87.最後はやっぱり――
――強い。
ぼくらの前に立ちふさがるこの大きなバグは、明らかに他と格が違った。
互いに風上――風を利用できる有利な位置を確保しようと、間合いを測り続けるぼくとジャイアント・バグ。
すーっと。
自然と高度は上がっていき、いつの間にか外空ギリギリのところまでたどり着く。
特にウィルベルは裸眼だから、これほどの相手に風下に立つのは自殺行為だ。
外空の不規則で乱暴な風がウィルベルの髪を撫で付け始めた、そんなときだった。
「あなたは強いんやね」
ウィルベルがジャイアント・バグに話しかけた。
正しくは、遠隔操作をしている操縦者に対して。
「こうやって向かいあっとるだけでも、ようわかる。あなたはうちなんかよりも全然強い。たぶん、ほんまもんの勇者にも匹敵するくらいに」
漠然と相対しているだけでもよくわかる。
これを操作している人は、他のバグの操縦者に比べて桁違いの強さを誇っている。
そのプレッシャーはかつてぼくらがお世話になった勇者、ギギさんよりも強いくらいだ。
しかも、アーニャ先生いわく、このジャイアント・バグ本体は災害レベル2に匹敵する強さを誇るという。
「……」
ジャイアント・バグは無言。
でも、ウィルベルはさらに話しかける。
「うちには不思議なんよ。それだけの力がありながら、なんでやろな? なんでそういうことに使ってしまうんやろな?」
「……」
やっぱり返事はない。でもウィルベルはかまうことなく話しかける。
「バグみたいなすごいもんを作れる技術があるのに、なんでそういうことに使ってしまうんやろな?」
「……」
「なんで――」
「君ハ“ドウシテ”バカリダナ」
さらに問いを投げかけようとしたウィルベルを遮ったのは、ジャイアント・バグだった。
声というよりは、くぐもったような音というほうが近い。
あまりわからないけれど、壮年の男性の声に聞こえる。
でも、それっきりだった。相手は無言に戻って押し黙る。
どうやら会話をする気はないらしい。
その様子を見て、ウィルベルはわざとらしく肩をすくめた。
「せやね。だってうちはまだ学生やもん。知らんことばっかりや。しゃーないんよ。でもな、一番不思議なのは――」
そして笑う。
「どうしてあなたは出てきたんやろな。そんなもんじゃ、うちに勝てへんのはわかっとるのにな?」
ウィルベルのその笑みは、猫科の肉食獣のように獰猛で。そして魅力的だった。
もしも、この操縦者の人と生身で会ったならば、ぼくらは勝てないだろう。
でも、ジャイアント・バグだなんていう災害レベル2程度の足手まといを使って、さらに空で対峙している今なら話は別だ。
「……」
言葉は返ってこなかった。
代わりに殺気が膨れ上がる。
ウィルベルのほうも、お魚さんに襲いかかるドラ猫のように体を縮めて、来たるべき瞬間を待つ。
江戸時代の剣豪同士の戦いのような、そんな緊張感。
相手は災害レベル2。本来であればいまのウィルベルよりも格上の相手。
ジャイアント・バグには一撃でウィルベルを倒すだけの攻撃力と技術があり、でも、ウィルベルにも一撃で相手を倒せるだけの攻撃力と空戦力がある。
――風が、吹いた。
不規則で乱暴で。そして、ぼくらが待っていた風。
「ふっ!」
嵐を彷彿とさせる強烈な風に乗って、ぼくらは一気に加速する。
普通のバグならば反応することもできないほどの加速。
だけど、ジャイアント・バグはぼくらの突撃を予想していたかのように、最小限の動きでぼくらを迎え撃つ。
「ジャッ!!!!」
いまのぼくらが食らったら、ひとたまりもない威力。災害レベル2の攻撃。
でも当たらなきゃいいだけの話!
