43.幕間:超常の存在
学園全体を見渡せる展望タワー。
各国の王侯貴族が1年ぶりの歓談をしていた迎賓のための室内で、
「いかがでしたか、マシロ様」
レヴェンチカの学園長であるククルは、グラウンドから戻ってきた小さな女神様に尋ねた。
本来であれば、受験の公平性のためにこのような会話はご法度であるのだが、いま、この場には立食パーティの片づけをしている学園関係者以外には人はいない。
客人たちはセレクションの最終試験のために移動していったからだ。
「ええ、ククル。とても面白い話が聞けましたよ。素晴らしいですね。彼女たちはとても素晴らしいです」
マシロは立食パーティーで余った軽食に手を伸ばしながら、ククルの頭痛も知らずに嬉しそうに笑った。
当たり前であるが、マシロが受験生個人とコンタクトをとるのもマナー違反である。
が、この小さな女神様ときたら、ククルが苦言を呈しても「我慢できません」と飛び出していくのだ。
飛び出していった先では、いつもの如く「ククルの命令です」とか言い訳をしているのだろうが……。
おかげでククルはいつの間にか『女神さまを意のままに操る超権力のフィクサー』扱いである。
(困ったものだ)
それは違うと言い訳をしても、マシロの普段の言動から考えると誰も信じないだろう。本当に頭が痛い。迷惑な話だ。
「推薦者はヴァンでしたか? さすがですね。普通の者であれば、きっと彼女を推薦しようなどとは思わなかったでしょう。今度ヴァンに会ったらわたしが誉めていたと言っておいてくださいね、ククル」
「かしこまりました」
珍しいこともあるものだ、とククルは思った。
マシロが生徒たちを褒めるのはよくあることだが、ここまで手放しに、となるとあまり記憶にない。
さらに「面白い」というのは、この退屈しがちな女神にとっては最上級の褒め言葉なのだ。
「ですが、試験の贔屓はできませんよ?」
最終選考は300人同時の模擬戦闘。すなわち、この時点で1700人が落ちていることになる。
ククルはここで王侯貴族の相手をしていたため試験はほとんど見ていないが、上位にウィルベルという名はなかったはずだ。
パクパクと、切り分けられたカモのコンフィを手でつまみながら食べるマシロ。
その手をお手拭きで拭ってやるが、せっかく拭いた手は今度はサンドイッチに伸ばされる。
「もちろんです。贔屓されないと残れないようでは勇者としてふさわしくありませんから」
パクパクもぐもぐ。
いったいこの小さな体にどうやって納めているのかと思うほどの食欲である。
(さすが。通称『残飯処理係』と呼ばれて親しまれているだけはあるな)
「ちょっとぉっ!? わたし、そんな風に呼ばれてるんですか!? 初耳なんですけどぉっ!?」
この女神はいったい何なのだろう?
ククルは考えることがある。いわく、1000年もの遥か過去に、崩壊した世界の破片を拾い集めた超常の者。勇者というシステムを作り、この世界に象徴として君臨するもの。
もしも、彼女が我欲に動き、世界を混沌たらしめる邪悪な存在であったならば、話は簡単だ。
学園で育ったとはいえ、勇者たちは全員で滅しにかかるだろう。
だが、この女神は決して人のやることに必要以上に干渉してくることはない。
ぽこんと頭を叩いてもいい音がするだけで、反省もしなければ怒りもしない。いい音がするのは、やはり歴代の学園長がぽこぽこ叩いてきた結果だろうか。
「……いや、ここまでボコスカ叩いてくるのは、さすがにあなたくらいのものですよ、ククル?」
うろんな目で見られた。なので、ククルは「はい、そうですね」とうなずいた。
この女神に隠し事は不可能。なので正直な言葉を口に出すのがククルの流儀なのである。
「どんなことでも『歴代で一番』というのは気持ちのいいものです。マシロ様」
「そんなことで歴代一を誇らないでください!? ファッキンシットっ! どうしてわたしはこの子を学園長に選んでしまったのでしょう!?」
「言葉遣いが悪いですよ。マシロ様」
頭を抱えるマシロの頭を、紙を丸めて作った棒でぽこん、と頭を叩く。うーん。いい音。
「前から思ってたんですが、ククル。あなた、わたしの頭を楽器かなにかと勘違いしてるんじゃないです!?」
「まさか(笑)」
「いつも思ってるんですけど、語尾に淡々と「カッコワライ」ってつけるのやめてください! まるでわたしが笑われているようじゃないですか! ククル! あなたには女神への経緯が足りないのではないですか!?」
「それよりも試験結果に目を通しましょうか。マシロ様。まだゴールしていない受験生もいるのですよ」
「あー! あー! いま、露骨に目を逸らしましたね!?」
マシロの抗議を無視して、ククルは手に持った端末に視線を移した。
その画面には受験生2000人の名前が記載されている。マシロの魔法によるもので、ここまでの試験の水準がすべて記載されている優れものである。
現在の総合1位はリーセル・A・ソーラ・ディオルト。総合でも各種目でもすべて1位の優等生。
もちろん総合評価では断トツの1位。過去のセレクションのほとんどの歴代記録を塗り替える、前評判通りの大本命である。
