38.女神・ホームラン
ぼくらはめっちゃ走っていた。
目つきの悪い女の子の言ってた方向に向かって一直線である。
「あーん、試験会場はどこなんよー!」
でも、5分ほど走ってるのに全然それらしいのがないんだけど!
いったいぜんたいどういうことぉ!?
脇道も一切ないんで、ただひたすらまっすぐに進んできたんだけど、どんどん人気がなくなって、森っぽい感じに自然が増えるばっかり!
グラウンドみたいな人工物がありそうな気配がないんだけど!?
頭の中はテンパってるし、息は上がってくるしで、もう泣きそう。
しかも道を聞こうにも人もぜんぜんいないし!
「ウィルベル。一回引き返した方がいいんじゃない? もしかしてぼくらの『あっち』っていう解釈が間違っていた可能性が……」
「でも……」
――もしも本当だったら、引き返したならもう間に合わない。
そう言いたげなウィルベル。そりゃそうなんだけどさ。
困ったなー。割と詰んでる気がするぞ。いまの状況。
誰かこの状況を打破する便利なイベントキャラが出てきたりしてくれないかな?
――と思った瞬間のことだった。
「ひゃー、おいしそうなマグロさん大発見です! アイ・ガッタ・ツナァァァアアアア!」
ぼくの願望に応えるように、脇の植生の茂みから突如出てきたのは、ちっこい青髪の少女。
「へ?」
「ふひひ。これで今夜のディナーはお寿司に刺し身にマグロステーキなのです!」
その女の子は驚きに固まるウィルベルの懐中から、ぼくをかっさらって抱きかかえると、ぴゅーっとダッシュ。再び道の脇にある茂みのなかにイン。
少女の年齢は見た感じ9歳くらい? 白いワンピースがとても似合っていてロリロリな感じだけど――ってそんなのんきなこと考えてる場合じゃなーい!
「ええぇぇ!? なにこれ。いきなり誘拐!? お魚くわえたどら猫ってレベルじゃねーぞ!? ぐぬぬ。離してー! ぐぬぬぬ!!!!」
「暴れちゃ駄目です! 身焼けしちゃうのですよ!?」
「ぐぬぬ。はなしてー!」
やばい。
何がやばいって、ぼくは全力であばれてるにも関わらず、びくともしないのがやばい。
何度も言うけど、ぼくの体重は約200キログラム。体長2メートルである。そんなぼくが何もできないなんて、この幼女なにもの!?
さらに、そんなものを担いで走っているのに、あのギギさんよりも素早いんじゃないかってくらいに、めちゃくちゃな速度で茂みの間を走っているのだ。
あばばば! セレクションの会場がどこかわかんないうえに誘拐ってどういうことぉぉっ!?
「ミカァッ!? 待ってーーー!!!」
ウィルベルのほうも必死である。茂みのなかをひょいひょいと走る幼女に、なんとか追いすがってくるのが見える。
アドレナリンが出まくっているのか、べきべきべきぃって茂みの枝だとかをへし折りながら追いかけてくる様子はまさに野生のゴリラそのものである。
「(むむむ。このわたしが引き離せないとはなかなかやりますね)」
「へ?」
幼女がぽつりとなんかつぶやいたけど、聞き取れなかった。ウィルベルの走るベキベキベキって音でうるさいからね。仕方ないね。
幼女とウィルベルの追走劇は森エリアを抜けてさらにメインストリートのほうへ。って、めっちゃ逆走してるっ!?
しかも、整備された道を走るんじゃなくて、植生の間をくぐりぬけたり、壁を飛び越えたりと忙しい。
「ま、待ってーーー!」
「ヤです! わたしは久々の新鮮なお刺身を楽しむのです!」
幼女とウィルベルの追いかけっこは校舎の中に突入。
「おー。すごい立派」
校舎のなかに入ると、外から見るよりもさらにすばらしい光景が待っていた。
丁寧に彫刻されたのであろう階段の手すりからは、柔らかい木の匂いが漂ってくるし、廊下は空疎なリノリウムなんかじゃなくて、美術館を思わせる美しい絨毯が敷かれている。
まるで『美化された古代ローマ』のような神秘さと明るさだ。神様のお膝元にふさわしい光景といえば簡単に伝わるかな?
