132.遥かなる0.2秒
エルフの里を出発したぼくらは、準備に手間取っているクァイスちゃんに先んじて、全速力で空を飛翔していた。
空を飛ぶのは気持ちいい。
特に、エルフさんの森の上空は格別だ。
陽光に照らされた木々は光合成を行い、蒸発した水分が森を湿らせ、新緑の匂いを撒く。
そんな気持ちのいい空の上で、マジカル・ラムジュート換水法で、風圧を利用して空気を吸って、吐く。
地上で息ができるって言っても、マグロの呼吸方法はやっぱりこれだな!
思う存分に深呼吸してる感覚って言えばいいのかな?
脳に魔力と酸素が送り込まれ、思考がはっきりくっきりしてくる。
速度を上げれば上げるほどに、口に入ってくる空気が増えて、肺腑が心地よく躍動する。
普段なら、こんな気持ちのいい日は日向ぼっこでもしたいなってなるところだけど――そうは言っていられない。
『おたすけー』『ばっちぃのきたー』『へるぷみー』
空には、怪獣から逃げてきた無数のゴブリンたちが舞い、街道には逃げ惑う人々の姿。
森の中央には一条の黒い焼け跡がくすぶり、リヴィエラの騎士たちが駐在していたはずの砦は、あまりの威力に石垣が溶解している。いったい、どれほどの犠牲者が出たのか。考えるだけで痛ましい。
そんな森の上空を時速100キロで一気に飛翔して駆け抜けると、今度は腐敗した大地が眼下に広がる。
怪獣から発せられる瘴気が、いまも進行形で森をジクジクと侵食し、森を腐らせているのだ。
その、あまりにも悲惨な光景に、
(許せん!)
ウィルベルが決意を新たにし――そして、ぼくらと怪獣の視線が交差した。
「ヌオおおおおおおおん!!!」
怪獣が吠えると同時に、からだのアチコチから、ポコポコと漆黒のゴブリンの手下が排出され、空を舞う。
この世界の魔法は減衰が大きく、射程が短い。
だから、あのような攻撃端末を生み出して至近距離で戦わせるのだろう。
射出されたゴブリンミニオンたちが、シャチの狩りのように正確なフォーメーションを作りながら、入念にぼくらを包囲しようと接近する。
数はおよそ100。体長は1メートルほど。だがしかし、その体躯に込められた魔力は凄まじい。
「ふぅぅぅぅ……」
対するウィルベルが呼吸を細く吐いて、上等な刺身を切るときのように意識を研ぎ澄ませる。
少しでもミスをすれば即死という緊張感。
ゴブリンミニオンが放つ攻撃は、ウィルベルの身体を消し炭にしてなお余りある威力を秘めている。
「……」
ゴブリンミニオンたちが包囲しようと移動し、ぼくたちもそれを避けるためにゆっくりと旋回や高度変更を繰り返す。
サッカーのボール回しのような、互いに牽制をするような静かな時間が流れたのは約10秒ほど。直後――
「いくんよ!」
「おうともさ!」
ウィルベルの声に、ぼくは一気に加速する。
びしゅっ。
ぼくらが回避したあとの空に、ゴブリンミニオンたちから魔力による熱光線が放たれる。
――感じる。
側線。
MMOゲーム【マグロ・グランド・フィーバー】でさえ再現できなかった器官。微細な水の動きすら見逃さない、文字の通りの第六感。
その超感覚が、魔力光が放たれる予兆――索道のような、か細い魔力の流れを感じとる。
びしゅっ。びしゅっ。
魔力光線が、絶えずぼくらを殺そうと発射されつづける。チカチカとした殺戮の光で、空が埋め尽くされる。けど、
「うひょおおおおお!!!」
ぜんぜん当たる気がしない!
