∥004-H 来訪者あーちゃん(下)
#前回のあらすじ:特注メガネは認識疎外付
[マル視点]
「よーしそれじゃもう一回。今度は名前から行ってみようか」
「ん!」
―――【揺籃寮】の一角、ぼくに割り当てられた部屋にて。
ぼくは部屋の中心に向い合せで並べた椅子の片方へ腰かけ、対面の椅子に座る人物と顔を突き合わせていた。
年齢は10歳前後、明るい橙に白いメッシュの入った髪の、元気の良さそうな女の子だ。
名前はりん。
外見上は可愛らしい少女だが―――その正体は人に化けるという伝承上の妖怪、『猫又』である。
少し前にぼくの『式神』となった彼女には人化という、正しく人の姿へ化ける力があり、今はその検証中だ。
「最初はぼくの名前からね、ま、る。はいどうぞ!」
「ま、うー?」
「惜しい!じゃあ次、今座ってるこれは?・・・い、す!」
「ぃ・・・う!」
木製の椅子のヘリに両手をつき、好奇心にくりくりした翠色の瞳を輝かせるその姿に目を細めながら、ぼくは次々に指差しながらキーワードを並べていく。
ぼく⇒りん の順番で同じ言葉を発してもらい、きちんと発音できるかテストしているという訳だ。
・・・ほとんど言えてない気がするけど、可愛いので気にしないことにしてぼくは次のワードを口にした。
「母音しか言えてないよ!じゃあ最後は自分の名前、り、ん。さあどうだ!」
「ぃー・・・ん!!」
「うーん、50点!・・・だけど最初から比べればすごい進歩してるよー。おりんちゃん、よくできました!」
「んにゃ、なう・・・・♪」
くせの強い柔毛をくしゃっと撫でると、りんが猫のように目を細めくすぐったそうに声を上げる。
その愛らしい姿にほっこりしていると、突如入口のドアがバン!と勢いよく開かれ、何者かが部屋へ突入してきた。
突然の出来事にぎくりと固まるりんとぼく。
闖入者はびしりとこちらを指さすと、高らかにこう宣言するのだった。
「・・・みせいねんしゃりゃくしゅ!!」
「違うからね!?て言うか間違っても、人目のある場所でそのデスワードは口にしないように!・・・って、あーちゃん?」
思わず、反射的に上体をひねりつつツッコミを入れる。
振り返った視界には、この場に居ないハズの珍客の姿があった。
戸口の前で仁王立ちの姿勢でロリコン有罪を宣告する、ポニーテールの少女を前にぼくはぱちくりと目を瞬かせる。
ぼくの背後からそっと半分だけ顔を出し、りんもまた彼女の様子をおそるおそる窺っていた。
あーちゃんのくりっとした大きな瞳が、りんの姿を映す。
まずい。
そう思ったその時には、残像を残す程の勢いで滑り込んだ彼女はりんの華奢な身体を抱き上げていた。
「―――何この子!すっごい可愛い!!」
「あっ、コラ」
「・・・・・・!!!??」
制止する間もなく、両脇の下に手を入れ抱き上げられるりん。
目を白黒させて固まる彼女へ、興奮で目を爛々と輝かせたまま矢継ぎ早に質問を投げるあーちゃん。
「ねぇねぇねぇねぇ、お名前は?どこから来たの?あ、あたしは羽生梓って言うんだよ~、それでねそれでね―――」
「落ち着け。」
「ふぎゃんっ!?」
処置なしと判断したのか、暴走中のあーちゃんの脳天へスパァン!と勢いよくハリセンが打ち下ろされた。
がくんと前へつんのめる彼女の動きにつられ、空中へ放り出されたりんは猫特有の身のこなしでカーペットの上へふわりと着地する。
一方、後頭部のタンコブを抑えあーちゃんはうずくまったままだ。
その姿にため息をつくと、何時の間にやら部屋の中へ入ってきていた明はハリセンを肩に乗せたまま、軽く片手を上げて挨拶した。
「よっ、精が出るな」
「明さん・・・?この状況は一体・・・」
「それは話すと長く―――ならんな。とりあえず、お前に用があるみたいだからここまで案内しといた」
「あ、それはどうもお疲れ様でした。色んな意味で・・・」
「気にするな」
最早この寮ではお馴染みとなった紫紺のジャージ姿に向かい、ぼくは深々と頭を下げる。
それに頷いた明が床の一点を注視していることに気づき、つられてぼくも同じ箇所へ視線を向ける。
そこにはカーペットの上に落ちた一枚の真っ白いシャツがあった。
中心部の20cm程はこんもりと盛り上がっており、中身の動きに合わせもぞもぞと揺れている。
やがて、シャツの首へ移動した中身は穴の中から、橙色の短い毛に覆われた頭が、続いてぴんと立った耳がぴょこりと顔を出した。
「・・・どうやら人化が解けたようだな」
「そりゃまあ、色々あってビックリしちゃっただろうし―――はっ!?」
先程まで身に着けていたシャツから首だけを外に出し、りん――何時の間にか猫の姿に戻っている――がきょどきょどと周囲を見回している。
その姿にほっこりとしかけた所へ、猛烈に降ってわいた嫌な予感に突き動かされて、ぼくはすかさず片手を前へ突き出していた。
「―――バブルシールド!!!」
「にゃんこだーーーぶっ!!?」
「・・・!!??」
先程の場面の焼き直しのように、矢のような勢いでりんへ向け突進する人影。
翠色の瞳をまん丸く見開いたりんを今まさにスライディングキャッチせんというその時―――
二人の中間に、青く輝く水玉が空中に生じ―――かと思えば、1.5m大の巨大な泡へと変じていた。
顔面からその中心へ突っ込む梓。