そんな美しい場所を――
「ひゃー。早く諦めてください! これはわたしのディナーになるべきなのです」
「絶対にあきらめーん!」
ウィルベルと幼女が嵐のような速度でドタバタと駆けていく。
在校生の皆さん、こんにちわ。
さすがレヴェンチカって言えばいいのかな?
男女にかかわらず、鍛えられた美しい筋肉の持ち主ばかりである。その人たちの合間を、
「な、なんだ? うわっ!」
時には馬跳びのようにして頭を超え、時には股の間をくぐって廊下を駆け抜ける。
「ちょっと君ら迷惑かけすぎぃっ!」
「その子に言うてよー!」
「あなたのほうこそ、さっさと諦めてくださいなのです!」
「それはできーん!」
ぼくの抗議も虚しく、彼女らのかけっこは校舎を西から東へ突っ切って反対側へ。
幼女はダダダと階段で5階まで駆け上がり、女子更衣室と書かれた部屋にイン。そのなかにはお着換え中の、年頃の下着姿の女子生徒さんたちがいっぱい!
たくさんのブラジャーさんとパンティーさんがこんにちわ! わーい! ラッキースケベ!
「きゃあああああ!」
みなさんご存知でしょうか。クロマグロにはまぶたがないのでずっとこのパラダイスを凝視できるのである!
ふははは! まさしくこの場こそがぼくの求めていた異世界パラダイス!
「はいはい。ちょっと通りますよ!」
女の子たちが突然の闖入者に騒ぐけれど、幼女のほうはわき目も振らず、そのまま開けっ放しの窓の方へ。って待って! もしかして――
「とう! あいきゃんふらーーーーい!!!」
「やっぱりぃぃぃぃ!!! もうほんのちょっとだけ見物したかったぁぁぁ!?」
幼女は更衣室の窓からフライハイ! ってここ、5階なんだけど!?
着地先は東京ドームが外縁部からすっぽり入りそうなほどに、すっごい大きなグラウンド? なんかいっぱい人が集まっているけれど……。
ハッ!? もしかしてあれがセレクションの会場、第一グラウンドなのでは!?
なんか、集まっている人たちが超真剣な表情だし。むむむ、よく見たらエリオ君もいるし、間違いない!
っていうか、すっごい落下速度なんだけど、どうやって着地するつもりなの、これ!?
「……マグロさん、あなたはどこに落ちたい?」
「それ死んじゃうやつだから! やだー! 死にたくなーい!」
ひゅーん……ずだーんっ!
「あばー!?」
幼女は無造作に両足で着地。
着地の衝撃で、幼女の腕がぼくのお腹に食い込んでめっちゃいたーい! ぐえー。口からネギトロが出そう。
「……」「……」「……」
グラウンドに集まっている人数は1000人以上! その視線は「こいつはなんだ?」とでも言いたげである。
「まつんよーーーー!!!!!」
さらに追いかけてきたのはうちの脳筋ゴリラことウィルベルさん。ずだーんと、こちらは泥臭くてリアリティのある5点着地。
体を回転させながら、つま先・すねの外側・ももの外側・背中・肩の5点に着地の衝撃を分散させながら、砂だらけになって着地する。
「ま、まぁぁてぇぃ……」
ぜぃぜぃと荒い息を吐きながら立ち上がるウィルベルの姿は、ここまでの道のりで服もボロボロ、髪もボサボサ。髪の毛に刺さってる枝からイモムシさんがこんにちわ。
「ちぃっ。まさかここまで追いかけてくるとは……でも、しかぁし!」
幼女は舌打ちしてステージの上、大勢の受験者っぽい人たちに話しかけていた司会者っぽくて偉そうなお姉さんにぼくを「ぽいっ!」っと放り投げた。
「へい、シェフ! 早くこれを活け締めにして、刺身にするのです!」
「……これを、ですか?」
お姉さんの歳は40くらい? 高身長、ハスキーボイス。そして一言でカッコイイと言える体型。歌劇団の主役を張れそうなくらいのカリスマ性を感じる。
動物で例えるならシャチって感じ!
