101.リヴィエラの王女
「そういえば、ゴブリンってあんまり人を襲う感じがせーへんよね? 植物みたいやし」
ぐったりしているぼくをツンツンと突つきながらウィルベルが言う。
ぼくはといえば「ぜひーぜひー」と甲板の上で、これから競りにかけられる冷凍マグロのごとくダウン中。
クロマグロ、まさかのマリモに敗北である。
ぐぬぬ、ちくしょー。多勢に無勢すぎた!
一匹一匹は大したことないけれど、10とか20じゃなくて100とかっていう単位で襲い掛かってくるんだもの。
戦いは数だよ、ご主人様。……っていうか、
「人を襲う感じしないって……いまさっき、ぼくが襲われてたよね? ご主人様のお目めってば節穴Eyeすぎない?」
「……それは自業自得というものでは?」
言ってきたのはジト目のアリッサちゃん。
それを聞いたゴブリンたちが、ぼくをからかうようにワラワラと集まって、
『ぷーくすくす』『年下の女の子に』『冷たく罵倒されるって』『どういう気分?』
「ちょっと気持ちいいかも。ゾクゾクしちゃう」
『……』
ゴブリンたちが閉口するけど……いやいや、ちょっと待って。年頃の男の子としては当然の反応では!?
妖精たちの声が聞こえてないはずのアリッサちゃんすら、ちょっと引き気味なんだけど……なんでさ!?
『なんでさ、じゃねーよ』『常識的に考えて』『変態だよね』
「うっせえ! マ グ ロ が 変 態 で 何 が 悪 い!」
よくよく考えていただきたい。
魚類の繁殖行動って、海にばらまかれた卵にむけてビシャアっと精子をふりかけるわけ。
「そうっ! 海中に自由に精子を振りまく魚類こそは大自然の摂理が生み出した変態なのだ!! いったい何を恥じることがあるというのだろう!?」
あ。みんなそんな冷たい目で見ないで。視線の温度だけで冷凍マグロになりそうなんだけど。
ごほん。
空気を変えるためにここでひとつ咳払い。
「だいたいさ。植物が平和的ってイメージがおかしいんだよ!」
「……どういうこと?」
聞いてきたのはウィルベル。
ふむふむ。ならば、説明しよう!
「うん。例えば動物だったら、どんな狂暴な肉食獣だっておなかいっぱいになったらそれ以上食べないじゃん?
でも、植物っていうのはそういう”満足”がいっさいない生物なんだよね」
植物っていうのは「日光浴びて大満足!」みたいなほどほど感はなくて、「もっとよこせ」って根こそぎにもっていこうとする生物なのだ。
マリモの丸い形だって、ほかの水草の上に乗って太陽の光を浴びるためって言われているしね。
連中は可愛い顔をしていて、その実、ほかのどの水草よりも貪欲な連中なのだ。
「なので、あんまり油断しないように! 目を逸らした瞬間に噛みつかれても知らないからね!」
「うーん? でも、この子らはそんな感じせんなぁ」
「それはそうだ! ここにいるゴブリンは汚染されていないからな!」
ウィルベルの疑問に答えてくれたのは、ゴブリンの一体をガシっと鷲掴みにしたプルセナ先生だった。
先生に手でこねくりまわされたゴブリンが『わひー』なんて言ったりしてるけどどこ吹く風。
「……汚染?」
こいつら、いまの時点ですでに性格悪いのにもっと悪くなっちゃったりするんだろうか?
「うむ。そのまえに、まず世界樹の役割から説明せんといかんな。
あの大きな樹はな、腐海から発生した瘴気を吸収、浄化する役割をもっているのだ。
世界樹を擁する島が世界中の空を巡ることで、世界の魔力が清潔なままに保たれているわけだな」
改めて世界樹を見る。
この青々と茂った、どこか母性を思わせる樹は、つまるところ、でっかい空気清浄機みたいなもんらしい。
でも、神秘的であることも認めるけれど……かといって、人口60億の世界を見守るっていうには、
「ちょっと頼りないって気がするけど……」
「うむ。世界に比べて世界樹は小さすぎる。世界樹の浄化機能は、腐海の放出する瘴気に比べてささやかに過ぎるわけだ」
ふはは、と笑いながらプルセナ先生がうなずくけど、それじゃダメじゃん!
