50.ぼくらが得たもの(上)
時刻は夕方。
ぼくたちはレヴェンチカにある宿舎の外、日本庭園じみた庭の木陰で夕日を見て黄昏れていた。
「ウィルベルー。ウィルベルー。そろそろ戻ってきなよー」
「あうー……」
あかんこれ。
ウィルベルってば心ここにあらずって感じ。
(でも、それもしかたないか)
ここまでずっと一息もつけない状況が続いて、ようやく一区切りって感じだもんね。
まず、結果から言うとウィルベルは合格して――いなかった。
合格者として通知されたのは例年通り、定数に満たない6人。
そこにウィルベルの名前はなかった。
でも、ウィルベルが肩を落とすことはなかった。なぜなら、その通知の下にこんな風に名前があったからだ。
【下記の者は白覧試合にて追加試験を実施する】
・ウィルベル・フュンフ。
白覧試合っていうのは、2日後に開催されるマシロの生誕記念祭の、一番最初に行われるセレモニー。
レヴェンチカに通う学生たちのなかでも、特に選抜された人たちが武闘を披露する催しらしい。
つまり、ぼくたちはそこで在学生と武闘を演じなきゃいけないってわけ。
それって喜んでいいのやら、肩を落とすべきなのやら?
リーセルとの死闘がこんな中途半端な結果となってしまったため我がご主人様は心ここにあらずの状態で呆けているのだった。
「あうー……」
(ダメだ、これ)
ぼくは呆けているウィルベルにため息をついて、背後の宿舎に振り返った。
……にしても、この宿舎ってすごいなぁ。
ベルメシオラ達もここに宿泊しているらしいけれど、なんというか……日本庭園みたいな地味な綺麗さっていうか、当たり前のような高級感というか、そういうものが感じられる。
学園の人には「末の部屋で申し訳ありませんが、当日までここに泊まりください」って案内されたんだけど、その部屋ですらウィルベルみたいな田舎者には刺激が強すぎたらしい。
あまりの場違いっぷりに荷物を置いて速攻で外に出てしまうくらいに高級だった。
やーいやーい。田舎者!
部屋に備え付けられたケトルでカレーを作るくらいの根性を見せてみろー。
「あうー……」
あっかーん。魂がぜんっぜん戻ってこなーっい!
と、そんな折りのこと。
「たわけ、何をほうけておるか」
そんなウィルベルに話しかけてきたのは、ちびっ子女王ことベルメシオラだった。
後ろには付添いのギギさん。
ぼくが視線を向けると、現役勇者さんはスカートを摘まんで丁寧に一礼を返してくれる。
「おめでとうございます。ウィルベルさん。こたびは追加試験に進まれたと聞き及んでおります」
「合格してないのにおめでとうって言われても……」
ぼくがぶーっと口を尖らせると、でも、ギギさんは首を横に振った。
「いいえ。大したものなのですよ。恐らくあなたが思っているよりも遥かに」
「そなの?」
ぼくが尋ね返すと、ギギさんは「そもそも、このような追加試験など前例がありませんが」と前置きして、
「あなたたちが今回命ぜられた白覧試合は、マシロ様に奉じる神聖なる武闘です。しかも今回のあなたたちが演じるのは一番手。それはレヴェンチカの学生たちが求めてやまない誉れなのです」
「はえー……」
名誉って言われてもウィルベルは心ここにあらず。
そんなウィルベルを見て、ギギさんも困ったように微笑んだ。
「マグロの精霊さん。あなたのご主人様はそれどころではないご様子ですね」
「うん。セレクションが終わってからずっとこの調子。燃え尽きたってわけでもないんだろうけど……」
いったいどれくらい待てば復活するのやら。
ぼくらが困っていると、
「――そういうことなら、余に任せるがよい」
髪をかきあげながらふふんと胸を張ったのはベルメシオラ。
小さな女王様はツカツカとウィルベルの目の前にやってきたかと思うと、
「こういうのはな、こうするのだ。ていっ!」
バシーン
ウィルベルのほっぺたを両手で挟み込むように叩いた。
「ほぁっ!? あれ……ベルちゃん?」
さすがのウィルベルもこれには驚いた様子で我に返る。
突然のことにぱちくりとまばたきをするけれど、ベルメシオラはその間抜け面を見ると大仰に肩をすくめた。
「まったく、お目怠いのう。昨日、余とともに空を駆け抜けた者と同一人物とは思えんほどに」
「あ、あはは。返す言葉もないんよ」
叱責されて愛想笑いを返すウィルベル。
多少、魂は戻ってきたけど、それでもだいぶ上の空だ。
だけど、ベルメシオラはかまわずにその頭をこつんと叩いた。
「さて、目が覚めたところでウィルベルよ。余がそなたに渡した髪飾りを持っておるか?」
「え? うん。ここにあるけど」
言われてウィルベルが取り出したのは、ベルメシオラからもらった金の髪飾りだった。
うかつに触ると壊しそう、ということで身に着けずに、箱に入れてしまっておいたものだ。
ベルメシオラは箱から髪飾りをとりあげるように両手で預かると、くるりと手を返して改めてウィルベルの眼前に突き出した。
「そなた。この髪飾りに余の国の紋章が描いてあるのが見えるか?」
「う、うん」
ウィルベルがうなずくと、ベルメシオラは紋章を愛おしげに撫で、言う。
「この髪飾りはな、我が国の威信の欠片なのだ」
その表情は、ぼくと漫才をしていたときとは違う、女王の威厳に溢れていて、なんというか……かっこいい。
「威信?」
「そう、威信だ。この紋章は伊達でついているわけではないぞ。紋章とは国家の象徴であり、国家の象徴とは国民の願いの結晶である。
これは、我が愛する国民たちが、余に――王家に、己の安寧の願いを託した断片のひとつなのだ」
言って、ベルメシオラは有無を言わせずウィルベルの髪に飾り付けはじめる。
「ベルちゃん?」
「じっとしておれ、バカモノ」
いままで、『触ると壊してしまいそうで怖いんよ』などと言っていた我がご主人様も、いまのベルメシオラには逆らえず、なすがままにされる。
やがて、髪飾りを身に着けたウィルベルはなんというか……馬子にも衣装?