お姉さんの超クールな目がぼくを見つめる。シェフってことはこの人がぼくを調理するの!?
やだー! 死にたくなーい! ……こうなったら、秘技! 『子犬のような濡れた目』!!
ふふふ。VRMMO『マグロ・グランドフィーバー』では一度死ぬと稚魚からやり直しだったので、釣り人プレイヤーに釣り上げられたときにはこうやって『最後のお願い』として人情に訴える手法が存在したのだ。これぞシステム外スキル!
「くーんくーん。きゅーきゅー。助けて お ね が い(はぁと)」
ぼくは必死に愛嬌を振りまいた。
このシステム外スキルの重要ポイントはか弱い女の子プレイヤーのふり――すなわちネカマっぽい動きをすることである。
ぼくはこれで何人ものアホな男釣り人プレイヤーの魔の手から逃れてきたのである!
くぃっくぃっ。どうだい、川魚には不可能な妖艶なこの腰つき、濃密な誘惑マグロダンス。
シェフと呼ばれたお姉さんは、「はぁ、まったく」と大きなため息をつくと、手に持っていた紙をくるくると丸め、
「誰がシェフですか」
ぽかっと幼女の頭を叩いた。
「あいたっ」
「マシロ様。それは他人の所有物です。さっさと返してきてください」
「え、でも、こんなに美味しそうなのですよ?」
保護者っぽい女の人がさらにお説教をしようとするけど、幼女――マシロのほうも負けてはいない。反省した様子も見せずに腰に手を当てて抗議する。
っていうか……マシロ? どこかで聞いたことのあるような。
ぼくが訝しんでいると、幼女はお姉さんに向かって「えへん」とない胸を張った。
「ふふん。いいですか、ククル。この世界で一番偉いのは神様です。すなわち わ た し! わたしが言うことこそ正義!
わたしのものはわたしのもの。あなたのものもわたしのもの! そう! マグロさんもわたしのものなのですよ! ――ぶべらぁっ!?」
それは一瞬の出来事だった。
見事なスイングは一本足打法。バット代わりの紙の束が唸る。
スイングスピードはきっかり32ミリ秒で振りぬかれ、力強い打球は適度なバックスピンで回転しながらグランドの上、居並ぶ受験生たちの上をかっ飛んでいく。
すげえ……。人体って、紙の束であそこまでかっ飛ぶもんなんだ……。え? っていうか、マシロ? 女神……? 女神ぃっ!?
いや、待つんだぼく。もしまするとたまたまおんなじ名前なだけかも知んないし! そうだ! きっと自分のことを神様だと思い込んだ頭の可哀想な女の子なのかも知んないし!!
当のお姉さんの方はというと、凶器である紙の束で作った筒で自分の肩を叩きながら、女神をかっ飛ばした方向をしばし感慨深げに見つめ、つぶやいた。
「やれやれ、まったく。女神様にも困ったものです」
やっぱり女神だった!!
「ええええ!? あんなのが女神様なのぉぉぉっ!?」
なんてこったい! なんでぼくをマグロに転生させたのさ!?って問い詰めようと思ってた相手があんなチンチクリンんんんっ!?
「あなたはあなたで不敬すぎます」
ぽかり。
言って、ククルさんがぼくの頭を軽くたたく。
確かにぼくは不敬だったかもしんない。でも、ひとつだけ言わせてほしい。
「女神をホームランしたあなたには言われたくないです」
【マグロ豆知識】
今朝、ネットニュースを見るとカジキマグロが小さな漁船を沈没させた、というニュースが流れていました。
ちなみにマグロな有名な傷害事件といえば、2014年6月28日に発生した冷凍マグロ傷害事件。
凶器はビニールに入れたブロック状の冷凍マグロでした。
容疑者は酔った勢いでやってしまったらしく、自分で110番に電話したそうです。
(被害者の方も軽傷でした)