114.漆黒よりも、なお黒い
今回はサブキャラ視点&30秒ほど時間戻ります
(あれ? わたし死んだんだっけ)
塩水の民の少女、リュリュが思ったのはそんなことだった。
記憶があやふやだ。思考がまとまらない。
(えーと。なにしてたんだっけ)
ああ、そうだ。わたしは人造勇者の被験体第一号で、プラパゼータ船長の実験に付き合って、世界樹の根本で……えーと……
息が苦しい。
脳に酸素が入ってこない。
代わりに何か嫌なものが体内を満たしていくのを感じる。思考がまとまらなくてもわかる。これはよくないものだ。
どろり。
(ひ……)
嫌なものがリュリュの心を締め上げる。
リュリュの心の中に恐怖が蔓延し、思考が麻痺する。身体の制御が効かない。
身体が勝手に動いている。
でも、目の前も真っ暗だ。触覚も視覚も。ありとあらゆる感覚が茫洋としていて、まるで他人事のようだった。
なにか邪悪なモノが圧倒的な支配力をもって、リュリュの身体を乗っ取ろうとしている。
ぼんやりとした頭でもわかる。このまま支配されれば、リュリュの意識は二度と戻ってこないだろう。
(いや。誰か……、たす……けて……)
誰でもいいから、誰か助けて――なんて思った時、そのときだった。
「どりゃああああ!」
という掛け声とともに、顔に熱いものがかかったのは。
(なんだろ。これ)
リュリュは首を傾げた。
漂う匂いを嗅ぐと……むんとしたアンモニア臭? 発射されたのはクロマグロの総排出腔? つまりこれは……
「ひぎゃああああああああああああああ!!!」
リュリュは思わず悲鳴を上げた。
尿!
信じられない! あのマグロ! あろうことか、女性の顔に『尿』をかけるなんて!
だがしかし、その怒りも一瞬だった。すぐに瘴気がリュリュの思考を締め付けようとしてくる。
(ぐ……ぐぐぐ……)
その力の前に、リュリュは抵抗できずに黙らされてしまう。怒りの炎はすぐに鎮火してしまう。
人の感情など、邪悪なモノの前には無力だった。
ああ! 人はなんと無力なのだろう!!
人は、自分の非力を自覚したとき嘆くしかできないという。いまのリュリュがまさしくその通りであっ――
「さらにマグロ汁ぶしゃー!」
びしゃっ
マグロが排出した液体が、びしゃっとリュリュの顔を濡らした。
(…………)
ぷちっ、と頭の血管が切れる音が聞こえた気がした。
マグロの傍若無人はそれだけでは終わらない。さらには陰キャだとか、人生終わってるだとかなどという罵声まで投げかけてくる始末である。
(…………。)
怒りの炎が、リュリュのなかに再び燃え上がる。
年頃の女の子がこんなことをされて許してよいだろうか。いやよくない。
さっきまでぼんやりとしていた頭がウソのようだ。
瘴気がリュリュを恐怖で縛りつけようとしてくるが、くそったれである。
(邪魔をするな! おとなしくしてろ。あのマグロはわたしのこの手で……)
「どつきたおぉぉぉっす!!!」
不思議なことに、視界は真っ暗なのに、そいつの存在だけはしっかりと感じられた。
リュリュと瘴気が、体の主導権を奪いあいはじめた。