93.いざクエストへ
修学旅行の前ってわくわくするよね。
お布団のなかで羊を数えながら、でもギンギンに目がさえて眠れない。
お気に入りのリュックサックにお菓子を詰め込むんだけど、入りきらなくてうんうんと唸る。そんな気分。
それがどうしたって? うちのご主人様がまさにそれ!
「ウィルベルってば、そわそわしすぎじゃない?」
時間は早朝。
窓からは明るい太陽。一面の雲海から初日の出のごとく顔を出し始めた、ちょっと神々しさを感じるそんな朝。
現在、ぼくらがいるのはレヴェンチカから飛びだって三日目の空。
空飛ぶ浮遊有船――モジャコの船室のなかでは、ルームメイトたちがまだ布団のなかで毛布をかぶって、むしろ『太陽がまぶしくてうざい』とでも言いたげ。
だっていうのに、ウィルベルってば完全に目を覚まし、まん丸なガラス張りの窓から外を眺めながら、
「せやかてミカ。初めてやから仕方ないやん?」
なんて言っちゃう。
この世界ってどれくらい広いんだろう?
たまに遠くに島が見えたりするんだけれど、基本的には行きかう船すらも見えない寂しい空。
レヴェンチカに来るときはすぐ近くの島と島を行きかう船を乗り継いできたので感じなかったんだけれど、何もない空虚な空を見ていると、迷子になっちゃった気分すら感じてしまう。
「ウィルベルは元気でありますねぇ……」
「ニア、あなたも去年は似たようなものだったでしょうに。覚えているわよ。10分ごとに『まだでありますか、まだでありますか』って」
「う……。忘れてください。あれはわたしの黒歴史であります」
ルームメイトたちも目を覚ましだす。
部屋の左右に三段ベッドが並んだ、ちょっと手狭な6人部屋。
とは言ってもマグロ漁船の部屋のような感じではなくて、高級ホテルをぎゅっと濃縮したような機能美に溢れている感じではあるけれど。
ここらへん、さすが貴族階級の子弟が多いだけあるなって思わされる。
同室の生徒はベッドの数と同じく6人。寝ぼけ眼のニアとアミティ先輩。そして、
「クァイス先輩、起きてください! めちゃくちゃキレイな光景ですよ!」
「……うるさい。だまれ。無駄な体力を使うな」
今回の演習を合同でおこなう同乗者、プルセナ教室の生徒たち。
高等部1年生、医療課程のサーシャちゃんと、朝が弱いのか、まだ毛布にくるまっているクァイス・バルハラーロちゃん!
初めての演習でクァイスちゃんと一緒とか、これってなんて腐れ縁?
「そんなこと言って! クァイス先輩ってばただ朝が弱いだけじゃないですか!」
サーシャちゃんが毛布の上からバンバンと叩いているけど、すごいね。あの娘。
ぼくだったらあんな恐ろしいことできないよ。
でも、そんなサーシャちゃんにかまわず、クァイスちゃんは毛布にくるまったままおねんね中。
不機嫌なオーラを出しているけれど、ウィルベルと同室になったから? それともたたき起こそうとしているサーシャちゃんのせい?
なんにせよ。そういう態度をとられると、なんとしてでも起こしたくなるよね!
「ミカはまたなんか余計なことを……」
ウィルベルがぼやくけれど、ふはは。余計なことをするのがクロマグロの生き方と見つけたり!
すーはーすーはー、と軽く深呼吸してからコソっと近づき、その耳元でささやく。
「ねえねえ。カッコよく『合格したら名前を教えてあげる』って言ってたのに、その前に名前を知られてて、あまつさえそれに負けたってどういう気分? ぷっぷくぷー!
――あばばば! ジョーク! ジョークだから! クァイスちゃん、ギブ! ギブ!」
ギリギリと締め付けられるぼくの頭蓋。
この世界の女の人ってゴリラみたいな握力の人ばっかりなんだけどどういうことおおお!?
「でも、額に青筋を立てるクァイスちゃんってばちょっぴりキュートだよね! ――ぎゃあああ!!!」
さらなる締め付けがぼくを襲う。あびゃー。
「ウィルベルも見てるだけじゃなくて助けてよ!?」
「どっからどう見ても自業自得なんよ……」
くそっ! ご主人様にさえ見捨てられた!?
それにしてもクァイスちゃんって思ったよりも付き合いいいよね!
てっきり『うるさいのは好きじゃないの』とか言いながら、華麗にスルーされると思ってたんだけど。
「ハッ!? もしかしてクァイスちゃんって……ツンデレっ!?」
初登場時のときの高圧的な態度から考えると、むしろ王道的なヒロインなのかも!?
一見、攻略難関と思ったら、意外とちょろかったりするやつ!
ふむふむ、なるほど。そうすると、だ。
ここでぼくはひとつの仮説を立てた。
もしかしてだけど。ラッキースケベ的にその胸に飛び込んだら「まったくもう、しかたのない精霊ねえ」なんて言って、受け入れたりしてくれたりして!
「というわけで足が滑ったぁっ! ――とぅっ」
「そのみみっちぃ脳みそにアイスピック刺されて死ねっ!」
飛び込んだぼくの頭蓋をキャッチ&みしぃ。
「ぎゃあああああああああ!!!」
あっかーん!
マグロの頭を握りつぶすのに必要な握力は、一説には二〇〇キログラムって言うけど、ほんとのほんとに砕かれそうなんだけど!!!
ウィルベルよりも握力が強いんじゃないの、これ!?
だがしかし! ぱっちり目を覚ましたようなので、ギリギリ引き分け!
そう! これは敗北ではない。栄えある引き分けなのだ!
「というわけで、『お互いの健闘を称えてお友達になりましょう』なフラグが立ったって理解でOK?」
「……ほんとに死なすぞ、ワレ」
「ああ! クァイス先輩。それ以上はダメです。ほんとのほんとに死んじゃいますよ!?」
ぎゃーぎゃーわーわー。
――船室がにわかにうるさくなったそんな折りのこと。
「……はぁ」
右側のベッドの一番上、小さくため息をついて、船室内の最後の一人の少女が起床した。
背はニアよりも低く、流れるような艶のある髪の毛は金色。
ボリュームのある髪を小さめのツインテールにまとめていて、動物に例えるならミミズクって感じ!
「……みなさん、遊びに行くのではないのですよ。勘違いしているのではないですか」
アーニャ教室の生徒でも、プルセナ教室の生徒でもない第三の生徒。
中等部の3年生、アリッサちゃんは、まさにミミズクのような眠そうな瞳でぽつりとつぶやいた。
【マグロじゃない豆知識】
船に備え付けられた丸い窓を『スカッツル』といいます。
なぜ丸いのかというとおしゃれのため――ではなく、水に濡れたり乾いたりする時に、ガラスが縮んだり伸びたりする応力に耐えるため。
丸いと周囲から均等に力が加わるため、割れにくいのです。