半ばまでバブルシールドへ沈みこんだかと思えば、次の瞬間にはばちんと勢いよく弾き飛ばされ、少女は綺麗な放物線を描きブッ飛んでゆくのであった―――
・ ◇ □ ◆ ・
「あたし、この家の子になる!」
―――先程の場面から30分程経過した所であった。
正座とお説教のローテーションを済ませたあーちゃんが、開口一番そう言い放ったのだ。
ぼくと明さん(何となく帰るタイミングを逃した)は無言のまま顔を見合わせ、次いで発言者へとそろって向き直る。
満面の笑みであった。
30分間の正座により痺れた脚はプルプルと生まれたての小鹿のように震え、目の端には涙の玉が浮かんでいたが―――その意思は固いように見える。
「・・・一応、理由を聞いても?」
「だってにゃんこだよ?しかもちっちゃくてカワイイ女の子にもなれるだなんて・・・一粒で二度オイシイって事じゃん!だからあたしもここの子になって、りんちゃんとお友達になりたいの!」
「だからってそんなの―――」
「そんなの、認められませんわ―――ッッッ!!!」
「「「 ! ! ? 」」」
大体予想通りの返答に、首を振って断りを入れようとした―――その時。
勢いよく窓が開かれ、そこから一人の人影が飛び込んできた。
突然の事態に驚きすくみ上る面々の前で、深紅のナイトドレスを身に纏ったその少女は黄金に輝く長髪を靡かせ、カーペットの上へ降り立つ。
そのまま流れるような仕草でぼくにびしりと指を突き付けると、彼女は高笑いと共に宣言するのであった。
「この!Elizabeth・P・Millerの目が黒い内はCathyを奪おうったってそうはいきませんわ!!オーッホッホッホ!!!」
「リズ?」
「何でここに・・・」
彼女の名はエリザベス。
女性だけのクラン『Wild tails』のマスターを務める、『学園』でも指折りの実力者だ。
そして同じクランに属するあーちゃん――エリザベスは彼女をCathyと呼ぶ――の友人でもある。
「そんなの、私のCathyが危ない目に遭わないようコッソリ後を付けてきたに決まってますわ!」
「自信満々にストーカー行為を白状されても・・・」
「えーっと・・・つまり、あたしが心配だったってこと?」
「・・・そうとも言いますわ!」
・・・そして、Cathyこと梓が好き過ぎて度々暴走する困った人物でもある。
堂々と付きまといを自白した彼女にジト目を送るぼくなど視界に入らぬとばかりに、優雅に髪をかき上げてから片手を差し出すリズ。
「それじゃCathy、私達のホームへと帰りますわよ」
「やだ」
「・・・Cathy!?」
「だってあたし、ここの子になるんだもん!なっておりんちゃんと仲良しになるんだもん!」
悲痛な声を上げるエリザベスに、ぷいっとそっぽを向くあーちゃん。
この世の終わりのような表情でがっくりと膝をつく彼女の姿は、見ているだけで気の毒になってくる程だ。
ストーカーだけど。
「そんな・・・猫ならホームにだって居るでしょう!?数だってうちの方が3匹、勝ってる筈だわ!何なら今度ロバートを一日自由にする権利を上げたっていいのよ!?」
「それはそれで堪能させて貰うとして・・・にゃんことの出会いは一期一会なんだよ、あたしの心は今・・・おりんちゃんを求めてるの!!」
「な、何てこと・・・でも一理あるわ・・・一目その姿を見た瞬間から恋に落ちる感覚、私も覚えがありますもの・・・!」
「・・・いや、そういう問題じゃないだろ」
本人の与り知らぬ所でその身を売り渡されたロバート氏。
その犠牲もむなしく、エリザベスの提示した条件にあーちゃんは首を縦に振らかなった。
逆に説き伏せられ、はっとした表情で口元を手で覆う彼女に明さんから呆れ気味のツッコミが飛ぶ。
すっかり混沌としてきた状況に深くため息を付くと、ジャージ姿の少女は激論を交わす二人の間へ進み出ると指を一本立て、口を開いた。
「このままじゃ埒が明かない―――そこで提案がある。まず梓、お前はりんと仲良くなりたい、その手段としてここに住みたい。それで合ってるか?」
「うん!」
「次にあんたは、梓が『Wild tails』のクランホームから引っ越すのを阻止したい、という事でいいか?」
「・・・違いありませんわ」
「なら―――」
続いてもう一本、指を立てて確認した内容にやや警戒した様子で頷くエリザベス嬢。
その様子にひとつ頷くと、二人を交互に見つめた後に明は再び口を開いた。
「この寮には、幾つか使ってない空き部屋が存在する。その一つを倉庫名目でお前に貸す事が可能だ。勿論、家具なんかを持ち込んでもいいし、そこからマルの部屋に通うのも自由だ」
「むむむ・・・!!」
「―――ただし、用事が済んだら必ずクランホームへ帰って貰う。あくまで倉庫を貸すだけであって、居住先はクランホームのままという訳だ」
「・・・まあ、それでしたら・・・」
渋々といった様子ながら、提示された条件に頷く二人。
状況は纏まりつつあるようだが、そっと右手を挙げぼくはためらいがちに口を開く。
「あの~・・・それ、毎回あーちゃんの襲撃を受けるのはぼくって事になるんですけど―――」
「可愛い女の子に遊びに来てもらえるんだぞ?喜べ」
「素直に喜べない・・・!!」
男冥利に尽きるだろう?とばかりにニヤリと笑う明に、悲鳴混じりの叫びを上げるぼく。
これから先の寮生活、突然の闖入者に悩まされる日々の到来に、ぼくは思わず頭を抱えるのだった―――
今週はここまで。




