6.VSキスリップクラーケン(☆)
船首に絡みついていた巨大なイカは、ぼくを見つけると船首から落ちるように地面に着地した。
「エギギギ」
この世界のイカって発声できるのね。
浮遊有船に絡みついていたのは、体長約3メートルの大きなモンゴウイカみたいな感じのイカだった。
「うひぃ。さっきのおっさんよりでかい……」
これが、この世界の『魔獣』。
ひと目でわかるその異形。生への憎悪へ満ちた目。……そして、ほのかに香る黒い魔力――瘴気。
これが、遥か過去の歴史より人類と熾烈な生存競争を繰り広げていた相手にして、まさに絶望の産物。魔素に侵された、生きとし生けるものの天敵。
(なるほど)
思わず納得してしまう。
この世界の空には、瘴気が雲のように溜まっている場所、”腐海”と呼ばれる場所が点在しているという。
腐海からやってくるのが魔獣ってわけだけど……こんなのが気軽に空から奇襲をしかけてくるような世界じゃ、そりゃあ戦士ギルドみたいな民間の組合が発達するわけだなって。
にしても……クラーケンさんってば、表面がぬるぬるしてるけど、海がないのにどこで水分補給してるんだろ?
ずるり、びちゃ。
みんなが茫然としてる前で、巨大イカは8本の足&2本の触腕で進み出ると、べきべきべきと船の甲板や設備をへし割りながら、「エギー」と愉快な音で叫んだ。
なにこれ。超コワイ。
「……エギー?」
ぼくが怯えていると、巨大イカは不思議そうに頭をかしげ、握手しようとでも言わんばかりに、触腕をゆっくりと伸ばしてくる。
「むむむ? おんなじ海の仲間なんだし、仲良くしようとか?」
実は、なかなか気のいいやつだったり?
見た目は気味わるいけど、イカは見た目で判断してはいけない。
浮遊有船が落ちたのもきっと不幸な事故か何かで、彼が乗っていたのはたまたまに違いない!
そうだそうだ! そうに違いない! 魔獣って言ったって、ぼくらは海の仲間! みんなみんな生きているんだ友達なんだ!
さっきの感想? あれはきっと勘違い。
ぼくは手のひらをクルーっと返して、
「ならば、ぼくも胸ビレでイカさんと握手――」
「エギィィィ!!」
「ぶべら!?」
――しようとして、ぶーんと振り回されたもう片方の触腕にぶっ飛ばされた。
くそったれえええええ! そんなことじゃないかとは思ってたよ!!
しょせん、生物界は仁義無用の弱肉強食なのである。
吹っ飛ばされたぼくは、ぐるんぐるんと回転しながら2回、3回と地面にバウンド。
「ぐえー。口からネギトロが出そう」
おのれ! 売り物にならなくなったらどうすんだ! 食べ物は大切にしなさいって習わなかったの!?
でも、ぼく自身にダメージはなし。防御力Bは伊達じゃないってことかな?
「ミカ、大丈夫!?」
ぼくが吹っ飛ばされたのは奇しくもウィルベルの近く。
ウィルベルが心配そうに声をかけてくれるけど、ぼくの目は巨大イカのほうを向いていた。なぜなら――
「きゃああああ!」
巨大イカが、船の近くで尻餅をついていた幼女を触椀で抱き寄せ、捕まえていたからだ。
ここに美味しそうなマグロがいるっていうのに、人間、しかも幼女を狙うなんて……。
「ぼく知ってる。ああいうのロリコンっていうんだ」
ほら見てごらん。あの触腕のやらしい手つき。まさぐるように幼女の服を……。
あっかーん! このままじゃR18になっちゃう! なんとかしなきゃ! あわわ。な、なにか方法は――。
「エギー!」「エギんギー!」「えギャリー」
わさわさわさ。
ひぃ! 考えてる間に増えた!
まるでパニック映画!
墜落して割れた船の隙間から、小さなイカがうじゃうじゃ出てきてるんだけど!