感じる、見える、わかる。魔力光線が雨あられと降り注ぐなかを、なんの逡巡もなく、一気にかけぬける。
「ヌオおおお!!!」
あまりの当たらなさに、ゴブリンミニオンたちによる攻撃が激しさを増す。
同士討ちをしても構わないという、節操のない魔力光線の嵐。おおよそ、回避することなど考えもつかぬ、殺意の暴風雨。
だけどそれすらも、いまのぼくには当たらない。
ひょいひょいっとな!
撃たれるよりも先に避ける、避ける、ひたすら避ける!
気分は某ロボットアニメの新人類。
ふひひ、やっぱりクロマグロがナンバーワン! ゴブリンなんかとは違うんです!!
「よーし、うちも!」
ぼくが調子に乗ってると、ウィルベルもやる気を出して、ぎゅっと拳を固める。
「ふしゅっ!」
すれ違いざま、ウィルベルのジャブが、魔法を放とうとしていたゴブリンミニオンを打ち抜き、球体だった体躯がパカァンと粉砕される。
細かな糸状体が空に散り、しかし、その数秒後にはグネグネと動きながら、元の球状体に集合しようとし――次の瞬間だった。
っぱぁぁん。
行き場を失った魔力が、周囲を漂う糸状体のゴブリンを巻き込み、破裂した。
込められていた魔力に比例したその威力は、近くにいた連中も巻き込んで、消し飛ばした。
(……なるほど)
マリモは小さな毬藻の糸状体の集まりだ。
殴れば崩れはするけれど、焼いたりして消滅させないと、すぐに元の球状体と戻ってしまう。
いわば、物理攻撃オンリーのウィルベルにとっての天敵と言っていいはずだったんだけど……なるほど、魔法を放つ瞬間を狙って、自爆を誘発したのか。
理屈としてはわかるんだけど、でも、だからと言って、その倒し方は……
「合理的やろ? 頭いいって褒めてくれてもええんやで」
どやぁ。
ウィルベルが自慢げに語りかけてくる……けど、待ってほしい。
いやそれ、弾が装填された銃口に指を突っ込むようなもんだからね? 普通の神経してたら思いつきもしないと思います。
とはいえ、いまのぼくらに他の攻撃手段があるわけでもない。
「でやあああああ!!!」
「ヌオおおおん!?!?」
避けて、ジャブ。避けて、ジャブ。
おおよそ、常人から見れば狂気の戦闘方法。ゴブリンミニオンですらドン引きしてる気がするけれどきっと気のせいだよね。
ジャブ、ジャブ、ジャブ。
高速で空を舞いながら、すれ違いざまに敵を減らしていくその姿は、水族館のペンギンのよう。
おそらく、魔力の量を見れば、ぼくらよりもゴブリンミニオンのほうが優位にいるのだろう。
そんな存在を一方的に蹂躙することに、ちょっとした高揚感を覚えてしまう。
「ははっ!」
それはウィルベルも同じだったらしい。
ご機嫌な様子で、肉食動物に似た野生的な笑みを浮かべ、
「魔力の起こりを感じれるってだけで、こんなにも変わるんやな!」
【敵が動作をする前に、先読みして避ける】
フィクション作品に出てくる強キャラにありがちな特技だけど、実際に体感するとホントにすごい。
得られた時間はツーテンポ。時間にして0.2秒。
それは、時速100キロメートルの高速戦闘において、5メートルの有利だ。
そこに、人間の数十倍とも言われる魚の動体視力を倍率ドン!
たったツーテンポ。されどツーテンポ。
先に回避しておけば、そのぶん接近できる。攻撃の始点をつぶせる。回避行動をそのまま攻撃につなげることができる。
それはつまり”余裕”だ。
余裕ができればその分、周囲を見渡すことができる。周囲を見渡すことができるから、さらに多くの情報量を処理できて、予測の精度と範囲が広くなる。
――感じる。
視界が拡張したような感覚。
敵の動きがすべて、わかる。本来、目に見えないはずの死角まで、手に取るように感じる。
いや、違う。それだけじゃない。残像のように脳裏に映るこれは、
(これは――次の動きだ)
まるで未来予知。
反射神経で避けていたときとは違う次元に、いまのぼくらはいる。
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(アレは……いったい、何なの?)
