16.旅立ちの決意
来客――その初老の紳士は、来賓室とは名ばかりのぼろっちい部屋で、ウィルベルの帰りを待っていた。
小洒落た感じに柄の入ったスーツはめっちゃ高級そう。鋭い眼光、隙のない物腰、白いヒゲ。
なんというかセバスチャンって感じの人だ。
室内の粗末なテーブルの上には魔法によるものだろうか? 光源が生み出されている。
さすがにこの時間、格子戸から入ってくる日光では足りなかったらしい。
ウィルベルが驚いたような表情を浮かべたのを見ると、この紳士の手による魔法のようだった。
湯気を立てた水――白湯が振舞われているけれど、おおよそ彼のような身分の人にとっては粗末もいいところ。
エーリカちゃんが用意したものだろうけれど、さっきのあの娘のため息はこういうところからきていたのかもしれない。
とはいえ、老紳士は嫌そうな顔も見せず、にこにこと口をつけているので、逆にそれが彼の寛容さと善良さを表していた。
「お待ちしておりました。ミス・フュンフ」
ウィルベルがノックをして扉を開けると、老紳士は立ち上がって丁寧に一礼してくれる。
ちなみにフュンフっていうのはウィルベルの姓。って言っても、ここに住むほぼ全員フュンフさんなんだけどね。
さすが田舎者。田舎あるあるである。
「む……」
おじさんとぼくの目が合う。
昼間のギルドの人たちとは桁違いの眼力っていうのかな? 品定めしてはいるんだろうけど、ジロジロっていうよりはサバサバって感じ。マグロだけに。
そう。マグロはサバ科の魚なのである。
そろーっと扉のほうを見ると、孤児院のちびっこたちが心配そうに部屋の様子をうかがっているのが見えた。
んま! なんて礼儀のない子たちなんでしょう! でもこども的には気になるよね。しかたないね。
「えっと……すいません。お待たせしちゃったみたいで」
ウィルベルのほうも慣れないしぐさで一礼を返す。
「……」
「……」
そして何をしたらいいかわからず愛想笑いを浮かべて棒立ちになった。
まったくうちのご主人様ってば、田舎者過ぎない? 例の学園はエリート揃いっていうから、いまからすでに心配だよ。もう!
なんで、ぼくはウィルベルの代わりに胸ビレをピコピコ動かした。
「あ、どうぞどうぞ。お座りください。すいませんね。うちのご主人様ってば気が利かなくて」
(ぐむ……うるさいなぁ、もう)
ふはは! ここは文明人たるぼくがお手本ってものを見せてあげなきゃいけないな!
なんて思いながら、老紳士が席についたのを見て、ぼくも椅子にひょいっとな。
ばきぃ!
「ぎゃああああああ! 椅子が 椅子が! 破片がぁぁぁ!」
そ、そうだった。ウィルベルが容易くリフトアップするもんだから忘れてたけど、いまのぼくの体重は200キログラム。
こんなボロっちぃ椅子が支えきれるものじゃないのだった!
「ああああああ! その椅子、この孤児院にある椅子の中で3番目に高価やったやつなんよ!?」
「マグロが座ることを想定してない椅子なんて、ぼくは椅子と認めません! こんなのは……こうだ!」
びたーんびたーんと壊れた椅子に追い打ち!
ちなみにクロマグロは体重600キログラムくらいに育つんだって。
木製の椅子になんて座れねえな、この体。
「いや、マグロが椅子に座ること自体が、想定外やと思うんよ……?」
「なるほど確かに。マグロが鎮座するべき場所といえば、まな板の上だよね。
むむむ。こうやってつぶれた椅子をまな板代わりにしてると解体ショー前のマグロの気持ちがわかってきちゃう感じが……。へい、ウィルベル。インテリアとしてマグロ包丁持ってきてよ」
「精霊をさばいたりもせーへんよ!?」
なーんだガッカリだな。せっかくぼくの大トロを食べさせてあげよう思ったのに。
「はは、精霊の儀で拝見させていただいたとおり、愉快な人たちだ」
ぼくとウィルベルのコントに、老紳士がにっこりとほほ笑んだ。
そして傍らの革製の重厚な鞄から、蝋で封印のされた封筒を取り出す。押された印章は獅子をモチーフにしたカッコいいやつ。なんだろ?
