∥004-G 来訪者あーちゃん(中)
#前回のあらすじ:ここがあの女のハウスね!
[梓視点]
あたしは管理人室を出た後、ぐるりと首を巡らせる。
薄暗い寮のフローリング床に煌々と光を投げかける、明り取りの窓を2つ数えたあたりでお姉さんの後姿は見つかった。
そこまで小走りで近づくと、あたしは速度を落としてぴったりとその横に並ぶ。
そっと横顔を覗き込むと、目線より少し上の高さから分厚いグラス越しに、焦茶色の瞳があたしをじっと見つめていた。
「・・・どうかしたのか?」
「えっと。・・・背、高いね?」
「―――そうだな。ちょくちょく言われる」
会話が途切れてしまった。
役目は済ませた、と言わんばかりに再び前へ向き直るお姉さん。
その動きにつられて、わずかに揺れる亜麻色の髪が窓から延びた光の筋を受け、艶やかに煌めく。
見る者が思わず目を奪われてしまうような、きめ細かく、真っすぐに伸びた亜麻色の長髪だった。
あたしも髪を伸ばしているが、猫っ毛なせいで先の方がくるんとカーブしてしまう。
毛先を指先で弄りながら、あたしは同行者の艶やかな髪へ多分に羨望のこもった眼差しを向ける。
(キレイだなぁ・・・姿勢も真っすぐで、動きもキビキビしててカッコいいし、おっぱいもおっきいし・・・なんだかデキる大人のオンナって感じ!)
俄然、この女性に興味が湧いてきてしまった。
抑えきれない興奮に頬を紅潮させたまま、あたしは質問を続ける。
「ねぇねぇ、おねーさんはここに住んでる人―――なんだよね?たしかこないだも居たし・・・」
「まぁ、そうだな」
「あの時は手伝ってくれてありがと!えっと、それでね?先輩の事もなんだけど、おねーさんの事も色々聞けたらなって・・・だめかな?」
「別に構わんが―――」
バレンタインデーの時の礼を述べつつ、ダメ元でぶしつけなお願いをしてみる。
内心ドキドキの状態で返事を待っていると、お姉さんはそうつぶやいた後に言葉を切ると、ちらりとあたしの目を覗き込んだ。
―――視線の先には、好奇心でいっぱいに満たされ星空のように、キラキラと輝く大きな瞳が待っていた。
その熱量に一瞬ぎくりとたじろいだものの、すぐに前を向き直り何事も無かったように彼女は続ける。
「聞いて面白いかまでは保証できんぞ?」
「全然構わないよ!それじゃあ・・・えっと、まずは自己紹介から!あたしは羽生梓って言って、先輩と同じガッコの一つ下の学年で・・・同じ日にこっちに来たの!」
「そうか。私は会取明、この寮で副管理人をやっている者だ。現世では高校3年生だった―――筈だ」
「はず?」
「・・・こっちへ来て長いせいか、学校へ通っていた頃の記憶が曖昧でな」
「むむ・・・??」
どこか遠くを見つめるようなその視線に、あたしはめいっぱい首を傾げて考え込む。
少しの間うんうんと唸った末、先日クラン仲間から教えてもらった事を思い出しぽんと手を叩いた。
「つまりおねーさんは・・・ようかん組の人!」
「正しくは『召喚組』な。ちなみにお前はいわゆる『スカウト組』なんだが、この2つの違いが何か、判るか?」
夏のお歳暮に贈られてきそうな単語を口にしたあたしに、お姉さんはすかさず訂正を入れる。
舌を出して恥ずかしがっているところに続いて質問を投げかけられ、あたしはもう一度めいっぱい首を傾げた。
「えっとー・・・任務に出られる時間が長いのと短いの・・・だっけ?」
「半分正解って所だな。『スカウト組』は奴らの襲撃現場に居合わせた人間をヘレンが直々にスカウトした場合で、現世に生活基盤があるからこっちに来られるのは夜、寝ている間だけだ。対する『召喚組』は時空を越えて、異なる時代に存在した覚醒者をこちらへ引っ張ってきた連中だよ。生活基盤は完全にこちら側だから実質、常に任務へ参加可能となる」
「なるほどー・・・?」
口元に指を当て、わかったようなわからないような声を上げるあたし。
その様子をじっと見つめ、妙に通る声で彼女はこう付け加えた。
「―――つまり、『スカウト組』は生者で、『召喚組』は死者だ。覚えておくといい。ちなみに私と、さっき部屋に居た叶―――弟は『召喚組』だ」
「えっ―――?」
生者と、死者。
唐突に頭に放り込まれた二つの単語に、あたしの思考は一瞬固まる。
思わず立ち止まったまま脳裏で今の発言をリフレインさせ、あたしはしばしの間考え込んだ。
(―――あたしと先輩はバスの中でUFOに襲われて、でもヘレンちゃんに助けて貰ったから生きてる。だけど・・・お姉さんは昔に死んじゃった人で、今の時代に身体が無いから現実世界に―――戻れない?)
