∥005-04 呼ばれて飛び出ない
#前回のあらすじ:ゴリラはもうごりごりですよ!
[マル視点]
朝の通学路より、二人組の男によって連れ去られたマル。
その行方を梓と一匹が探す一方、当の本人はどうしているかと言うと―――
「急ぐとも 心静かに的決めて 外にこぼすな松茸の露※・・・っと。キヒヒヒヒ!(じょろじょろじょろ)」
「で、でかい・・・(ジョ~・・・)」
※・・・便所川柳
―――おトイレ中であった。
それも二人並んで、小用便器の前で下ろしたチャックの中身から勢いよく放尿の真っ最中である。
隣をちらりと見やると、チンパンジーのような風体のくたびれた中年がひとり。
何が楽しいのやら、ニヤニヤと締まりのない笑みを浮かべ妙な詩を口ずさんでいる。
視界の端にちらりと映った男のそれは、フレーズの通り徳用マツタケと見まごうほどのビッグサイズであった。
つい、無意識に見入ってしまい、気づいた時には男のにやけ顔がこちらを見つめており、慌てて前へと向き直る。
・・・自分のアレはスモールサイズであった。
くそう。
「いやはや長いですねぇ~、やっぱり緊張、しちゃってましたかぁ?あんな肌寒い小部屋にずぅーっと閉じ込められて、怖いおじさんに睨みつけられて怒鳴られて!そりゃあイロイロ溜まるでしょうしねえ?溜まったモノはちゃ~んと出さないと」
「はっ?・・・あ、オシッコの事ね。ええ、そりゃまぁ・・・」
己の小ささ(比喩)にわけもなく敗北感を感じていたところを話しかけられ、鳩が豆鉄砲を食ったような表情になるぼく。
しかしすぐに発言の意図を察すると、曖昧な返事を返しつつ曖昧な笑顔を浮かべた。
「―――しかし、チミも災難ですなあ。日も高くないこんな時間からうらぶれた警察署の片隅で、中年男と連れションだなんて・・・花咲く十代男子なのに華が無いにも程がありますなぁ!お可哀そうに~、よ、よ、よ・・・」
「・・・ソウデスネー」
勝手に人の事を憐れむと、片手で顔を覆い、下手糞な泣き真似を始める中年男。
責任感の欠片も感じられないその一言に内心、お前らのせいだろが!とツッコミを入れつつぼくは生返事を返す。
―――ちなみに、今の男の言葉通り、現在ぼくが居るのは警察署の内部である。
朝の一幕の後、ギョロ目男の運転する車が向かったのは、隣のN市に在する警察署であった。
初めて訪れる灰色のビルをじっくりと観察する間もなく、男に追い立てられあれよあれよという間に先程の小部屋―――取調室に放り込まれたのである。
それからは、やれ構成員を吐けだの本拠地は何処だだのと、ダミ声でがなり立てられること数時間。
ここらで一服入れましょうや、との鶴の一声により、ぼくらはこうして便所へやってきたのだった。
当然、監視付きである。
監視役の男へと改めて視線を送る。
取調室でも目にした、くたびれた背広姿の猿のようななりの中年男だ。
終始がなり倒していたギョロメ男とは違い、こちらはあまり発言せず、一歩後ろからにやにやとこちらの様子を観察していた印象が深い。
刑事ドラマでよくある、強面の若手警官と年老いたベテランの組み合わせかとも最初思ったが、どうやらそれともまた違うようだ。
ギョロ目男が口にしていた『センセイ』という呼び名といい、こいつはどこか得体が知れない。
―――と、そんな事を考えているうちに、膀胱の中身が空になったようだ。
二・三度身体を震わせ、前を仕舞うぼく。
このまま手を洗いに行きたい所なのであるが、いかんせん今は監視付きの身の上である。
勝手に男の側を離れてよいものかと不安になり、ぼくはそっと横へ視線を送る。
隣はまだ排尿中だった。
待ち構えていたように、何故かこちらを見ていた男とばちりと視線が合う。
何が楽しいのか、チンパンジーのような男は黄色い歯を剥き出しにしてキヒヒと嗤う。
その姿は最早文句のつけようがないくらいに、エテ公そのものだった。
「やっぱり若いですねえ~、トシ取るとどうにも尿の切れが悪くって!―――あぁ、ちゃ~んと部屋の中に居てさえくれれば、お先に手を洗って貰って構いませんよぉ?勿論、逃げ出そうものなら・・・絹を裂くようなボクチンの叫びが響き渡りますがねぇ!キヒヒヒヒ!!」
「しませんって。・・・んじゃ、失礼して」
両手を頬に添えて、『叫び』のポーズを取る中年男。
やけに似合うその姿に、いささかげっそりしたものを感じつつ、ぼくは洗面台の前へ歩みを進める。
手を洗い終えると、指先から滴る水滴を切りハンカチで手をぬぐうまでの間、ぼくはなんとなく正面の鏡を見つめる。
左右反対になった自分のしょぼくれた顔が、四角く切り取られた背景の中からこちらを見つめていた。
鏡越しに視線を交わしつつ、黙したまま自問自答を続ける。
――― 一体何故、こんなことになってしまったのだろうか?
