49.3章エピローグ:勇者の資質(下)
会議室のざわめきがおさまるまで、しばしの時間が必要だった。
ウィルベル・フュンフ。……恐らく、今回のセレクション生のなかで、もっとも評価の分かれる少女。
彼女に対して不適格をつけた試験官の数は多い。そして適格をつけた教師も多い。
それは各国のスカウトたちも同様だ。
あの大遅刻。女神様とのあのコント。1次試験での大量の投票数。
そして、最終試験ではあのリーセルの相手を倒れることなく最後まで勤め上げた。
これで話題に上げるなと言うほうが難しかったのかもしれない。
「ククル学園長。あなたはまたそのようなことを……」
司会役のウーナ――ククルの恩師でもある初老の女性教師が叱責を込めた口調で言う。
ウーナの言うとおり、本来であればククルの発言は禁忌だろう。
それはつまり、不合格を決めた試験官の見る目がない、と言っているようなものなのだから。
だが、誰かが叱責するよりも早く、とある教師が手を挙げる。
「私も学園長に同意だな」
手をあげたのは先程も発言したベルギス。
彼もまた指導の分野では超一流の評価を受けている者で、この学園で指導を受けたいという者は後を絶たない。
会議室が再びどよめきであふれる。
それもそうだろう。人を見る目において1,2位を争う両者が揃って推すのだから。
ベルギスはそのどよめきに対して笑いながら、好々爺じみた態度で手を振った。
「ああ、ああ。みなの衆。そう慌てないでくれたまえ。
なにも彼女を不適格とした者を責めているわけではないのだ。むしろ、その気持ちはよくわかるとも。
試験最初のあの娘を見たならば私でもそうする。学園長も同様だろう。……ですな? 学園長」
「ああ。正直、あの娘を推薦してきたヴァンを三角木馬に縛り付けて鞭打ちにしてやろうと思ったくらいだ」
「わお。超過激。学園長ってばそういう趣味?」
ヴァンがおどけて言うのを見て、ククルはぎろりと睨みつけた。
(まったく、こいつは昔から変わらんな)
ククルとヴァンはかつてレヴェンチカで同じ教室に所属していた。
卒業時の主席はククル。次席がヴァン。男女の仲だったこともある。
いま思えば、自分もこいつにだいぶ毒されたと思う。
……まあ、いまはそんなことはどうでもよろしい。
ククルは手元のタブレットを操作した。
「推薦の理由はいくつかある。このパーソナル情報を見てわかると思うが――」
「まるで野生児だな」
ボードに表示されたパーソナル情報を見たヴァンが笑いながら言うと、周囲の教師たちも同意するように苦笑した。
出身はド田舎・オブ・ド田舎の辺境国のモデラート。
中等教育どころか初等教育すらもろくに受けず、ひたすら戦士ギルドでアルバイト。戦士ギルドのDランクにいたこともあるが、最終的なランクは最低のE。
身体能力は高いが、それ以外の能力は不明――学力試験を受けたことすらなく、どこぞの武闘大会にも出場経験はなし。
そして、精霊はクロマグロ。
しかも、ボードに表示されているウィルベルの写真はどこぞの浮浪児かと思うようなズタボロの姿でニカっと笑っているのだ。
ヴァンいわく、魔獣との戦い後にこっそりと撮影したものだということらしいが……年頃の少女の写真としてはこれ以上に不適格なものはなかろう。
総合すると、いったいどこの浮浪者だ。とでも言いたくなるパーソナル情報だった。
「そうだ。各国の教育の完成度が高くなりつつある昨今、こんな経歴の者が出てくるのは非常に珍しい」
「ですが、特に才能があるようには見えませんが?」
言ったのは別の教師だった。
総合順位は約1200番。運よく多くの試験官の眼に止まって最終試験に進んだが、ずば抜けているわけではない。
「リーセルとの模擬戦闘も確かに、最後に”惜しい”ところはありました。が、結局、最初から最後まで一方的な展開であったように見えましたが」
「わたしが彼女を推薦するのは、まさにそのリーセルさ。このなかで彼らの最後の攻防を見ていた者は?」
言われて複数人が手を挙げる。
そのなかにベルギスがいるのを見て、ククルは「ベルギス教師、あとの説明は頼む」と説明を丸投げした。
話を振られた老教師はやれやれまったくと言いたげに肩をすくめたがそれでも、学園長に命令されてはしかたない、とうなずいた。
「リーセルが他の受験生に足を取られて隙を見せたあの一瞬の、あの精霊の攻撃はとても素晴らしいものだった」