前に空を飛んだときもそうだったんだけど、一定以上の速度を出すと脳がクリアになる感覚がする。
脳に酸素が供給されるせいかな? マグロ本来の思考能力が発揮されているのかもしれない。
だから、ぼくらの進行方向はまっすぐそのまま!
『『なにやってるの、無茶よ!?』』
通信道具からは色んな人の悲鳴があがる。
でも、ぼくらには笑みを浮かべる余裕すらあった。
マグロの反射神経は人間の数十倍! しかも、ぼくの思考力はウィルベルと共有されているわけ!
「そんなのスローに見えるぜ!」
「こんなん、余裕や!」
だから、真正面から鎌に向かって突っ込んでも、ぜんぜん見切れる!
キュッ。
空中制動(小)によるブレーキング。ウィルベルが身体を反らせて、髪一本だけ掠らせる。
まさに紙一重で、敵の振り回した鎌が通り過ぎていく。
そして、攻撃を外してガラ空きになったお腹めがけて、
「おおおッっっりゃあああ!!!」
ずどん!!
肘を叩き込む。
ぐしゃあ、という嫌な音とともに、ジャイアント・バグの口から黄色い液体が吐き出される。
でもまだだ!
さすがの強敵。ぎりぎり真芯を回避された。
「ジャアアア!!!」
右。左。右。
口から油のような液体を吐き出しながらの反撃。
バグの鎌が、凄まじい速度と、信じられない精度で振り回される。
ヒュンヒュンと風を切る音とともに、必殺の凶器が紙一重で肌をかすめていく。
でも、ウィルベルは退がるどころか、さらに前へ!
そして、バグのお腹に向かって、もう一発。
「おおおおおっ!!!」
突撃の勢いを利用した浴びせ蹴り!
どげし。
まともに蹴りを食らって、体重差が逆転したように吹っ飛んでいくジャイアント・バグ。
空中でのコントロールを失ったようにキリキリと墜落していく。でも、まだまだ!
「ふぅぅぅ……」
ぼくらは一度だけ深呼吸をした。
そして、息を止めて一気に急降下を始める。
「ふっ!」
さっきまで――滑空スキルしかなかったときは、危なくてできなかった急激な降下角度と、速度。
『……』
通信用のイヤリングからは、もはやなんの注意も指示もこない。
「ふぅぅぅーっ! 気持ちいい!!」
この場の主役はまさしくぼくらだ!
いま、この場においては、他の勇者候補生も、塩水の民もぼくらの活躍を色鮮やかにする添加物でしかない。
「……っ!?」
ちょうど体勢を立て直したジャイアント・バグがぼくらを探そうと見上げるけれど、空の白さに隠れたぼくらをそう簡単に見つけることはできない。
そう! クロマグロのお腹が銀色なのは、下にいる獲物から身を隠すためなのだ!
スキルと風の勢いと重力によってぼくらは加速していく。
その速度は自然落下の終端速度をゆうに超え、中トロモードでも消費しきれぬ魔力がぼくのなかに渦巻く。
でも、構わない。パンクしてもいいほどの魔力をウィルベルへ!
「おぉぉぉおおおお!!!」
ウィルベルがぼくの尻ビレの付け根を両手で鷲掴みにする。
声に気づいたジャイアント・バグがこっちを見る。
でも、もう遅いっ!
ジャイアント・バグに向けて渾身の――
「喰らえ、マホォォォオオオオオオ!!」
角度は斜め40度。並の者には目では視認できぬほどのスイングスピード!!!
べっちこーん!
その一撃はジャイアント・バグの身体の真芯をとらえ、かっ飛ばす。
一直線に飛んでいったジャイアント・バグは、ぼくらの狙い通りに敵船と衝突――そして、数秒後。
ちゅどぉぉぉぉん!
暴走した魔力が爆発する音がこだました。
『無双』という言葉の期待に応えることができましたでしょうか。
ご期待に応えることができていれば光栄です。