それが、その戦いを見ていた塩水の民の少女、ラクチェの感想だった。
普通、魔獣と戦う際には、攻撃をくらうことを前提として、防御能力が重要視される。
その極みが、勇者の精霊の衣であり、あるいは、操縦者に危険の及ばない、塩水の民の遠隔操作端末こと、バグである。
つまり、魔獣と戦うに際し、あのような生身で――シールド系の防御魔法も伴わないというのは、頭のネジがすべて外れているとしか思えない所業と言っていい。
「――どうやら、あの娘が、我々の探している魔法宝石を所持しているようですね」
戦慄しているラクチェを横に、プラパゼータが、魔法宝石を探すためのレーダーを手に、「間違いありません」と確信した口調で言い切る。
ラクチェは、「ああ、そういえば」と街の人々との会話を思い出した。
「リュリュが変異したというフカビトの件ですが、解放したのはあの娘だったと聞いています。何かしらの拍子に、石を得たのかもしれませんね」
「? 解放、ですか?」
「はい。なんでもフカビトのなから、リュリュを引きずり出して助けたのだとか」
「……は?」
プラパゼータが呆気にとられた表情を見せた。
ラクチェの専門は魔導工学であるため、それがどれほどすごいのかは知らないが、彼の反応を見るに、
(なにはともあれ、この男の思い通りにコトが進んでいるわけではないってことね)
普段は、何ごともお見通しだ、と言わんばかりの男が見せたマヌケな表情に、ラクチェは小気味よい快感を抱いた。
「ご存知なかったのですか?」
「あの娘はたかだか候補生、しかも1年生でしょう? そもそもフカビトと戦えるだけの実力があるとは……。何かの間違いでは?」
あくまでも信じないプラパゼータだったが、
「私が駆るジャイアント・バグが、一矢も報いることなくあの娘に敗北したと言えば多少は信じる気にはなれるか?」
「ほ!?」
割り込んできたセドルヴェロワの言葉に、プラパゼータが驚きのあまり、絶叫のようなものをあげた。
そして、「あれが……、もしかして?」「いや、まさか」とぶつくさと、何やら独り言をつぶやき始めた。
こうなってしまっては、この男はしばらくダメだ。自分の世界にこもってしまって、まともな問答は期待できないだろう。
(――それにしても)
ラクチェが、怪獣とウィルベルの戦いに改めて目をやると、ちょうど第一陣のゴブリンミニオンたちが全滅したところだった。
たった一人で100体のゴブリンミニオンを倒したことも驚愕だが、信じられないことに、ろくに魔法も使わずに、だった。
(おそらく、魔力を温存するためなのでしょうけど……)
よくもまあ、命の危険も省みずにあのような戦い方ができるものだ、と思う。よほど自分に自信があるに違いない。
普通、入学した直後の勇者候補生の平均レベルは20程度だというが、あの戦いぶりをみると、30……いや、40に到達しているのではないだろうか。
いったい、あの年齢でいったいどれほどの修練を積めば、その領域に至ることができるのか。想像するだけで恐ろしい。
「――で、どうする?」
問うたのはセドルヴェロワだった。
自分の世界にこもってしまったプラパゼータに対し、問う。
「いまなら奇襲することも可能と見るが」
セドルヴェロワの言うとおりだ。
たった一人で前線に出てきているいまは都合がいい状況だった。
プラパゼータはしばらく悩んだ様子を見せたが、やがてうなずいた。
「そうですね。セドルヴェロワ君、お願いしま――いえ、私も出ましょう。この船には、ちょうど新型のジャイアント・バグを2体、載せていますから。
ついてきてください。操縦室に案内します」
言って、2人が船内へと向かう。
そのとき、ドアの横にいたラクチェの耳に、すれ違いざま、プラパゼータの独り言がかすかに聞こえた。
「あの娘が、あの魔法宝石――【母なる海の黒金剛石】を使いこなせるならば、あるいは……」
※主人公のレベルはまだ5です。