9.赤身モード
不思議だな。みんなの注目が集まると、からだのなかのどこかがカッと熱くなる感じがする。
「ハッ!? これってもしかして身焼け!? やばいやばい。早く冷蔵しなきゃ! ――なんて、言ってる場合じゃないよね!」
クラーケンの、幼女を持っていない方の触腕がびゅーんとすごい勢いで振り回されてくる。
プロボクサーのジャブにも似た予備動作の見えない攻撃だ。でも、
「あまい!」
ウィルベルの手に収まったまま、ぼくはビチーンと跳ねてその触腕を弾き返した。
「……エギィ!?」
その反応速度にクラーケンが驚愕の表情を浮かべる。
ふふふ。いまのぼくらにそんな攻撃が通じると思うなよ。
なぜならば!
「不思議な感じや。うち、ミカの見ているものが見えて、考えてることがわかる気がする」
「奇遇だね。ぼくもだよ」
意識が溶け合う不思議な感覚。
上質な大トロを舌に乗せたときの、溶けた脂のふわっとした心地よい感触って言えばいいのかな?
ふと見ると、ウィルベルの目が、マグロの赤身のような綺麗な真紅に輝いていた。
ステータスを見なくてもわかる。なんかよくわかんないけど、すごくなってる感じがする。
よし。これを赤身モードと名付けよう!!
「……そのネーミング、めっちゃださいんやよ?」
「うっせえバーカバーカ! しょせんファンタジー世界の住人には、このハイソなネーミングセンスはわからないんだい!」
「エギィィ!!」
クラーケンが攻撃を繰り出してくる。今度は足も含めた10本の手足による連撃。技名を名付けるなら百烈テンタクルって感じ。
さっきまでのぼくらなら、なすすべもなくやられていただろう。
――集中しろ、ぼく。
ヒトは集中力を高めれば高めるほど体温が高くなるという。
ならば、自分の身を焦がしかねないほどに、身を熱くするマグロの集中力はいかほどのものか。
ウィルベルとぼくの鼓動が重なり合って、足し算どころか累乗していく高揚感と集中力。
「ミカ、いくんよ!」
「おうともさ」
司祭は言った。精霊っていうのは主人と一心同体だって。
それは建前だって思ってたけど、もしかしたらホントなのかもしれない。
「エギぃぃぃ!!!」
迎え撃つは8本の足と、2本の触腕。
でもぜんぜん余裕。上下左右あらゆる方向から繰り広げられるその連撃をかいくぐり、ぼくらはクラーケンに肉薄する。
「エギっ!?」
接近されるのを嫌って、宙にふわりと浮くように後退するクラーケン。
でも、それこそがぼくらの狙い! ウィルベルが助走するように軽くステップを入れ、槍投げのようにぼくをクラーケンへと、
「いっけぇええええ!」
アメフトのパスのように螺旋の回転をつけて投擲!
あばばば! 目が回る! けど、問題ナッシング!
クラーケンが2本の触腕で叩き落そうとしてくるけれど、宙に浮いた状態ではやはり動きが鈍い。
ぼくの紡錘形のボディはその触腕をかいくぐり、
「おりゃあああ!」
「エギギギ!?」
そのままつぶらな瞳に向かって体当たり! さっきの威力とは桁違いの攻撃力でクラーケンを甲板に叩き落とし、
「とぅっ!」
クラーケンを叩き落した勢いでさらに上空へ!
さっき、失敗した攻撃を繰り返したような展開。
違うのは、なんかよくわかんないけど、ぼくのステータスが強化されてるってこと。
「エギィィィ!?」
上空からの攻撃を警戒したクラーケンが、意識をぼくに向けた瞬間――
「おっとぉ! うちのこと、忘れたらいかんのよ!!」
ごすっ。
甲板を這うように走ってきたウィルベルのキック!
これまたさっきのように、イカの弱点である目と目の間に突き刺さる。
「ギギぃっ!?」
すごい勢いで吹っ飛ぶクラーケン。
吹っ飛んだクラーケンの胴体に、割れてギザギザになった甲板の破片がぐさりと突き刺さる。
さらにその上から、
「天空一文字・ツナアタァァァック!」
200キログラムの体重全てをかけて、クラーケンの上から体当たり!
どべちーん!
「エギャアアアアアア!!!」
効果は抜群だ! 狙い通り、木の板が貫通した胴体から、青空のように綺麗な青い血が甲板の上に噴き出す。
よし。このタイミングなら幼女を――
「エギぃァァァあああ!!」
だけど、あいてもさるものBクラス。
クラーケンが暴れるように触腕と足を振り回し、幼女を助けようと集中力が散っていたぼくらに直撃する。
「げぶらっ!」「わひぃっ」
その足に蹴り飛ばされてぶっ飛ぶぼく。さらにウィルベルを巻き込み、船室への入り口の壁に叩きつけられる。
その威力は凄まじく、べきべきと木製の壁が破壊されて、船室のなかにあったテーブルを盛大にひっくり返して、ようやくぼくらは止まる。
「ぐえー。口からネギトロが出そうなんよ」
「それ、ぼくのセリフなんだけど」
――めっちゃ痛い。
ウィルベルは口には出さないけど、そんな心が伝わってくる。いまのぼくの防御力補正がどんなもんかはよくわからないけど、いまの一発だけで大ダメージである。
さすがはBランクの魔獣。でも、
「怪我はない? もう大丈夫だかんね!」
ウィルベルが優しく話しかけたのは腕の中の幼女。
「お、お姉ちゃん……?」
「うん。よかった無事で」
いまの攻防のなかで、ぼくらは囚われていた幼女を救い出すことに成功していた。
「エギィ……」
ウィルベルが幼女をそっと甲板に横たえ、ゆっくりと身を起こすのとほぼ同時、クラーケンもずるりと木の板を引き抜き、こちらを睨みつけてくる。
とはいえ、動きは鈍く、大ダメージを受けているのが見てとれる。
……いつしか浮遊有船の高度は島の全貌が一望できるほどに、遥か高く上昇していた。
気圧は低く、風は冷たい。酸素は薄く、堕ちれば命の保証なんてない。
「さあ。これで憂慮もなくなったし、ここからは――」
「思う存分にやっちゃえるんよ! ばっちこい!」
「エギィィィィィィィィィィ!!」
ぼくらの挑発に、クラーケンがひときわ大きく空に吠えた。
【マグロ豆知識】
ネギトロは『葱&トロ』ではなくて、骨の隙間に残った身をこそげ落とした(ねぎりとった)もの、の意味。
調味料などに小麦や大豆などの少量のアレルギー成分が混ざっている場合もあるので、重度のアレルギー持ちの方は注意してくだい