「ですが、当たりませんでしたよ? 惜しかったのは認めますが」
あの攻防は、まさにリーセルを主役とした最終試験のクライマックスにふさわしいものだった。
あのとき、避けきれないと判断したリーセルはすべての魔力を一点に絞った集中防御を選択した。
魔力を込めていない箇所に当たればノックアウト確実の、無謀とも言える行動。
だが、肘でマグロを小突き、打突部位を誘導したリーセルはその無謀を成功させた。
そしてクロマグロによる一撃を受け流しながらダメージを最小限にするとともに、反撃。
ウィルベルに攻撃を振り切らせるのを阻止し、逆にノックアウトするに至る。
試験時間がギリギリで終了したのでウィルベルは失格にはならなかったが、あれは、まさに見た者すべてを「あれで受験生か」と感嘆させしめるほどの神業だった。
「そうだ。”惜しかった”。だがね。私が思うに、もしも試験開始直後のままのリーセルであれば、あの動きはできなかったろうよ。
そして、彼のポテンシャルをここまで引きだせた者は……少々記憶にない。
「……この娘が彼の成長を促したと?」
ふむ、と頷く者が出始める。
ここにいる教師たちはほとんどが元勇者。
実力が足りなくても、好敵手とはそういうものだと理解している。
ベルギスは言葉を続ける。
「師、環境、友人に恵まれて、人は一流となる。
この娘は一流の友人たる資格を見せた。そして、得てしてそのような者ほど勇者としての美しい開花を見せるものだ」
言ってベルギスは改めて周囲を見回した。
まだ納得は3割といったところか。
――あとは学園長に任せよう。
ベルギスは学園長に話を戻そうとして、だがしかし、ふと目に入った男に話を振ることにした。
「……ヴァン。少しはお前もなにか言え。推薦者はお前だろう」
「話をしろって言われてもな……。言いたいことはすべてベルギスの爺さんが言っちまったからなぁ……」
ヴァンはため息をついた。
正直なところ、面白かったから推薦しただけだ。
いまだ納得していない教師たちを説得できるほどに高尚な考えがあったわけではない。
(さて、どうやって説得したものか)
とは思うものの、黙っているわけにもいくまい。
「……あー。みんなに聞きたいんだが、勇者に大切なのは何だろう? 強さ? 才能? それとも正義をつらぬく強い心?」
「すべてだ。言うまでもないが、あの試験に参加した者たちはそれらを全部持ち合わせている。
もちろん、レヴェンチカで内部進学した者も」
ルプワントという教師が不機嫌そうに言う。
元勇者。幼少のときからこの学院で過ごし、正義を愛し、規則を守り、そして強い。まったく正しく勇者な奴だ。
そして、ウィルベルを不適格をつけた教師の一人でもある。
「そう。それだ」
かつて、ヴァンもセレクションで合格して、そこから勇者になった。
だからだろうか? 純粋に学園で教育されてきた勇者たちが物足りなく思うのは。
「お前さんの意見はまったく正しい。まさに王道だ」
「ならば……」
何かを言おうとするルプワントを遮って、ヴァンは言葉を続けた。
「レヴェンチカっていうのは最高に整った環境さ。
王道――エリートたちの集まりって言えばいいのかな? いわば完璧な清流だ。
だがね、水清ければ魚棲まずってことわざがある」
「ほう? お前にはこの学園が清すぎるように見えるか」
ククルがぴくりと眉を跳ねさせたのを見て,ヴァンは「あくまでも個人の感想です」と言い訳した。
「いまのレヴェンチカには淀みが必要なんだと思う。
雑草魂とでも言えばいいのかな?」
改めてヴァンはウィルベルのパーソナル情報を見た。
会って聞きたいことはたくさんある。
レヴェンチカにたどり着くための船がない状態でどうやってここまでたどり着いたのか。
あの実力でどうやって、災害レベルが指定されたドラゴンを倒したのか。
いかにしてあの気難しいベルメシオラお嬢様を心酔させたのか。
「そういう意味で、この娘はとびっきりの淀みだ。
成長性? 意外性? そんなのはしょせん枝葉に過ぎないぜ。この娘こそ、いまの綺麗すぎるレヴェンチカに必要なのさ」
そして、喧喧囂囂の会議が続いたすえに合格者の名が張り出された。
【マグロじゃない豆知識】
「水清ければ魚住まず」という言葉ですが、元は中国の言葉からきています。
原文は「水至清則無魚。人至察則無徒」。
意味は「水はあまりに澄んでいると魚は棲まない。人はあまりに潔癖だと親しい仲間ができないものだ」となります。