じわり。
言葉の意味を理解するうちに、自然と視界が涙でにじむ。
こうして顔を合わせて、言葉だって交わせるのに―――この人が生きていないだなんて。
「そんなのって、あんまりだよぉ・・・」
「・・・すまん、ちょっと言い方がストレート過ぎた。私は別に未練があるとか、お前たちが羨ましいと思ってる訳じゃないんだ。―――ああ、もう。鼻水垂れてるぞ」
「ごべんな゛は゛い・・・グスッ」
「ちょっと待ってろ―――はい、これを使ってくれ」
手渡されたハンカチを当てて、ずびびと勢いよく鼻をかむ。
耳の奥がキーンとなったけれど、その代わりちょっとだけスッキリした。
ふう、と一息つくと、掌の中に残された鼻水がべっとり付着したハンカチが視界に入り、あたしは再ひ固まった。
それを見かねたのか、お姉さんは慣れた手つきでひょいとハンカチを取り上げると、折りたたんでポケットにしまい込んだ。
「これは後で洗濯しておくよ」
「何から何まですみません・・・」
「この位は弟の世話で慣れてる。まあ・・・あまり気にするな」
流石に恥ずかしくなって平謝りするあたしに、掌をひらひらと振って彼女は軽く微笑んだ。
――――お姉さんの笑った顔、ここに来てから初めて見た気がする。
なんだかこそばゆい気持ちになってしまい、あたしは慌ててそっぽを向くと話題を変えようと口を開いた。
「えっと、えっと―――お、弟くんって、さっきの部屋に居た子だよね?こういうのが慣れてるって・・・」
「ん?・・・ああ、叶は昔から泣き虫だったからな。そのせいか、こうやって普段からハンカチを持ち歩くのが癖になってるんだよ」
「そーなんだ・・・ふふっ」
しっかり者のお姉さんと、泣き虫の弟君。
言われてみれば納得の配役で、泣きべそをかいた白い髪の男の子をなだめつつ、その手を引っ張る小さい頃のお姉さんの姿を想像してしまい、思わず笑顔が漏れる。
「でもそっか、言われてみれば目元の辺りとか、アゴの形なんかそっくりだもんね。・・・ひょっとして双子なのかな?」
「確かにそうだが―――待て。なぜ私の素顔を知っている?」
「えっ?」
固く響いたその声に振り向くと、お姉さんは険しい表情でこちらを見つめていた。
理由がわからず目をぱちくりさせていると、言葉を選ぶようにしてゆっくりと彼女は続ける。
「・・・何処かで私の素顔―――眼鏡を取った状態を見たことがあるのか?」
「え―――っと?うん・・・ここにチョコレート作りに来た日、大ホールのお店で見たけど・・・?」
「―――そうか。じゃあ何故、その後ここの厨房で顔を合わせた時に何も言わなかったんだ?」
「それは―――」
あれは確か先月のこと。
先輩に手作りチョコを渡そうと一念発起したあたしは、紆余曲折の末にここ、【揺籃寮】にて人生初の手作りチョコにチャレンジしたのだった。
その折、学園の大ホールにて謎の行商人――実は変装した明――からチョコの材料を購入した後、寮の厨房にてチョコを作る際にもあたしはお姉さんと顔を合わせている。
あの時は確か―――
「確か、さっきのお姉さん、変わったメガネなんか掛けてどうしたのかなー?って思ったんだっけ。だけど・・・チョコ作りで頭の中いっぱいで、正直それどころじゃありませんでした!」