(この島の王都にある戦士ギルドの紋章なんよ)
(ふーん)
「私はこの島の王都にある戦士ギルドに所属しておりますセバスチャンと申します。
本日、精霊の儀があった広場で、あなたがたの戦いを拝見させていただきました」
ぼくらが頭にハテナを浮かべているのに気づいて、セバスチャンさんが言葉を紡ぐ。
っていうか、ほんとにセバスチャンって名前だったのか、この人……。
「本来は精霊の儀では、こういった他の街の者への横槍は禁止されているのですが……あなたはフリーになったと聞いています」
「フリーっていうか、クビになっただけだよね」
「く、クビじゃないし! 降格させられただけやし!」
でもEクラスって自己申告で誰でも所属できるから通称フリークラス。所属してる人たちはフリーターって呼ばれてるんだよね。やっぱりクビじゃん。
まあ、そんなことはどうでもいいや。
「そんでセバスチャンさんは、うちのフリーターに一体なんのご用事で?」
セバスチャンさんはぼくの質問に我が意を得たりとうなずいた。
「ウィルベルさん。我々は、あなたを我がギルドに、Aクラスの待遇で迎えたいと、そう思っています」
ざわっ。
「(王都のギルドからのお誘いだって!)」
扉の向こうで隠れて聞いているお子様たちから、バレバレのどよめきが起こる。
老紳士のほうもそのあたりは心得たもので、にっこりとした微笑みを崩さない。
Aクラスっていうのはあれだ。この世界の人口割合で言うと10パーセントくらいの上位層。
そう! めっちゃエリートなのだ!
しかもこんな辺境の地方都市じゃなくて、大都会のギルドのAクラス!
さすがぼく! エリートコースから転がり落ちたその日のうちに、さらなるエリートコースが用意されちゃった!
わはは、見よ! 我がマグロ生はダイヤのように輝いている!
でも、ウィルベルは硬い表情を浮かべ、
「……たぶん。すごくいい話なんでしょうね」
「渋る理由が? 収入もいまよりも上がるでしょう。この孤児院の皆さんも喜ぶのでは?」
「でも、もう決めちゃったんです。レヴェンチカを受験するって」
あーあー。うちのご主人様ってほんとバカ。
AクラスからSクラスに上がって、順番に勇者を目指すっていう方法があるのに、そっちを選ばないんだもん。
「……ウィルベルさん。あなたがエゼルレッド氏に誘われていたレヴェンチカのセレクションですが、その合格率をご存知ですか?」
問われてウィルベルはきゅっと唇を噛んだ。
セバスさんは、隠れて聞いている子どもたちに説明するように、ゆっくりと、だがはっきりとした口調で言葉を紡ぐ。
「1パーセント以下。それがレヴェンチカの合格率です。もちろん、これはセレクションに参加できるほどの実力者だけで数えた割合です。ただの志望者まで含むとキリがありませんからね」
隠れて聞いている子どもたちがどよめく。
普通に考えたら、合格する見込みのない学園より、ギルドにAクラスで入れてもらったほうが現実的に決まってるもんね。
でも、ウィルベルの心は揺れなかった。
「……でも。うちの夢なんです。うちらみたいに、魔獣に親を殺されるような不幸をできるだけ減らしたいって」
「決意は固いのですね?」
セバスチャンさんは尋ねながら、出していた封筒――恐らく入団の手続きをするために必要な書類を手にとった。
ここで断るなら、この話はナシだ。って意味だ。
「はい」
まったく、うちのご主人様はアホだ。逡巡すら見せないんだもん。そこがいいんだけどね!
「あ。でも、ぼくは断ってないんで、ぼくの分の契約書は置いてってもらっていいですか?」
というわけで、ひょいっとセバスチャンさんが手に持った封筒を口で銜える。
もらったものは返さない。だってマグロは貪欲なんだもの。
そんなぼくの頭をベシベシと叩いたのはもちろんウィルベル。
「ちょっとミカ!? せっかくカッコよくキメたはずなのに何言ってんよぉっ!?」
「うっさいバーカバーカ! ぼくは美人なカツオとかヒラメを侍らせて生きて行くんだい! なのでプリーズ、ギブミー! ギブミー契約書!」
イシダイのごとく封筒を噛んで、潰れた椅子の上でビターンビターン!
かっこよさだけで生きていけたら誰も苦労しないんだい!
「あうう……すいません、うちの精霊がその……失礼しちゃって……」
「――はっはっは」
そんなぼくらを見て、セバスチャンさんが笑い出す。
もう、ほんと困るよね。まったくこの世界の人たちは素直じゃないんだから。
ウィルベルは孤児院の子どもたちのことを考えて、収入をとるか、夢をとるか、すごく悩みながら帰ってきたのに迷いのないふりをするし、セバスチャンさんだって始めっから二者択一を迫る気もないのに、意地悪なことを言うんだもん。
だったら、ぼくくらいは欲望に正直でもいいんじゃない?
「セバスチャンさん?」
「どうやら、あなたの精霊は、私の想像していた以上に愉快で個性的なようです」
セバスチャンさんは、いたずらっ子のような微笑みを浮かべてぼくの鼻をつついた。
「愉快な愉快な精霊さん。もしも、あなたのご主人様がレヴェンチカのセレクションで残念な結果になってしまったとしても、我々はあなたを歓迎いたしますよ。ついでにあなたのご主人様もね」
よっしゃあ! 学園が不合格だったときの滑り止めゲットぉっ!
【マグロ豆知識】
大間といえばマグロ。マグロと言えば一本釣り。
大間にある『本州最北端の碑』のそばに存在するマグロモニュメント(正式名称:マグロ一本釣りモニュメント)は、1994年に水揚げされた440キログラムのクロマグロの実物大。
椅子に座るとかってでかさじゃありません。






