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(3)

 二人はそれからいろいろな話をした。

 ニューリはこの森の自然や、動物たちのことを雄弁に語った。カティヤがまだ出会ったことのない、熊や狼の話。森のずっと南側にあるという、大きな澄んだ湖とその湖岸に咲き乱れる珍しい花。おいしいベリーやきのこがたくさん生えている場所。

 カティヤもこの森が大好きだったから、瞳を輝かせて彼の話に聞き入った。

 彼は以前から、カティヤや兄のヴィルヨのことも、見知っていたようだった。

「だったら、声をかけてくれたら良かったのに。きっと、すぐに友達になれたわ」

「ずっと、そうしたかったんだけど……ね」

 すっかり打ち解けたカティヤの言葉に、彼が曖昧に笑ったとき、うとうとしていたヘルカがぴくりと耳を立てた。ほぼ同時に、静かな森に鳥の羽音が響き渡る。

「な、なに?」

 突然変化した森の空気に、不安げに辺りを見回していると、ニューリの手がなだめるように軽く肩を叩いてくれた。

「もう、大丈夫だよ。君の兄さんが来たんだ」

 そう囁くと、彼は立ち上がった。

「トゥオモ!」

 ニューリが声を張り上げ右腕を前に差し出すと、羽音が一層大きくなり、灰色の影が腕に舞い降りた。首をぐるりと回しながら、報告でもするように「ほー」と鳴いたのは、ぎょろりとした金色の目をした大きなフクロウだ。

 遠くから、人の走る足音が近づいてくる。その音は少し離れた場所で一旦止まった後、「カティヤ!」と呼ぶ声を乗せて突進してきた。

「お兄ちゃん!」

 幾分楽になったが、まだ自由が利かない身体に力を込めてなんとか立ち上がると、大きな身体に抱きすくめられた。

「カティヤ……。よかった。無事だったんだな」

「……ごめん……なさい、お兄ちゃん。家から出るなって、言われていたのに……」

 どれほど走ってきたのか、息を荒げ、激しく上下する固い胸板に顔を押し付けられ、カティヤは涙ぐんだ。兄にどれほど心配をかけたのか、抱きしめる腕の強さからも思い知らされる。

「ごめんなさい……」

 もう一度謝ると、ヴィルヨはようやく腕を緩めてくれた。

「いや……いいんだ。お前が無事なら。怪我はないか?」

 そう言いながら、妹の無事を自分の眼でも確認しようと、両頬を両手で挟んで、カティヤに上を向かせた。そして。

「!」

 妹と眼が合ったとたん、絶句した。

「お兄ちゃん?」

 見下ろしてくる兄の青い瞳は、驚愕のあまり大きく見開かれ、自分の瞳に釘付けになっている。やがて、細かく震え始めた大きな手が、カティヤの頬からするりと両肩に落ちた後、兄は地面に崩れ落ちるように膝をついた。

「カティヤ……お前、やっぱり……」

「お兄ちゃん、どうしたの! どこか痛むの? 苦しいの?」

 しかし、ヴィルヨはうなだれたまま首を横に振っただけで、それ以上何も言ってくれなかった。肩を大きく上下させながら、震える息を吐き出し、何かに必死に耐えている。

 肩からも滑り落ちてしまった彼の手は、今は痛いくらい強く、カティヤの両手を握っていた。

「ねぇ、大丈夫?」

 何があっても動じることのなかった頼りがいのある兄が、大きな身体を折り曲げるように、足元で喘いでいる。

 これまで見たこともない痛々しい兄の姿に、カティヤも理由も分からぬまま衝撃を受けていると、静かな声が割り込んできた。

「お兄さんの方は、知っていたんだね」

「知っていた……って、何を?」

 その声に驚いて顔を向けると、肩にフクロウを乗せたニューリが、ゆっくり近づいてきた。自分に向けられた、真剣ながらも気遣うような眼差しが、不安をかき立てる。

「君は気付いていないだろうけど、君の瞳、真っ赤なんだよ」

「真っ赤? たき火の煙が目にしみたのかしら? でもそれがどうしたの?」

 彼の言葉があまりにも意外で、カティヤは二三度瞬きした。

「違う、そうじゃないよ。君の瞳の色は青だったよね」

「うん。そうだけど?」

「おそらく、今日の朝まではそうだった。でも、今の君の瞳の色は深紅なんだ。まるで、熟したプナヘルッカの実のような、きらきら輝く眩しい赤」

「ま……さか。そんなはずないじゃない」

 プナヘルッカは、透明感のある鮮やかな赤色をした宝石のようなベリーだ。

 そんな瞳を持つ人間など、見たことがない。いるはずがない。

 それは、古い言い伝えに出てくる人物の、瞳の色なのだから——。

 しかし、カティヤの言葉に、ニューリは小さく首を横に振った。そして、腰から下げていた短刀を抜き、トナカイの角で作られた柄をカティヤに差し出した。

 彼が、どうしろと言いたいのかは分かる。

 カティヤは恐る恐る短刀を受け取ると、鏡のように研ぎすまされた刀身を目の前に掲げた。

 発光しているかのように輝く、深紅の瞳が自分を見つめていた。

「きゃあああああ!」

 カティヤは、驚きと恐怖のあまり、深紅の色が映った短刀を放り投げた。

 映っていたのは、おぞましい色の瞳をした自分によく似た少女……いや、自分だった。

「嘘よ……。そんなの……う……そ」

 足元がぐらつき、危うく後ろに倒れようとしたところを、ニューリに抱きとめられる。

 驚いたトゥオモが空に舞い上がり、羽毛が飛び散った。

「そんなはず……ない」

「カティヤ。カティヤ、しっかり」

「だって、わたしの誕生日は明日なのよ? 十五歳になるのは明日なの! だから、そんなはずがない!」

 言い伝えでは、赤い瞳に変化するのは、十五歳を迎えた夏至生まれの選ばれた娘だけ。だから、自分がそうであるはずがない。

 ニューリに支えられながら、必死に訴えていると、足元から苦しげな声が聞こえてきた。

「すまない、カティヤ。俺がお前に嘘を教えた。お前は、十五年前の今日……夏至の日に生まれたんだ。しかも、精霊の花嫁になる娘だと予言されたらしい」

「そんな……。嘘よ! そんなこと信じない!」

 決定的な兄の言葉に、カティヤは両手で顔を覆って泣き崩れた。

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