さらに、
「戦える者は剣を抜け!」
横転した船体の向こうから聞こえた。 船体の向こうにも小イカがわさわさと現れているらしい。
掛け声とかから察するに、とつぜんの奇襲にもかかわらず、向こうでは有利に戦闘を進めているっぽいけど……問題は船体を隔てた、こちら側。
ぼくらの周辺にいる人たちは下級精霊やEクラスの精霊しか呼び出せなくて、新人試験を受けることさえできなかった人たちなわけで……
「ひゃああ!」「逃げろ!」
って言いながら、逃げ惑って大混乱。
しかたないね。誰だって自分の命が大事だよね。
しかも、小さなイカだけじゃなくって、3メートルもあるデッカイのがいるんだもの。
でも、こっち側は高台のがけっぷち側。逃げ切ることなんて無理なわけで……。
「ぎゃあああ!!」
ついに、 小さなイカが逃げ惑っている人たちを捉えた。
血を吸っているのかな? 吸盤を吸い付かせて牙を立てる。
うわぁ……。えぐい……。
イカの咬合力はエサである貝やカニの固い殻をかみ砕くほど。人の肌など簡単に噛んで裂くのだ。
「この……っ! ――うわ! でっかいのがこっちきた!?」
噛みつかれた少年を助けようとした、また別の少年が悲鳴を上げる。
服装とかからかんがみるに、その少年も戦士ギルド志望だったっぽいのだけど、そんな彼でも小イカならともかく、巨大なイカには太刀打ちできないらしい。
「えぎんぎー」「エギャー」
「ぎえっ! っぎゃあああ!!」
大イカにひるんで動きの止まった少年に、容赦なく襲いかかる小さなイカたち。
やばい。なんかゾンビ映画みたく阿鼻叫喚の絵になってきたんだけど……。
でもそんななか、
「でええええいっっ!!!」
少年に食いついていたイカを蹴り飛ばし、間に割って入る無謀な者が1名。
さらには噛み付いていたイカの目の間を押し込み、ひるませて地面に叩き落とし、踏み潰す。
誰って? それはもちろん、言うまでもなく、
「ウィルベルは逃げないの?」
「本気で言っとるんなら怒るんよ?」
キリっとした表情の、我が敬愛するご主人様ことウィルベルだった。
おお。たった一人で巨大な魔獣に立ち向かうなんて、勇者っぽくて最高にかっこいい!
こんな男前、惚れちゃうしかないじゃないの! さすがCクラス! 辺境エリート!
(せやろ!? せやろ!?)
ぼくが誉めると、にへら、と陶酔した感じのテレパシーが返ってくる。
そういうのは最高にダサイと思います。
「ミカは口うるさいなぁ。それにこれは――」
――チャンスなんよ。
ウィルベルからテレパシーであの巨大イカの情報が伝わってくる。
巨大イカの名前はキスリップ・クラーケン。大きさにもよるけど、強さはBクラス相当。
Bクラスの魔獣ってことは、戦士ギルドでBクラスの人たちが数人がかりで仕留めるような強敵ってことだ。
普段は島の外に生息しているけれど、たまに今回のように浮遊有船にひきよせられてやってくることがあるという。
倒すことはできずとも、女の子を助け出して、ここで足止めさえできれば……
「エギィィィ!!!」
巨大イカが苛立ったように叫ぶ。
イカ軍団を率い、威嚇をするように大きく両手を振り上げる姿は、まさに怪物である。
っていうか……え? この巨大でめっちゃ強そうなのがBランクなの? この世界の水準ってばおかしくね?
ぎょろりと向いた目がぼくたちをにらみつけてくる。
イカの目ってなんか怖いよね。なに考えてるかわかんないっていうか。
「ほんとにやる気なの?」
「やる!」
迷いのない返事。
よーし! ウィルベルやってやれ! 精霊なしでもCクラスにいたっていうエリートっぷりを見せつけてやれ!
ぼくの気分はチアリーダー。
「ウィルベル、ファイトっ! イケイケゴーゴー、ブラジル飛び越えチョモランマ!」
ウィルベルはぼくの応援に「うん」ってうなずくと、ぼくの尻尾の付け根をつかみなおした。
そして、クラーケンのほうにまっすぐに立ち向かって、剣のように構え……って、え? ちょっと待って?
「さあ! かかって来るんよ!」
「エギィィィィィ!!!」
なにこのシュールな光景……。
想像してほしい。
巨大なイカに向かって、剣道の竹刀よろしく冷凍マグロを構えて突きつけてる姿を。
ははっ。超ウケる。ぼくが当事者じゃなきゃね!
「ちょっとぉっ!? これってどういうこと!? ぼく、マグロなんだけどぉっ!?」
竹刀代わりにするなら、せめて太刀魚か秋刀魚にしとくべきではなかろうか。
ま、まさか、このままあの触腕と打ち合うつもり!? さっきは大丈夫だったけど、めっちゃ怖いからやめてください!
「エギギギ!」
その姿を見て、クラーケンが笑う。
さっきは『何考えてるかわかんない』っ思ってごめんね。そりゃあこんなの見たら笑っちゃうよね。超わかる。
でも、ウィルベルはそれを戦闘開始の合図と見て取ったらしい。
「よっしゃあ、気合はいってきたんよぉっ!」
「こっちはぜんぜんよっしゃじゃないんだけどぉっ!?」
ぼくの抗議も虚しく、ウィルベルはマグロをぶん回してクラーケンに殴りかかった。