そのほか、リンネ・ハツトセ・ミヤシロや、クロード・ヴァイスなど、一桁の順位はほぼ前評判通りの者の名が並んでいる。このあたりは例年通りの水準といったところだ。
「ウィルベル・フュンフは……」
上位100位以内には名前がないようだったので、名前検索にかけて探す。
ウィルベル・フュンフ。発展途上国のモデラート出身。そのなかでもさらに田舎といえる水準の街の孤児院に居住。戦士ギルドの所属はEクラス。
(環境から考えると、セレクションにきたことすら驚異的だな)
が、総合順位は1202位。残念ながらここから最終選考に残るのは難しいと言わざるを得まい。
「総合順位が最終選考の絶対的な基準ではないとはいえ、これは難しいですね」
「ですねー。ちょっと普通には無理かも?」
タブレットのなか、ほとんどの受験生の名前の横には既に不合格の印がつけられている。
才能の不足(現時点ではなく将来にわたっての成長の見込み)や素行不良(当たり前であるが勇者というのは素行に不良があってはならない)など、成績以外の部分や競技外での行動の観察によって、試験官たちによってつけられたものだ。
こうして、不適合とみなされれば成績上位者であっても容赦なく切り捨てられていく。
実際、すでに不合格が決まっているなかには、総合6位のクロードという受験生も含まれている。
とはいえ、最終選考に残る者は基本的には順位の順で選ばれていく。総合成績で1000番台の者が残るとは……
そんなことを思っていると、マシロがトントンとタブレットを操作した。
「投票枠を見てくださいな」
――投票枠。総合順位はさておいて、各国のスカウトたちが最終選考でも見てみたいという受験生を選ぶための制度だ。
枠は全5会場で10人。病気や怪我による不調の救済という意味もあるので、こちらも1000番台が残るのは難しい、が、
「なるほど。これは面白いですね」
画面上のウィルベルの評価枠には大量の高評価と低評価がつけられていた。ほとんどの受験生がプラスもマイナスも付いていないのに比べると大した人気者である。
遅刻&あの騒ぎでは歴代最低評価であってもおかしくないとは思っていたが、どうやら普通の者が見ても見るべきところはあるらしい。
とはいえ、この数値は異常だ。
「……マシロ様、贔屓しましたね?」
「ピューピュー。なんのことやら。たぶんですけど、あの精霊さんと話していたことが、たまたま耳聡いスカウトさんたちにも聞こえてしまっただけです」
「精霊の話、ですか?」
ククルは首を傾げた。精霊と会話、などと言うと人によっては噴飯ものであろう。
精霊の庭を司るような大精霊であればまだしも、人が扱うような使役霊と会話が成り立つものは少ない。
セレモニーのときのようなショートコントじみたことすら驚異的だが、実がある話ができるとは……。
「ククル。これは彼女の名誉のために言っておきますが、わたしがなにかしなくても彼女は最終選考に残っていたと思いますよ。
アズヴァルトの娘が立食パーティーで話題にしていたようですし、そうでなくとも昨日のグランカティオでのことを見ていた者は多いですし。
思い返してみると、この場でもドラゴンの話をしていた貴族がそれなりにいたでしょう?」
マシロはにっこりと笑って「神様は見てなくても、人が見てるってことですかね」と嘯いた。
(……本当に、この女神はいったい何なのだろう?)
この女神の姿形や言動に対し、多くの者は人畜無害な親しみやすさを感じるだろう。人懐っこく、そしてだいたいのことは寛容に許す。
そんな愛らしい姿に敵意を向けることができる者はそう多くない。
が、立食パーティの場にはいなかったのに、先ほどのセリフのような発言が出てきたりもする。
人の常識では計り知れない超常の者。それは間違いないし、善良であることにも疑う余地はない。
「あ、ククル。ちょうど最終選考に進んだ方々と、その組み合わせが決まりましたよ」
ククルがそんなことを考えていると、ククルの持つタブレットを触っていたマシロが言い、タブレットの中の表示が切り替わった。
「これは……」
ウィルベルの名前は心配をするまでもなく、すぐに見つかった。と、同時にククルはため息をついた。運命は残酷だと思った。
最終試験は受験生同士の模擬戦闘。
相手はランダムで決定される。そこに誰かの意志が介在する余地はない。あるいはマシロ様であればコントロールできるのかもしれないが、
「彼女が合格する確率はとても低いのでしょうね」
ククルの言葉に、むしろマシロはにんまりと笑顔を浮かべた。
「いえいえ、これこそがまさに望むところいうものですよ。ククル」
名前が簡単に見つかったその理由はウィルベル・フュンフの相手にあった。
リーセル・A・ソーラ・ディオルト。
全世界の強者が集められるこの場においてなお、ひときわ眩く輝く絶対強者である。
【マグロ豆知識】
マグロの試験は1歳のとき! と言うとなんのこっちゃですが、葛西臨海水族園の水槽に運搬される際のマグロの年齢です。
1歳以前だと小さすぎて体力がもたず、1歳を超えると大きすぎて運搬するのが難しくなるとのこと。
さらにそこから傷の少ない個体を選別し、通称「クロマグロ輸送大作戦」で葛西まで運んできます。
実は、あの水槽のなかで泳いでいるのは、ある意味でマグロ界のエリートなのです。