∥004-R シャワールームの怪異
#前回のあらすじ:敵を全滅させたらボス出現ってありがちなパターン
[???視点]
深夜、旧検疫所内。
窓の形に切り取られ、四角く月明りが照らし出す室内。
青白く浮かび上がるタイル床の中心に、奇妙なものが鎮座していた。
それは黒一色の、紳士用革靴―――のようなモノ。
そのサイズはお徳用を通り越してもはや巨大。
更に見上げれば、中に収まるべき両の脚もまた規格外であった。
墨を塗りたくったように黒一色の、ぴんと糊の利いたスラックス。
鋭角的なシルエットを描く背広もまた黒。
中心に位置するネクタイだけが、赤くコントラストを際立たせている。
神秘的な―――しかしどこか空恐ろしい、薄暮の空間に無言で佇む人影。
しかし、そのシルエットは窓灯りの届く範囲を越え、高く、高く―――
天井に届くまで伸び、わだかまる闇と一体化していた。
嵐でも近づいているのか。
外からざわざわ、ごうごうと木々が枝葉をぶつけ合う音が飛び込んでくる。
それにじっと聞き入るように、くきりと初めて動きを見せた影は、腰を折った姿勢のまま―――
じっ、とそこに、佇んでいた。
・ ◇ □ ◆ ・
[マル視点]
「―――いた!」
「あの子、一体何を指差して・・・?」
薄闇に包まれた廊下を、4つの靴音がたて続けに通り抜ける。
T字路の角を曲がり、向かう先の廊下はしばらく行った所で突き当り。
等間隔に、明り取りの窓から月の光が差し込み、リノリウム床を青白く染め上げている。
その中で―――ひときわ小柄な白い人影は、廊下の一点を指差したままこちらを向き、ひっそりと佇んでいた。
彼女の無事にほっと息をつく間も惜しみ、急ぎそこへ駆け寄ろうとするぼくたち。
あと一歩という所にまで迫ったその時―――現れた時と同様、彼女の姿は忽然とぼくらの前から掻き消えていた。
「消えたっ!?」
「そんな―――あと少しだったのに!!」
ここまでの全力疾走のせいか、肩で荒く息をつきながら幼女が立っていた辺りを見回す。
どれだけ目を凝らそうと、薄闇の向こうへと続く廊下の中にあの小さな姿を見つける事はできなかった。
「や、やっぱり幽霊だったのである・・・?」
「―――仮にそうだとしても、こんな場所に放置していい理由にゃならないよ!」
「ま、まあまあ・・・二人とも、ケンカは止すのですぞ」
言い争いを始めた3人をよそに、息を整える傍ら、ぼくは幼女を見失う前に指差していた地点へと目を向ける。
そこには、ライムグリーンの簡素なスライドドアが立ちはだかっていた。
見鬼盤の針は、その奥をまっすぐ指している。
一歩近寄ると、英語で書かれたプレートを読み上げた。
「シャワールーム・・・?」
「・・・ひょっとして、この中に居るのかしら」
「は、入ってみるであるか・・・?」
無言のまま、しばし顔を見合わせるぼくたち。
やがて頷き合うと、恐る恐る金属製のノブへと手をかけた。
「ちょ、これ結構重たい、ですぞ・・・!」
「フハハハハ、これだからモヤシは!水泳で鍛えた吾輩の筋肉に任せるのであ…るぅんんんんんっ!!」
「水泳に加重トレーニングとかあったっけ・・・?」
ギギギギギィ、と鈍い音を上げゆっくり開いて行く扉。
野郎二名の奮闘の結果、全開になった戸口から闇に包まれた室内へランタンの灯が差し込み、その内容をおぼろげに浮かび上がらせた。
手前は複数の戸棚が併設された小部屋。
その更に奥には錆の浮いた、金属製のドアが一つ見える。
「誰も居ない、ね・・・?」
「いや、あの扉の先も調べないと」
「・・・それならば、今回に限っては先陣を切る栄誉を譲ってやっても良いのである」
「某こそ、弾除けになるチャンスを貴殿にくれてやるのですぞ」
「「ぐぬぬぬぬぬ・・・!」」
「あっそ。じゃ、あたいが先に行くよ」
例によって醜い争いを始めた二人。
それを尻目に、すたすたと金属扉へ向かい颯爽と歩いて行くアンジー。
あっ、と声を掛ける間もなく、あっさりと扉を開け放ち彼女は中へ入ってしまった。
置いて行かれてはたまらないと、慌ててその後を追うぼくたち。
ひんやりしたノブに手をかけ開いた扉の先には、広々としたタイル張りの部屋が広がっていた。
内装の類は見当たらず、壁には口を塞がれた水栓が幾つか並んでいるのが見える。
ぴちょん、と何処からか水滴が落ちる音が聞こえる。
吸い込んだ空気はどこか湿っぽく、わずかにカビの臭いが混ざっているような気がした。
「遅かったじゃない。御覧のとおり、誰も居ないみたいだよ」
部屋の中央では、やや不機嫌そうに腕を組んだアンジーがぼくらを待ち構えていた。
目を細めじろりと睨め付ける視線の強さに、金属兜をぎくりと震わせ二人が気まずそうに視線を逸らす。
入口からその様子を苦笑交じりに眺めていたぼくは、ふと天井にわだかまる闇に違和感を感じる。
腰のランタンとわずかな月明りが届く範囲は狭く、部屋内の大半にはわずかな陰影のみが辛うじて判別できる暗闇が広がっていた。
天井部もまたその例に漏れないのだが―――顔を上げ目を凝らし見つめる先で、何かがずるりと蠢いたような気がした。
脳裏に警鐘が響くのを感じ、慌てて大きく息を吸い込む。
大声で警告を発するのと、頭上よりローブ状の物体が落下したのは―――ほぼ同時の出来事であった。
「気を付けて―――上から来る!!」
「えっ・・・きゃああああ!?」
アンジーの周囲に、二本の黒々とした綱のようなものが垂れ下がる。
それはひとりでにしなり、鎌首をもたげ、先端から暗褐色の粘液を滴らせていた。
至近距離からその様子を目撃してしまった彼女は思わず目を見開き、か細い悲鳴を上げる。
ようやくランタンに手を伸ばしたぼくはコックを絞り、束ねられた光が天井を菫色に照らし出した。
―――そこには、手足が異様に長い、背広姿の男がヤモリのようにへばり付いていた。
否、それは生物学的な男ですら無い。
襟元から覗く頭部には目鼻口等のパーツが一切抜け落ちており、つるりと卵のように何もない顔がじっとぼくらを見下ろしていた。
大きい。
さしわたし数mはありそうな天井の半分近くを、男の身体が覆っている。
黒一色で統一されたスーツの腰部からは、てらてらと艶を放つ触腕が幾筋も溢れ出し、天井に張り付きあるいは床へと垂れ下がっていた。
「何だ、コイツ・・・!?」
「―――のっぺらぼうの大男!!」
一同がその異様な光景に驚愕しすくみ上がる中、バスネットの騎士が怪人の名を口にする。
それに呼応するかのように、天井の男は無貌の首をびくりと痙攣させると、一斉に触腕を放つのであった―――
今週はここまで。




