60.殴り合おうぜ、と彼女は言った
みんなが固唾を飲んで見守るなか、ウィルベルは一度、すぅーっと息を吸って深呼吸をした。
そして地面を踏みつける。
「ハッ!!」
先ほどまでとは比べられないほどの加速。
「ひっ!?」
クァイスが目を見開き、防御をしようとするけれど、それよりも早くその胴体をウィルベルの拳が打ち据える。
吹っ飛んだクァイスの身体は円柱を砕き、コロシアムの壁に激突して、ようやく止まる。
「……」
コロシアム内がシーンとした。
さっきまでの同情的な気分は完全に消えうせていて、誰しもが目の前の非現実的な光景に息を呑んでいた。
「お、お前ぇ……」
瓦礫を押しのけながらクァイスが姿を現す。
よろよろと立ち上がりはするものの、その顔にはさっきの余裕は欠片もなく、ぼくらに対する純粋な敵愾心に燃えていた。
「このわたしに、よくも……っ!」
立ち上がったクァイスが大地を蹴り、殴りかかってくる。
さっきまでとはぜんぜん異なる本気の動き。受けを失敗したら殴り殺される威力だ。
でも、不思議だな。
頭のなかがすっごいクリアになっていて、その動きが手に取るようにわかる。
「はぁっ!」
その攻撃をくぐりぬけるように躱し、ウィルベルの腕がクァイスの胸を打つ。
「ぎぅっ!?」
さっきとは正反対だ。ふっとばされたクァイスが円柱にぶち当たる。その衝撃に、コロシアムのなかで最も硬い素材でできていたはずのそれが、まるで砂糖菓子のように崩れ落ちる。
シーンと静まり返るコロシアムのなか、ただ一人、瓦礫に埋まったクァイスだけが、自分の置かれている状況が信じられないと言わんばかりに大声で喚き散らす。
「な、なんなんだよ。お前ぇっ!?」
そう問われてウィルベルは「おお。そういえば」と手を打った。
「前に名前を覚える気がないって言われたから言うとくんよ。うちの名前はウィルベル・フュンフ。よろしゅーな」
「そしてその精霊。キュートで可愛いみんなのアイドル、クロマグロのミカ! キラッ☆」
ぶちっ。そんな音が聞こえた気がした。
え? 何の音?
「……もういい。殺す」
答え。クァイスちゃんがキレた音!
彼女の精霊、イフリートの炎の魔力が凝縮されていく。
赤髪の少女の魔力が高まると同時、円柱の破片がどろりと溶ける。
たぶん、あれがクァイスのとっておきの一撃。
「白覧試合でクナギに不意打ちでぶちこんでやろうと思ってたとっておきよ。ありがたく食らいなさい」
なんじゃこりゃー!?
どれくらいの魔力かっていうと、前に戦ったドラゴンのファイアブレスよりも遥かに高い。
レヴェンチカの在校生って、精霊の衣もまとわずにこんな威力出せるの!?
そら、この学園の生徒が化け物揃いって言われるわけだ……。
「っていうか、あれって当たったら絶対死ぬやつだよね? 試験でそんなのありなの!?」
ぼくは審判員のヴァンのおっさんを見た。
「……」
ぷいっと横を向かれた。それどころかぼくらを盾にするようにコソコソっと後ろのほうへ。
って、おおい!? 止める気なっしんぐ!? 審判仕事しろーっ!!
観客の皆さんを守るためだっていうのはわかってるんだけどさ!
すさまじい魔力の奔流がクァイスの手に集まる。
その力の高ぶりに、クァイスが勝利を確信したような嗜虐的な笑みを浮かべた。
もしかすると本来は魔法の完成を妨害するべきなのかもしれない。
でも、ぼくとウィルベルは彼女の全力を受けて立つために、真っ向から向き合った。
そして、クァイスの魔法は完成した。
「死ね。――覇王の劫炎」
すさまじい熱量を持つ白い熱線が一直線にぼくらに放たれた。
あ、やっぱりこれ、観客にも被害が出るくらいにやばい威力のやつだ。
でも、いまのウィルベルならギリギリ大丈夫。たぶんセーフ! ……だよね?
「うん。まかせといて」
ウィルベルは力強くうなずくと、迫りくる炎の奔流にぼくをかざし――え? ちょっと待って。それってマグロ虐待じゃね?
ずどおおおおおん!!!
「くぅぅぅぅぅっ!!」
「あばーーーーー!!!」
口の中に炎が! 炎が!! このままじゃ焼き魚になっちゃう! ……あ、でもなんか気持ちよくなってきたかも……。うーっぷす。内臓からこんがり焼かれる魚ってこんな気分なのね。
やがて、炎の奔流がその魔力をすべて解放し終わったとき。
「なん……だと……」
クァイスが驚愕に目を見開いた。
ぼくらは「ふうっ」と大きな深呼吸。
クァイスの視線の先には精霊の衣を半壊させたものの、その目に強い意志を秘めて立つウィルベル。
見た目ほど余裕じゃない。いまの一撃をかき消すのにだいぶ魔力を消費した。
たぶん、いま殴り合えばクァイスとほぼ互角くらい?
でも、そんなそぶりを見せることなく、ウィルベルは堂々とした様子でクァイスに歩み寄りながら、ぼくをポイッと捨てた。
ああん。砂が口の中に入っちゃった。
まったくもう。うちのご主人様ってば乱暴なんだから。
でも、ほんとに乱暴なのはここからなんだけどね。
クァイスの真正面に立ったウィルベルは、茫然とする相手に対し、手の甲でくいくいっと手招きをした。
「そんなちゃちい魔法じゃ、うちの心の熱い炎は掻き消せへんよ」
――だから拳でかかってこい。