現在、自分が受けている取り調べは『イデア学園という組織との関わりを調べる』という名目だ。
それ自体はぼく自身、大いに心当たりのある内容なのだが―――
いかんせん【イデア学園】の所在地は【夢世界】。
つまるところ、この世ではない。
仮にもし【学園】へ捜査の手が及んだとしても、通常の手段ではその敷地へ足を踏み入れる事すら困難な場所だ。
よしんば洗いざらい吐いてしまったとして、後で『証言した内容を証明しろ』と言われた場合―――困った事態になることが目に見えている。
故に、現在に至るまでの間、尋問に対しマルは黙秘を貫いていた。
取調室で嘘八百を並べた男が周囲からどう見られるか、そんなの火を見るよりも明らかな訳で。
どれだけ責め立てられようと、ぼくが取れる選択肢は現状、貝のように口を閉ざし続ける以外に無いのであった。
―――とは言え、この後の事を考えると自然と気分が重くなってしまう。
自然と漏れ出るため息に混じり、しょげかえった様子の鏡写しの自分へ、ぼくはぽつりと愚痴をこぼすのだった。
「―――はぁ。あっちみたいに彼女がパッと現れて助けてくれりゃいいのにさ・・・。助けてヘレンちゃん!なーん―――」
『はいはーい?どうかしましたかー、お兄さん?』
「て・・・へっ??」
すっかり聞きなれた、しかしこの場で耳にする筈のない声が聞こえて。
ぼくは思わず鏡の中を二度見していた。
―――くすんだ色の鏡の中から、ブラウン色の二つの瞳がぼくを覗き込んでいる。
コーヒー色の肌、肩口くらいのくせのない黒髪、目の覚めるような純白のサマードレス。
あどけない表情を浮かべた褐色少女が、夢世界で目にした姿のままでそこに居た。
その後ろには、ぽかんと口を開けたぼくが相も変わらず突っ立っている。
―――思わず視線を下ろすが誰も居ない。
ヘレンちゃんの姿はどうやら、鏡の中にだけ存在するようだった。
「ほ、本当に出てきた・・・。って言うか、こっちでも出てこれるんだ・・・」
『いやまあ、普段ならスルーしますけどね?でも、なんだかお兄さん困ってるっぽかったですしー。だけど・・・その、言いにくいんですけど。今のお兄さん、ハタから見るとすっごい、アブない人っぽいですよ?』
「・・・あっ」
恐らくだが、鏡の中のヘレンちゃんはぼく以外には見えない。
つまるところ、傍目にぼくは今、鏡に向かって話しかける変人なわけで。
その事実を指摘されぎくりと肩を震わせると、ぼくはおそるおそる横へ首を巡らせる。
今も用を足している筈の、猿のようななりの中年男は―――意味ありげな笑みを浮かべ、じっとこちらを見つめていた。
その瞳の中に宿る光に得体のしれないものを感じて、ぼくは思わず一歩後ずさる。
その動きにつられるように、すっ、と歩みを進めた男は目の前で立ち止まる。
そして褐色少女が覗き込む鏡へ向き直ると、しゃがれた声で喉を震わせた。
「キヒヒヒヒ!・・・ようやくお会いできましたな」
「な、何を―――?」
『・・・お兄さん。この人、私の事見えてます。―――覚醒者です』
「えっ・・・!?」
鏡の中より告げられたまさかの一言に、思わずまじまじと男の顔を見つめる。
痩せぎすの片手を下げ、慇懃に礼をすると男は、低くした姿勢のまま静かに鏡の中を睨め上げた。
「既知概念凌駕実体究明・対策室―――特別顧問。真調と申します。しがない木っ端役人の身の上ですが、チミとは色々と話したい事があるんですよねぇ。・・・Helena=Baldirisさん?」
そう、低く告げると。
両眼を細め、男はにやりと口角を上げるのだった―――
今回はここまで。