衣服に比べて明らかに髪飾りだけが浮いてる感じ。
それはベルメシオラも同意見だったらしい。
「……似合っとらんのう」
だけど、なんというか……しっくりはくる感じ?
ベルメシオラはぼくとそこも同意見だったようで、髪飾りをつけたウィルベルに微笑みかけた。
「余がこれをそなたに渡したのは、ただの友情の証というだけではないぞ。そなたが立派な勇者となって、世界のために尽くしてくれると思ったからこそ、信頼の証として託したのだ。
いわば我が王家に託された民の思いを、そなたに再委託したようなものだな。 ふふっ、どうだ? そう考えるとその軽い頭も、少しは重く感じぬか?」
「ちょ……ちょっとだけ」
「それでよい。その重さはそなたを縛る鎖であり、そなたを支える重石でもある。
決して負けてはならぬ。決して挫けてはならぬ。そなたの願いはすでにそなただけのものではないのだ」
「うちだけの願い、じゃない?」
ウィルベルが首をかしげると、ベルメシオラはうなずいた。
「だいたいだな。余の――王としての立場から言わせてもらえば、レヴェンチカへの入学など些細なことよ。
人々を慈しみ、そのために尽くしたいという心根こそが、人を真に勇者たらしめるのだ。
なにが試験か。合格しようがしまいが、そなたの人生はまだまだ長いのだ。
結果がどうあれ、これからの有り様こそが、そなたが真に勇者たりうるかの試練であると知れ」
ちょっと意味わかんないなー。
ぼくはそう思ったんだけど、ウィルベルには感じ入るところがあったらしい。
ウィルベルはしばらくその言葉を反芻するように目を閉じたあと、元気よくうなずいた。
「……うん!」
さっきまでの呆けていたご主人様はどこにったのやら。
ベルメシオラに笑い返したウィルベルは、どこか背筋がしゃっきりしていた。
イイハナシだなー。
――なので聞いてみた。
「で、本音は?」
「そなたが追試験で無様を晒したら、ソレを渡した余が王国元老院から突き上げを食らうからな!? 落ちるにしても健闘くらい頼むぞ! まじに! ほんとに! 頼むから!!」
おーまいがー!
ベルメシオラは表情を壊して、ウィルベルの襟首を掴んだ。
その姿は、さっきまでの女王様然とした態度はどこかにいっちゃって、いたずらがバレるのを戦々恐々としている悪ガキそのものであった。
「そんなことだと思ったよ!!」
「ベルメシオラ様……。たまにはいいことを言うのだな、と見直しましたのに……」
「う、うるさいっ! さっき言ったのも一部ホントだし! 嘘じゃないし!
ああもう! こんなことなら11位くらいで不合格のほうがよかったわ!!」
ぼくとギギさんからの白い視線にさらされて、ワシャワシャと髪をかきむしるベルメシオラ。
そんなベルメシオラの頭を優しくポンポンと叩いたのはウィルベル。
肩を叩かれたベルメシオラがその表情を見て微笑む。
「なんだ……よい表情になったではないか」
「せやね。ベルちゃんのおかげなんよ」
言って、ウィルベルは「ふふ」と微笑んだ。
そして高い空を見上げながら言う。
「うちはね、島から出てきてからずっと思っとったんよ。世の中の、偉い人ってみんなすごいなって。セレクションに来とる人らもみんなすごいなって。うちなんかがここにいていいんかなって」
ああ、東大に入学した田舎者あるあるだよね。
同じような感性のひとがいなくてホームシックになっちゃう的な。
「でも、ベルちゃんのおかげで初心を思い出せたんよ。うちがなんで勇者を目指したのか。何のために勇者になりたかったのか」
そう言って微笑むウィルベルは、気のせいかな? ほんの少しだけどさっきよりも髪飾りが似合っている気がした。
そんなイイハナシダナーな、空気のなか。
「――いまさら何言ってんだ、このバカ」
背後からやってきたのは見慣れた黒髪の少年だった。
「あ、誰かと思ったら試験に落ちたエリオ君だ」
「うっせえバカ」