「だが、さっき君の言った通りでな。植物と言うのは非常に貪欲だ。瘴気がそこにあれば、浄化のキャパシティをオーバーしてもどんどん吸い込んでしまうのだ。
さて、ここで問題だ。瘴気を浄化する能力は足りないが、吸収するぶんにはほぼ無制限。――さて、どうなる?」
「あふれちゃうってこと?」
「そこでこの小さな生物の出番というわけだな。
このゴブリンという妖精はな。周囲の魔力を吸い込み、分裂し、増殖する性質を持っている。つまり、世界樹のなかに瘴気――魔力に類似した力が充満したならば」
「瘴気を吸い込んで増殖・狂暴化してしまう、と?」
「そういうことさ。まったく、植物というのは仕事熱心なことだな!」
「そうやって、瘴気に汚染されてしまったゴブリンを倒していくのが、今回の演習の目的のひとつというわけです」
言葉を引き継いだアーニャ先生が、プルセナ先生の手からゴブリンを助け出して空に向かって放り投げる。
空中に放り投げられたゴブリンは、ふよよと浮遊して群れの中に戻っていく。
『汚染こわいよね』『あいつら、容赦ないよねー』『日光が足りとらんのですよ』『葉緑体の力を信じろ』
こいつら、完全に他人事でやんの。
ふよふよとモジャコに飛来するその姿は平和そのもの。みんなのほほーんって感じにそれを眺めている。
……なんだけど。
「はーい、先生! ちょっと質問! 汚染されるって言っても、わざわざレヴェンチカから呼びされなきゃダメなものなの? この国の軍隊とかに任せときゃいいような気がするんだけど」
ゴブリンなんて言ってもしょせん藻類。
だってレヴェンチカってあれでしょ? めっちゃ人の集まりっていうか、国際緊急援助隊みたいな感じ。
例えば、ぼくがこの世界に来たばかりに戦ったクラーケン。
あれぐらいならクァイスちゃんどころかニアでも倒せそうなくらいだし、プルセナ先生は元勇者でもっと強いわけだし。
だったら、もっと効率的に戦力を配置したほうがいいのでは?
「うむ。それはだな――」
プルセナ先生が説明してくれようとしたちょうどそのときだった。
カランカラーン。
和気あいあいとゴブリンたちとの邂逅に騒いでいると、船鐘の音を鳴らしながら、一隻の船が寄せてくるのが見えた。
「……軍艦?」
この国の軍隊さんかな?
お空を飛ぶための船ではなく、水上用の船っぽい。とは言っても卵型の装置が付いていて、それを推進力にして逆風をもろともせずに突き進んでいる。
大きさはモジャコよりも一回り大きい。衝角もついていて、衝角アタックからの格闘戦を主体としたバーサーカー的な野蛮さを思わせる攻撃的な形状。
実際、乗ってる人たちも屈強な海の戦士っぽくて非常にマッシブ。
でも、敵対的な雰囲気はなく、このあたりの見回りをしてるって感じで、周囲の漁船も特に慌てることなく普通に操業中である。
「あの方は……」
軍船の船首を見たアリッサちゃんが思わずつぶやく。
その視線の先は、乗組員たちとは風貌を異にする、白い鎧を着た麗人である。お知り合いなのかな?
船はだんだんと速度を緩めると、ぐるりと旋回しながらモジャコの横につけ、
「とうっ!」
ずだん!
走り幅跳びの要領で、その白い鎧の女性がモジャコに跳び移ってきた。
すごいね、この世界。
重そうな鎧なのに5メートルくらいジャンプしてきたよ。
女の人は切れ長の目をアリッサちゃんに向けると、カッコイイ笑顔を浮かべた。
「ほう。レヴェンチカから誰が来たのかと思いきや、我が妹ではないか」
妹!?
「お久しぶりでございます。レア王女――いえ、お姉さま」
王女様!? 故郷とは聞いてたけど、アリッサちゃんってば王族だったの!?
でも、アリッサちゃんのほうはというと、うーん……? 肉親と会えた喜び特には感じてないっぽい?
客観的に見て、ちょっと距離感のあるあいまいな笑みを浮かべながら、整ったお辞儀を返した。
【マグロじゃない豆知識】
マリモはどうして丸いのですか。という疑問を抱く方は多いと思うのですが、実はマリモって丸くないのが普通だったりします。
マリモの生息域は広く、日本であれば南は滋賀県(琵琶湖)、海外であれば北海道と同緯度くらいの地域に分布していますが、丸くなるマリモはごく少数。日本では阿寒湖のみ。
いわく、風や波の影響だとか、湖の底の形がすり鉢状になっていることが必要だとか、水深だとか。
いろいろな条件が合わさったときのみ丸くなるのだそうです。