100.妖精の声
「ゴブリンは精霊と生物の狭間の存在と呼ばれています」
突然はじまったのは、サーシャちゃんによる授業のようなものだった。
さすが博物学を履修しているだけあって、詳しい。
たまにプルセナ先生やアーニャ先生に確認するような視線を投げかけてるけど、それがまた学生さんらしくて大変よろしい。
「わたしたちが召喚する精霊は、精霊の庭からやってきますよね?
あの世とこの世、この世界のどこでもない場所にあり、精霊たちの学び場であると言われています」
やってきますよね? って知ってる前提で言われても……。 ぼく、精霊の庭なんて行ったことないから、わかんないんだけど。
ほんともう! みんながみんな、”精霊の庭”ってやつを知ってる前提で話さないでほしいな!
世の中には、学び場とやらに通えない、かわいそうな精霊だっているんですよ!
って言いたくなったけれど、ここはお口にチャック。
サーシャちゃんの説明をおとなしく拝聴するぼくマグロ。
クロマグロは海流だけでなく、空気も読める生き物なのである。
「――そういった精霊と比較して、この世界に実体を置く、か弱いゴブリンのような生命を野良精霊、または精霊の妖、つまり妖精と呼びます」
「え? 野良ってことはこの子ら飼ってもいいのんよ?」
「そんな野良犬拾ったみたいな言い方されても……その、困るけれど」
ゴブリンの一体を摘まみ上げたウィルベルが尋ねると、サーシャちゃんは困ったような表情を浮かべた。
「ともあれ。妖精は、ときに人に恩恵を与え、ときに人と敵対します。その兆候は完全に不明、気まぐれで野放図。不条理の塊。
……のはずなのだけれど、本当に、ウィルベルちゃんは聞こえるの?」
サーシャちゃんは申し訳なさそうに尋ねた。
疑いたいわけではないけれど、さすがにちょっと非常識すぎる。そんなことを言いたそうな感じ。
それもそのはず。
「過去2000年。歴史上で妖精の声を聞くことができたのはマシロ様と……その契約者であった始原の勇者、聖女リゼット様のみと言われているの」
はっはーん。
ぼくは確信した。
始原の勇者ってあれでしょ? ウィルベルの故郷にもあった銅像の人で、伝説上のすごい人!
これはあれだな! ついにチート的な存在になるフラグが立ったってやつ!
昔々の技術を現代によみがえらせて「またぼく何かやっちゃいました? ぽかーん」って言っちゃったりして!
そう! なんてったって、ぼくはクロマグロ。
地球でもクロマグロ漁って3000年以上の歴史があるからね!
これはもう、古き良き時代からの使者と言ってもよかろうもんなのだ!
……だっていうのに。
「ウィルベル。ほんとに聞こえるのでありますか?」
「ウィルベルなら、まあ……そういうこともあるのかもしれないけど」
「ちょっと待って! なんでみんなウィルベルばっかり注目しちゃうの!?」
「?」
みんな不思議そうな顔してるけど!
言っておくけどさ! ウィルベルも妖精の声を直接的に聞いてるわけじゃないんだよ!
ウィルベルはぼくを通じて妖精の言葉を聞いているだけ!
つ ま り! ウィルベルじゃなくて、ぼくこそが偉大なのである。
ふはは、人間どもよ。崇高なる我を称えたまえ!
「というわけで、みんなぼくをもっとチヤホヤ甘やかしてプリーズ!
具体的に言うと西宮神社に奉納されるマグロくらいに崇め奉る感じで!」
「?」
人間たちは揃いも揃って首をかしげるけど……。んもうっ! ちょっと考えればぼくのすごさがわかるはずなのにね!
「だって、ぼくってば純粋な精霊だよ!? な の に、みんなに聞こえるように喋ってんだよ!?」
「ミカは、まあ……」「マグロだし」「ノーコメントです」
なんでさ!? こんなの絶対おかしいよ!!
「もっとほら! 褒めてよ! 称えてよ! さすがクロマグロ! サーモンなんかとは格が違うって称賛してよ!」
「……」
ぼくの必死の抗議に、みんな目を逸らして無言でぷいっ。
解せぬ!
ぼくは激怒し、びたーんびたーんって甲板の上で跳ねた。
抗議のために一生懸命飛び跳ねた。「この怒りよ、天まで届け」と飛び跳ねたのだ。
だいたいだよ! なんでそんな変な生き物を見るような目で見るの!?
「なんでも何も……変な生き物だからなんよ!」
にこっと笑って爽やかに答えてくれる我がご主人様!
なんてこったい。ちくしょーっ!!
絶望した! ご主人様からも変な生き物扱いとか! ゴブリンより扱いが悪くて絶望したっ!!
『マグロざまあ』『黒いから仕方ないね』
しかもゴブリンまで煽ってくる始末!
「うっせえ! ウニみたいにぱっくり割って、腐った中身を金魚に食わしてやんぞ!」
『は?』『マグロごときが』『サーモンのほうがおいしいし』
「おぅ? 言っちゃいけんことを言ったな? それ言ったら戦争だろうがよぉっ!」
ぎゃーぎゃーわーわー!
ここにクロマグロVSマリモという海と湖のプライドをかけた戦いが勃発した。
あ。でも、エラに潜り込もうとするのはNGで!
【マグロ豆知識】
神社でマグロといえば、兵庫県にある西宮神社の『招福 (おお)まぐろ』
神戸市の卸売市場から運ばれた冷凍マグロの頭や背中などに賽銭を張り付け、商売繁盛や豊漁等の願を掛けることで有名です。
テレビでもよく見るので歴史ある文化かと思いきや、実は昭和44年から始まった行事だったりします。
卸売市場ができた祝いで奉納されたのがキッカケということですが、(そもそも現代文化は江戸時代に生まれたものが多いですが)現代でも新しい文化が生まれ、引き継がれていってるんですね。