのところで思わず口をつぐむ。
反対意見無しと判断されたのか、上機嫌の男はハンカチで手をぬぐうとニヤリと微笑む。
そのままハンカチを仕舞うと出入り口のドアへ手を掛け―――ちらりとこちらを振り返った。
「快諾して頂けたようで何より。この狭い島国で暮らすもの同士、今後も末永く仲良くできると良いですなぁ?キヒヒヒヒヒ!」
『そうですねー、まぁ私は日本人じゃないのでその分、お兄さんに頑張って貰うとしましょうか。ファイトー』
「・・・前向きに善処させて頂きます」
全然乗り気じゃないですよ、を意味するスラングでぼそりと答えるぼくに対し、後ろ手に片手を振りつつ廊下へと消える男。
ばたんと音を立て扉が閉まると、しんとした静寂でトイレの室内が満たされた。
廊下から聞こえる靴音がゆっくり遠ざかるのを確かめると、ぼくは急いで鏡を覗き込んだ。
四角く切り取られた背景の中から、真剣な表情の褐色少女が見つめ返していた。
「・・・で、どうするんですか」
『恐らくですが―――こうやって、作戦会議する所まで織り込み済みでしょうね。想像以上に厄介です。・・・先に説明しておかなかった私が悪いんですが、在野の覚醒者は多かれ少なかれ曲者揃いですから』
「うへぇ」
酸っぱいものを噛んだような表情を浮かべるぼくに、くすりと微笑むと居住まいを正し、ヘレンちゃんは表情を引き締める。
いいですか、と前置きを置いて語り始める彼女の話に、ぼくは鏡の前へ陣取り固唾をのんで聞き入った。
『・・・覚醒者の多くは、生物学的な数々の制約から解き放たれます。寿命なんかはその最たるモノですね』
「仙人みたいに霞を食うだとか、不老長寿みたいな・・・?」
『そんな感じです。持ち前の能力と己の才覚をフルに活用して、数十年~数百年単位で多方にコネクションを作り上げている、妖怪じみた老人が世界の裏側には犇めいています。あのオジさんも、見た目通りの年齢と思わない方がいいですよ?彼が日本政府にどの程度まで喰いこんでいるかはわかりませんが、敵に回せば最悪、指名手配どころじゃ済まないかも知れません』
「あの、そんなの一体どう対処すれば・・・?」
予想より数段厄介な状況に、流石に顔が青ざめるのを感じる。
助けの要となる我らが褐色少女が、鏡の中から頼もしく微笑む姿に僅かに勇気を取り戻し、ぼくは彼女の話へ引き続き耳を傾ける。
『今はあえて、向こうの思惑に乗ってください。私としてもこの件には見逃せない要素があるので、必ず助けを送ります。―――まずは彼女と合流して、監視の目が離れた時は私に連絡してください。無理そうなら心の中で念じるだけでもいいです』
「彼女?それに念じるって・・・えっと、こんな感じ?(もしもし、聞こえてますか?)」
『こいつ、直接脳内に・・・!?(割るのです・・・)なんちゃって。しかし呑み込みが早いですねー、流石お兄さん』
「全く、何をふざけてるのやら・・・」
必ず助ける、という心強い返答に安堵し、そっとため息をつくぼく。
続いて彼女の言葉に首を傾げると、心の中で呼び掛けてみる。
即座に謎の一言が脳裏に響き、ぼくは驚くと共に鏡へ向かいツッコミを入れるのだった。
「ところでヘレンちゃん。Helena=Baldirisって、ひょっとしてきみの――ー?」
『はい、本名です』
―――そろそろ男の後を追うべきかどうか。
話の切り上げどころに悩み始めたところにふと、先程耳にした名前が気になり口にする。
思ったよりも素直に肯定の返事が返った事に驚くと同時に、未だ彼女の素性についてロクに知らない事実に気づかされる。
鏡の中の彼女はどこか昔を懐かしむような、しかし悲しそうな笑顔を浮かべていた。
その表情にぼくは何も言えなくなってしまい、無言のままぽつりぽつりと語られる独白に聞き入る。
『・・・学園関係者には、私のファミリーネームを教えていません。今のところお兄さんだけですよ、私の本名を知ってるのは。ですが―――』
その時。
鏡の中を見入っていたぼくは、彼女が浮かべた表情に思わずぎょっとしてしまった。
それは歓喜のような、憎悪のような。
普段の天真爛漫を絵に描いたような、彼女からは想像もつかないような―――微笑みだった。
『あの男性の協力者。名前を教えたという”誰か ”は―――私の、敵です』
今週はここまで。
年明けあたりで一度番外編を挟む予定です。