「最初から効いてないじゃないか―――!?認識阻害仕事しろよ!」
「ほえ?」
急に頭を抱えがっくりと項垂れたお姉さんに、あたしは小首を傾げる。
しばしの間、眉間に皺を寄せて何事か考え込んでいたかと思えば、急にきょろきょろと周囲を見回し始めるお姉さん。
意を決したように小さく息を吐くと、彼女は黒縁眼鏡の縁に手を掛けた。
「よし―――他は誰も居ないな。すまんが今、私の姿はどう見えてる?率直な感想を頼む」
「ふゎ。・・・とってもキレイ。女神様みたい・・・」
思わずため息が漏れる。
今、お姉さんは大ぶりな黒縁眼鏡を外し、その素顔を晒していた。
長い睫毛、こちらを真っすぐに見据える大きな焦げ茶色の瞳と、切れ長の目。
抜けるように白く、きめ細やかな肌とその面影は、確かに部屋で目にした男の子とそっくりだ。
改めて二人は双子だと言われれば、そうだと認めざるを得ない。
ただし、幼さの目立つ弟君に対しこちらはあどけなさを残しつつも、大人の女性としての魅力が花開きつつある、匂い立つばかりの女としての魅力に満ち溢れていた。
正直、これほどの美少女はいまだかつて眼にしたことがない。
何だかドキドキしてきた。
感想を求められ口を開いたはいいが、飛び出したのは夢見心地のため息と月並みな感想だけであった。
そんなあたしの様子をじっと見つめると、お姉さんは手に持った眼鏡を装着し、もう一度顔を上げた。
「―――今度は、どうだ?」
「えっと、メガネのお陰かちょっとだけ印象が違って見える・・・かなー?」
「・・・つまり、同一人物として認識できてるんだな?」
「ばっちしできてます」
「勘弁してくれよ・・・」
はぁぁぁぁ、と深くため息をつくと、げっそりした様子でお姉さんがぼやく。
何だか申し訳ない気持ちになってしまったあたしは、ぺこりと頭を下げた。
「謝らなくていい、あくまでこっちの事情だからな。一応説明しておくが・・・今、私が付けてる眼鏡にはちょっとした仕掛けが付与されてる。装着時と非装着時の姿を結び付ける事を妨げる働きと、装着中の顔を記憶に残りにくくする働きの二つだ。―――何故かお前にはまるっきり効いてない訳だが」
「ほぇ・・・」
「ああうん、ピンと来てないってのはその表情でよくわかった。まあ要するにだな―――」
そこで言葉を切ると、しばし腕組みをしたままお姉さんは考え込む。
やがてあたしの顔をちらりと見ると、いたずらっぽくウインクしてこう続けるのだった。
「この事は、女同士のヒミツということで頼むよ」
「・・・うん、わかった!二人だけの秘密、だね?」
声をひそめてうなずき合うと、二人はくすくすと笑い声を上げる。
出会ってから短く、然程言葉を交わした仲では無いのだが、こうして話しているうちにあたしは何だか、このお姉さんの事がすっかり大好きになってしまっていた。
後で先生に点検して貰わないとな、等と小さくぼやく彼女の横に並び、あたしは再び廊下を歩き始める。
先輩が居るという部屋はもう、すぐそこまで近づいていた―――
今週はここまで。




