80.扶(たす)ける翼
『ウィルベルさん、もっとちゃんとやりなさい』
ぼくらの耳にお叱りの声が聞こえたのは、出発前に渡された通信イヤリングからだった。
その声の主は、この浮遊有船の主任であるアーニャ先生。
「あ、アーニャ先生!?」
ちゃんとやれ、と言われてウィルベルが思わず聞き返す。
だって、ぼくら撃墜数ナンバーワン。なんで叱られるんだろう? っていうか、
「(めっちゃバレとる!?)」
ウィルベルが驚愕するけど……
「むしろ、なぜバレないと思ったのか、問い正したいのですが」
「ぷーくすくす! せっかくつんつるてんの恥ずかしい格好したのにまったく意味がなかったってどういう気分?」
「うう……わかってたなら、初めっから指摘してほしかったんよ」
『それはアホなことしたあなたに対する懲罰です』
確かに、こんなつんつるてんな格好は罰ゲーム以外の何ものでもないよね。ウィルベルってば超恥ずかしい!
でもバレてるのがわかってたら、変装する必要なんてないよね!
「うう。暑いだけやったんよ……」
バッと覆面を脱いで、ふーっと一度深呼吸をひとつ。
そんなウィルベルにアーニャ先生が続けて言う。
『さて、ウィルベルさん。あなたはとても優秀よ。とても優れているわ。いま、この空域にいる生徒のなかで、最も高い飛行能力を持っていると言っていいでしょう』
(ふひひ、聞いた? 一番すごいやって)
(はいはい。そうやってすぐに調子に乗らないの)
ウィルベルが照れたように頭を掻くけれど、ご主人様ってば叱られている最中なのをお忘れではなかろうか。
案の定、続いたのはアーニャ先生のお叱りの言葉。
『でもね、ウィルベルさん。あなたがなりたいのは最強の『ただの戦士』? 違うでしょう?』
「う……」
ウィルベルが呻くのを聞いて、通信機の向こうのアーニャ先生は優しくため息をついた。
それは『まったくしかたのない子ねえ』みたいな母性的なため息だった。
それ以上、アーニャ先生は何も言わなかったけれど。
(なるほど。これが勇者候補生ってことなんやね)
ウィルベルがぼくだけに伝えてくる。
なぜ勇者候補生が学園で優遇されるのか。それは”優れた戦士”だからっていう理由じゃない。
白覧試合の合格条件もそうだったけれど、勇者っていうのはたくさんの人たちの願いを背負って魔獣と戦う存在なのだ。
――だから。
「よしっ!」
ウィルベルが両手で頬を叩いて気合を入れる。
その視線の先は置き去りにしていたラムジュートボードに乗った在校生たち。
さっきは信頼関係を築けていないこともあって、単独行動をしていたわけだけれど。
「せっかく演習に参加したんやから、ダメ元でやっちゃるんよ!」
ここに飛んでいる子たちの役割は扶翼。
扶翼の言葉の意味は『支え、助けること』。彼らは、いわば勇者がはばたくための翼なのだ。
ウィルベルの言葉を聞いて、イヤリングの向こうでアーニャ先生が手をパンパンと叩く。
『さて、みんな。ここまででウィルベルさんの実力は見たわね? なら、各々やれることを考えてみましょう。
――アミティ、いつも言っていることだけど周りが見えていないわ。切り込み役はむやみやたらに前に突撃すればいいというものではないの。
いつもその役を任せていたから仕方ないのだけれど……せっかく勇者候補生が来てくれたんだから、今日は一度、後ろから俯瞰して見ることを覚えましょう』
「は、はい!」
返事をしてぼくらの後ろにつく赤毛の少女。
『レフェンディはいつも通りのままで。さっき、ウィルベルさんの後ろについたときの動きは素晴らしかったわね。どうしてあの動きができたのか。それを考えてみましょう。それができれば、もうひとつ上の光景が見れるはずよ』
「はい!」
アーニャ先生が他の生徒たち(他の教室の子たちも含めて)にもティーチングとコーチングを織り交ぜて指導していく。
生徒のレベルに合わせた適切な指導。
このあたり、ちっちゃいと言ってもやっぱり先生なんだなぁって思わされる。
そして、アーニャ先生は全員に指示をし終えると、最後に大きく手を叩いた。
『では、みなさん。いま指示したことを念頭に、それぞれが考えてやってみましょう。失敗を恐れないで。大丈夫。あなたたちならできますよ』
ぼくらは後ろをちらりと見た。
すぐ後方を飛ぶのはアミティさんとレフェンディ君。さらにその後ろには、ほかの生徒たちも同じように並んでいる。
風の影響を受けないよう、ひとつの塊として空を飛ぶ様子は、まるでロードレースの集団みたい。
そして、その先頭がぼく。気分はスイミーである。
ぼくはふふっと笑った。
ロードレースみたいって、この異世界でも基本的に人間が考えることはみんなおんなじなんだなってね。
もっとも! ぼくはクロマグロなんでもうひとつ高次元の考えを持っているわけだけど!
「お腹いっぱい食べてれば幸せだって思ってるくせに……」
なにをおっしゃる。
それで幸せでいられるなんてめっちゃ高次元じゃん!
「よし……」
ぼくらはへリングたちに改めて向き合った。
向こうも数を減らしたためか、2つの群れにまとまりなおして、この空域を飛行中。
それでも、それぞれ100万匹を超える群れを維持している。
ぼくらはふぅっと息を吐いた。
――クロマグロは群れをつくる生物だ。
その数はときに1万匹を超え、マグロ・ナブラを代表するように戦略的に小魚を追い詰める。
そしてもうひとつ、クロマグロの群れは面白い特徴を持っている。
クロマグロの群れには先導する個体はいるのだが、"リーダーが存在しない"のである。
「……」
ぼくはもう一度後ろを見た。
ぼくらの後ろについているのはたった12人。マグロの群れに比べると遥かに少ない。
でも、これがクロマグロの本能なのかな?
フツフツと沸いてくる高揚感が、ぼくらをただの先導者にしておかないのだ。
【マグロ豆知識】
小魚が大型魚に追われ、水面で逃げ惑う様を【ナブラ(魚群)が立つ】と言います。
作中に出てきたマグロナブラとは、マグロから逃げてきた小魚よって生み出されたナブラのことを指します。
もちろんそこに大型魚がいる証拠なので、釣り人にとっては垂涎の的。
ナブラを専門的に狙う通称【ナブラ撃ち】で、大型魚をゲットするチャンスです。